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2011/02/06

“あまんじゃくとうりこひめ“-完成度の高い民話オペラ

仙台のオペラ協会では秋の本公演の他に春のインテルメッツォという規模の小さい公演があって、それが今回は林光の民話オペラ“あまんじゃくとうりこひめ“であった。昨年の“鳴砂“に引きつづき、今回も縁あって招待状をいただいたので、29日の土曜日に喜んで出掛けた。
あまんじゃくと言えば昔話でお馴染みの天邪鬼で、私も子供の頃よく読んだような、読み聴かされたような、仄かに懐かしい記憶もあるのだが、当の作品そのものは初めて聴くのである。もっとも、聞けばそもそもは学校放送向けのテレビ用作品で1959年の作というから、もしかしたら意識はせずともどこかで見てはいたのかもしれない。一方、創った林光といえば名高い作曲家である。実のところ詳しくは知らぬのだが、それでもオペラシアターこんにゃく座の活動、大河ドラマを始めとする放送ドラマのテーマ曲、劇音楽、その他諸々、色々と耳には聞こえてくる。だが、私が初めてその名前を意識したのは何あろう、NHKの水曜時代劇“真田太平記“のテーマ曲とその劇中音楽によってであった。

ドラマのテーマ曲と言えばグランドスタイルの派手で大掛かりなものが多かった中で、独り力強い堂々たるシンプルさが強力に耳を引いたのである。ドラマチックな短い導入に続いてチェロ一本でテーマが始まると、淡々と歩を進めながらも内的な力は充実し、静かな気迫が漲ってくる。時に笛が絡み、時に打楽器を加えた合奏が楔を打ち、時に高揚するが、必ずまた本筋に戻ってくる。禅画のようなモノトーンな展開の内に侍の雄渾で腹の座った覚悟と気迫が、また人生と自らの来歴を観照する諦観が過不足なく示される様が実に見事であった。そこには当該ドラマの内容と性格に対する劇音楽家としての高い見識と感性が見て取れたのである。正に座付き作曲家の面目躍如たるものがあった。

というわけで楽しみにしていたのである。所は旭ヶ丘の青年文化センター2Fの交流ホール、時は1月29日土曜日の午後6時からであった。“あまんじゃくとうりこひめ“自体は40分程度の短い作であるから、前半は4人の歌手によるガラコンサートになっていた。モーツァルトやプッチーニや團伊玖磨などを聴いて、休憩後にいよいよ始まったのである。昨年の“鳴砂“では日本語におけるレシタティーボ作曲上の困難さというものをつくづく感じさせらていたので、林光がこの楽しくなければならない民話オペラでその問題をどう解決しているのかに興味があった。母音だらけでやたらに音節を喰い、一音に入れられる情報量がどうにも少ない日本語をどう扱うのか。一単語を一音に入れるのはまず無理だし、文節末に付きまとう助詞の“てにをは“も語りを単調でもってまわった説明調にしてしまいがちだし、文末もヴァリエーションに欠けて萎みがちだ。和歌の詠唱や謡や詩吟ならばよいが、オペラや歌曲やミュージカルとなると途端に日本語の特質が弱点となる。“鳴砂“の語りにしろ、今回ガラで歌われた“夕鶴“のアリアにしろ、その点では全くこなれておらず、聴いていて酷い不自然さに辟易するほかない。
さて、今回そんな課題を解決することは可能だったのか。結果は見事に解決されていた。というより50年前に解決されていたのだ。解決方法はコロンブスの卵で、すなわち言葉を方言にしてしまうことであった。ピュアな方言100パーセントではあるまいが、方言或いは方言調にすることで先の日本語の弱点はほぼ克服されたのである。“てにをは“がうるさいのも、文末に多様性が乏しいのも、音節喰いで一音に単語を盛れないのも主に標準語の話である。ひるがえって方言となれば、その点は随分と自由だし選択肢も増える。短くも長くもできるし、音のパレットも途端に豊かになる。標準語で難しいことが方言では容易く解決されるのである。おかげで説明臭く、自然さを欠き、生煮えで、不出来な台詞と歌の二重苦に悩まされることなく、子供たちと共に生き生きとした民話の世界を楽しむことができた。

