仙台のオペラ協会では秋の本公演の他に春のインテルメッツォという規模の小さい公演があって、それが今回は林光の民話オペラ“あまんじゃくとうりこひめ“であった。昨年の“鳴砂“に引きつづき、今回も縁あって招待状をいただいたので、29日の土曜日に喜んで出掛けた。
あまんじゃくと言えば昔話でお馴染みの天邪鬼で、私も子供の頃よく読んだような、読み聴かされたような、仄かに懐かしい記憶もあるのだが、当の作品そのものは初めて聴くのである。もっとも、聞けばそもそもは学校放送向けのテレビ用作品で1959年の作というから、もしかしたら意識はせずともどこかで見てはいたのかもしれない。一方、創った林光といえば名高い作曲家である。実のところ詳しくは知らぬのだが、それでもオペラシアターこんにゃく座の活動、大河ドラマを始めとする放送ドラマのテーマ曲、劇音楽、その他諸々、色々と耳には聞こえてくる。だが、私が初めてその名前を意識したのは何あろう、NHKの水曜時代劇“真田太平記“のテーマ曲とその劇中音楽によってであった。ドラマのテーマ曲と言えばグランドスタイルの派手で大掛かりなものが多かった中で、独り力強い堂々たるシンプルさが強力に耳を引いたのである。ドラマチックな短い導入に続いてチェロ一本でテーマが始まると、淡々と歩を進めながらも内的な力は充実し、静かな気迫が漲ってくる。時に笛が絡み、時に打楽器を加えた合奏が楔を打ち、時に高揚するが、必ずまた本筋に戻ってくる。禅画のようなモノトーンな展開の内に侍の雄渾で腹の座った覚悟と気迫が、また人生と自らの来歴を観照する諦観が過不足なく示される様が実に見事であった。そこには当該ドラマの内容と性格に対する劇音楽家としての高い見識と感性が見て取れたのである。正に座付き作曲家の面目躍如たるものがあった。
というわけで楽しみにしていたのである。所は旭ヶ丘の青年文化センター2Fの交流ホール、時は1月29日土曜日の午後6時からであった。“あまんじゃくとうりこひめ“自体は40分程度の短い作であるから、前半は4人の歌手によるガラコンサートになっていた。モーツァルトやプッチーニや團伊玖磨などを聴いて、休憩後にいよいよ始まったのである。昨年の“鳴砂“では日本語におけるレシタティーボ作曲上の困難さというものをつくづく感じさせらていたので、林光がこの楽しくなければならない民話オペラでその問題をどう解決しているのかに興味があった。母音だらけでやたらに音節を喰い、一音に入れられる情報量がどうにも少ない日本語をどう扱うのか。一単語を一音に入れるのはまず無理だし、文節末に付きまとう助詞の“てにをは“も語りを単調でもってまわった説明調にしてしまいがちだし、文末もヴァリエーションに欠けて萎みがちだ。和歌の詠唱や謡や詩吟ならばよいが、オペラや歌曲やミュージカルとなると途端に日本語の特質が弱点となる。“鳴砂“の語りにしろ、今回ガラで歌われた“夕鶴“のアリアにしろ、その点では全くこなれておらず、聴いていて酷い不自然さに辟易するほかない。
さて、今回そんな課題を解決することは可能だったのか。結果は見事に解決されていた。というより50年前に解決されていたのだ。解決方法はコロンブスの卵で、すなわち言葉を方言にしてしまうことであった。ピュアな方言100パーセントではあるまいが、方言或いは方言調にすることで先の日本語の弱点はほぼ克服されたのである。“てにをは“がうるさいのも、文末に多様性が乏しいのも、音節喰いで一音に単語を盛れないのも主に標準語の話である。ひるがえって方言となれば、その点は随分と自由だし選択肢も増える。短くも長くもできるし、音のパレットも途端に豊かになる。標準語で難しいことが方言では容易く解決されるのである。おかげで説明臭く、自然さを欠き、生煮えで、不出来な台詞と歌の二重苦に悩まされることなく、子供たちと共に生き生きとした民話の世界を楽しむことができた。
“あまんじゃくとうりこひめ“の成功の半分は明らかに方言を取り入れた台本の工夫にある。林光は身近な生活に根ざした、内発的な実感を重視する芸術家であるらしいから、50年前にも作曲家と台本作者との間に緊密な連携作業があったに違いない。