“あまんじゃくとうりこひめ“の成功の半分は明らかに方言を取り入れた台本の工夫にある。林光は身近な生活に根ざした、内発的な実感を重視する芸術家であるらしいから、50年前にも作曲家と台本作者との間に緊密な連携作業があったに違いない。

2010/09/20

オペラ『鳴砂』と仙台オクトーバーフェスト

先日もらった招待券でオペラ協会の公演を聴いたその脚で錦町公園で開かれているオクトーバーフェストに来てビールを飲んでいる。本家のOktoberfest御用達のBrauereiの一つ、Hofbräuhausのビールが飲めると聞いてやって来たのだ。今飲んでいるのはMünchner Weisseのレギュラーである。ソーセージも合わせて白いMünchner Weßwurstにした。ステージではドイツから来た6人組のバンドが愉快な曲を演奏している。先刻まで県民会館で聴いていた『鳴砂』とはまるで違う世界である。テント内で人々は騒々しく語り、何度も乾杯し(Prost!)、ジョッキを傾け、愉快な曲に体を揺すっている。ビール自体はなかなかうまいが、私自身は久しぶりのビールで早々に顔が赤くなってしまって情けない限りだ。

さて、というわけで、肝心の『鳴砂』はどうだったろう。それは当初予想していた逆オランダ人では全くなかった。嵐や海や難破船、原作者の言から窺われたスペクタキュラーな物への志向などから私は秘かに音の逆巻くヴァーグナー風を勝手に夢想していたのだが、実際はそんなことがあるはずもなく、音楽も脚本もまるで趣の異なるものであった。開演30分前の作曲家と指揮者のプレトークを聞いて少々期待しないでもなかったのだが、音楽そのものはヤナーチェクと青髭のバルトークの折衷、第2幕の後半はラジオドラマ風という感じであったろうか。「ルルルルルー」と言葉なしで歌われた主役二人の愛の二重唱は("夜明けのスキャット"を想像しなかったと言えば嘘になる)どうも安っぽく聞こえてしまった。

重唱や合唱はまずまず聴けたのだが、残念なことにレシタティーボに当たる語り部分には大いに興をそがれた。単調な母音ばかりが響く単純な日本語のセリフには、どんな作曲家であっても頭を悩ますところではあろうが、ああ一律に処理されると無機的、没個性的に響く。いきおい言葉の情報量とニュアンスに乏しくなって、誰の台詞であろうと何もかもがみな同じように聞こえてしまうのである。これでは必要な劇性が高まるはずはなく、ドラマに在るべき「正」「反」の緊張も、「合」の解放も立ち現れては来ない。あれを統一性と言うべきか。私には単調さと聞こえた。

脚本と演出のせいもあろうか、作品全体の説得力には疑問を覚えるほかなかった。悲劇には違いないのだが、いったい何の悲劇なのかよく分からないのだ。イサゴの悲劇なのか、ミナジの悲劇なのか、鳴砂の浜の悲劇なのか。おそらく浜全体の悲劇なのであろう。原作者にも作曲家にも人間の愚かさをダイナミックに描き出そうという壮大な意図があったと思われるのだが、なにぶんにも焦点が定まりきらぬ感じなのである。鳴浜のモチーフが弱くて印象に残らないのがそもそも問題だと思うが、肝心の鳴砂の浜の神聖さの根拠がどうにも希薄なのである。そのためにタブーを犯したのやら犯さないのやら、だいたい何が冒すべからざる禁忌だったのか伝わってこない。取り返しのつかなさ、運命の不可逆性が迫ってこないのだ。悲劇の必然性が感じられぬところにカタルシスは生まれぬだろう。

地元にオペラがあるというのは、これはこれで誇るべきことだろう。演出次第でもう少し説得力も持ち得るだろう。だが、正直なところ作品の完成度という点で言えば、この目の前のビールに敵うものではないようだ。

ビール万歳!

簡単に傑作は創まれぬということか。
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2010/09/10

芸術(?)の秋近し


今年の夏は酷暑だったが、ここのところようやく秋らしい風も感じられる朝夕が増えてきた。日が高く上ってしまえば、まだ相変わらず暑いが、朝自転車で坂を下る時は寒いこともあり、有り難いことに夜の寝苦しさもなくなった。無論、こうでなければならない。


気候的にはまだ学問、芸術の秋と言うには少し早いが、今年もオペラ協会から招待券をもらえることになった。創作オペラ『鳴砂』で、19、20と2日ある公演の内の2日目、14時からのマチネーである。敬老の日で彼岸の入りになるが、墓参りは午前中内に先に済ますか、後の月命日に合わせてしまうかどちらかにするとしよう。


漁村を舞台にした民話的要素の強い、幻想的、ダイナミックな作らしいのだが、作曲家も台本作家も寡聞にして知らない。海、海の男たち、異界からの侵入者たる謎の女、その出現による破滅とカタストローフに至る筋、道具立ては逆オランダ人を思わせる。問題は曲だが、さてどんなものであろうか。些かの興味はわく。今回はピットに入るオケが仙台フィルではなく東北大学の学生オケである。それがどの程度の、どんな違いになるのかは気になるところだ。昨年の『魔笛』では仙台フィルのぬるい感じが不満であった。いずれにせよ3月にストックホルムフィルを聴いて以来、実演を聴くのも半年ぶりだから、たとえ音の悪い県民会館であれ、日頃オーディオ慣れしてしまった耳と感覚のためにはそれだけでも意味はあるわけではある。

純粋に音の観点から言えば東北大の萩ホールが望ましいが、残念ながら実際にそこが演奏会場として使われることは少ない。音の悪い県民会館やイズミティ21が使われるのには地方文化事業政策上、商業上の事情もあるのだろう。無論萩ホールは劇場ではないし、本格コンサートホールとして舞台上の制限は普通の多目的ホールより多かろうから設備上オペラ公演が可能なのかも疑問なのだが、正直なところ県民会館も、たまに外来オペラが無理にやることもあるイズミティ21も似たようなものではあろう。諸々の制約を越えて萩ホールがもっと使われるようになればいいのだが。

何はともあれ、20日を楽しみにして待つとしよう。気持ちの良い秋の日であることを願いながら。

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2010/01/30

いまだ熱き教育者 : Helmuth Rillingのロ短調ミサ1

Helmuth Rillingのロ短調ミサを聴きに川内萩ホールにやって来たところである。コンサートはオーケストラ・アンサンブル金沢の仙台公演という形になっていて、合唱は仙台と盛岡の二つの合唱団が合同で歌うことになっている。楽しみな公演の開場、開演を待つ時間というのもまた乙なものだ。

本日の公演を知ったのは昨年の秋のことだった。秋のオペラ協会公演の際にもらったチラシの中に、(まだ簡単な)今日の公演の案内も入っていて、1つは地元の2つの合唱団については全く知らなかったのだが、秘かに気にはしていたのである。Bachの声楽曲の大きなものが仙台でやられるというのも稀であろう。前売り自体は昨年の10月末には始まっていたのだったが、実際にRilling、萩ホールならば矢張り聴いてみようかという気になってチケットを手にいれたのは既に目出度く年も開けた1月8日の金曜日になってからのことであった。実はこれが結構ギリギリセーフだったようで、その日までは呑気に当日券でも大丈夫ではないかと少々高を括っていたのであったが、金曜日に仕事を終え何の気なしにプレイガイドに寄ってみるともう席を選ぶ余地がほとんどなくなっていたのであった。これには少々驚かされた。萩ホールが一杯になった話などここ1年ついぞ聞いたことがなかったのだ。Rillingゆえか、ロ短調ミサゆえか、地元の合唱団ゆえか、それは分からなかったが、慌てて買い求めることにしたわけである。もっともそこにあったわずかに残っていた席は1階は近すぎるか端すぎたし、2階も思わしくなく、結局、藤崎、ヤマハ(完売であった)、カワイと歩いて最後に三越のプレイガイドで27列のほぼ中央という席を見つけた次第である。2階の最上席というわけにはいかぬが、そのワンブロック後ろ(なだけ)であるから、そんなに悪くはないはずだ。

開場まではまだ一時間半もの時間がある。萩ホールの駐車場はかなり不足しているということであったし、大学構内の道が混んだらいかにも厄介そうでもあった。チケットのこともあったから早めに来てみたわけである。スイスイとやって来て、まだいくらもとまっていない駐車場に早々と車をとめて、今は東北大川内北キャンパス内のまだ真新しい学食(キッチンテラス Couleur)の席に座って、なじかは知らねどカレーを食って、14:15分の開場時間を待っているのである。外はさほど強くもないが雨が降っている。食堂はこの1月に出来たばかりだそうだ。近くにコーヒーの飲めるところはないかと駐車場で誘導をしていた学生に尋ねて来たのだったが、土曜日のせいか聞いたカフェの方は残念ながら休みであった。そこで、そんなつもりもなかったのだが、結局、学生達に混じって定番のカレーを食っているのだ。コーヒーがカレーに化けたのである。何種類かあるカレーの中のレギュラーカレーで、大中小とあるうち中サイズ260円也で、さすがに安いものだ。昔ながらの家のカレーという感じでインド人には物足りないだろうが、意外と具もしっかりしていてライスが固めなのは好みである。定番カレーは矢張り人気なのか早くもなくなりかけていた。

さて、学生時代を思い出しながら、かつまたカレーを食いながらミサの典礼文を予習しているわけだが、いや、私のラテン語も随分怪しくなったものだ。昔から怪しかったといえば怪しかったのだが、大分にあやふやである。典礼文など学生時代にラテン語講読で読んだキケロやヨハネに比べれば全く単純なものではある。全く単純なものなのだが、対訳を見なければ分からぬところが多い。いや、これはいかん。これでは途中Credo辺りで歌っている歌詞が分からなくなりそうだ。演奏中に対訳をごそごそやるのも気に喰わないので、もう少し頭に入れておきたいところだ。カレーを食ったのは正解かどうか分からぬが、早く来たのはこうしてみれば正解であった。まだ予習時間はある。開場時間までには雨も止みそうであるし。では、後は演奏後としよう。



Credo




LateinischDeutsch

Credo in unum Deum,
patrem omnipotentem, factorem caeli et terrae,
visibilium omnium et invisibilium.
Et in unum Dominum Jesum Christum,
Filium Dei unigenitum.
Et ex Patre natum ante omnia saecula.
Deum de Deo, lumen de lumine,
Deum verum de Deo vero,
genitum, non factum,
consubstantialem Patri:
per quem omnia facta sunt.
Qui propter nos homines et propter nostram salutem
descendit de caelis.
Et incarnatus est
de Spiritu Sancto
ex Maria Virgine,
et homo factus est.
Crucifixus etiam pro nobis
sub Pontio Pilato;
passus et sepultus est,
et resurrexit tertia die, secundum Scripturas,
et ascendit in caelum,
sedet ad dexteram Patris.
Et iterum venturus est cum gloria
iudicare vivos et mortuos,
cuius regni non erit finis.
Et in Spiritum Sanctum, Dominum et vivificantem:
qui ex Patre Filioque procedit.
Qui cum Patre et Filio simul adoratur
et conglorificatur:
qui locutus est per Prophetas.
Et unam, sanctam, catholicam
et apostolicam Ecclesiam.
Confiteor unum baptisma
in remissionem peccatorum.
Et expecto resurrectionem mortuorum,
et vitam venturi saeculi. Amen.
(lateinische Fassung nach dem Messbuch der katholischen Kirche)


Wir glauben an den einen Gott,
den Vater, den Allmächtigen, der alles geschaffen hat, Himmel und Erde,
die sichtbare und die unsichtbare Welt.
Und an den einen Herrn Jesus Christus,
Gottes eingeborenen Sohn,
aus dem Vater geboren vor aller Zeit:
Gott von Gott, Licht vom Licht,
wahrer Gott vom wahren Gott,
gezeugt, nicht geschaffen,
eines Wesens mit dem Vater;
durch ihn ist alles geschaffen.
Für uns Menschen und zu unserem Heil
ist er vom Himmel gekommen,
hat Fleisch angenommen
durch den Heiligen Geist
von der Jungfrau Maria
und ist Mensch geworden.
Er wurde für uns gekreuzigt
unter Pontius Pilatus,
hat gelitten und ist begraben worden,
ist am dritten Tage auferstanden nach der Schrift
und aufgefahren in den Himmel.
Er sitzt zur Rechten des Vaters
und wird wiederkommen in Herrlichkeit,
zu richten die Lebenden und die Toten;
seiner Herrschaft wird kein Ende sein.
Wir glauben an den Heiligen Geist, der Herr ist und lebendig macht,
der aus dem Vater (und dem Sohn) hervorgeht,
der mit dem Vater und dem Sohn angebetet
und verherrlicht wird,
der gesprochen hat durch die Propheten,
und die eine, heilige, katholische*
und apostolische Kirche.
Wir bekennen die eine Taufe
zur Vergebung der Sünden.
Wir erwarten die Auferstehung der Toten
und das Leben in der kommenden Welt. Amen.
(deutsche Fassung nach dem Messbuch der katholischen Kirche)
* evangelische Textfassung im Glaubensbekenntnis von Nizäa-Konstantinopel: „und die eine, heilige, allgemeine und apostolische Kirche.“
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2009/09/19

仙台の”魔笛” : 我らの身の丈に合った音楽の栄光と悲惨


『のだめカンタービレ』の冒頭、鬱勃憤然と登場した千秋真一が抱えていた苛立ちと焦燥は

(クラシックをやるのに日本にいたってしょうがない)

当然と言えば当然過ぎるものであったろう。その作品や芸術家が一つの必然としてまさにそのただ中から生まれ出てた地で学び、その拠って立つ土壌や環境を精査し、そこに営々脈々と続く文化と(その形式でもあれば内容でもあるところの)言語の体系に飛び込んで、ついにそれを身をもって生きるというのでなければ、およそ「本物」には近づけないだろうからだ。彼のような才能がそれに感づかぬはずがない。

無論こんなことを思ったのも、先日仙台オペラ協会の"魔笛"を観たからである。楽しくも悲惨な我が町のオペラ公演を観て、未だに私の中には片付かぬ様々なものが入り乱れているかのようである。文化的背景をバッサリ切り落としたこの日本の、この実学の都市である仙台でありうべき西洋古典とは果たして如何なるものであるのか。そして、いつの日か私のような偏屈な一クラシック愛好家が心底感動し、感嘆しうる、見事に昇華された音楽芸術を、一体全体さて、この地で聴く機会が訪れ得るものなのか。思うほどに絶望的な気分に襲われるのである。

実のところ、クラシック音楽本来の精神と感覚は、この現代日本の環境においてあまりに異質なものではあるのだろう。彼我の風土は精神的にも感覚的にも大きく異なり、言ってみればその水も土も光も空気もまるで違うのだから、たとえ同じ種子から育てようと咲く花、生る実が大いに趣を異にするのは已むを得ざるところではある。ましてや、深みというものをおよそ欠いているとしか見えぬこの時代である。彼らが扱った問題を彼らが扱ったように真剣に扱うことなどまるで流行らないかのようである。

しかし、それにしても、である。

私は思い出さざるをえない、ThomanerchorとGewandhausのMatthäus-Passionと


Bach Collegium Japanのマタイが

どうしようもなく異なっていたことを。いつもの友人と(2002年のことだが、わざわざ)さいたま芸術劇場まで聴きに行ったBCJは、その古楽オケも鈴木雅明の指揮も合唱も悪いはずもなかったのだが、演奏の背後にイエズス受難の物語が、そしてその痛切さが、親密にも深々と広がる度合いにおいて、およそ比較のしようもなかった。無論、これは仕方のないことではあったろう。高い技術で真剣に歌う合唱の面々の頭に想い浮かんでいるイメージは、残念ながら我々のそれと同様、後で頭に入れた知識としてのイエズスの姿であり、物心つく以前より慣れ親しんで、もはや自身の血肉と化した懐かしの姿ではないのだから。しかし、この「我々のそれと同様」というのが気に喰わぬのである。わざわざ聴くからには、はるかに突き抜けた、当然それ以上のものを聴きたいわけであるから。結局、幼年期の夢や思い出にまで結びつくような心の奥深くに根ざした様々なイメージや感情の多様な裏付けを欠いているために、懸命に習い覚えただけで奥行きや柔軟さを欠いた物語は、その懸命さばかりが目について決して活き活きと立ち上がることがなかった。加えて、そもそも母国語ならざる悲しさ、肝心のドイツ語の一語一語にまとわりつく重層的な意味のアウラを感じる術もない以上、さてそれ以上如何ともしがたいものではあっただろう。

だがしかし、たとえそうであるにしても、である。

言うまでもなく、何ものも突如としてポッと生まれ出て来るわけではなかろう。ドイツにBachが生まれたのも、日本に芭蕉が生まれたのも単なる偶然であろうはずもなく、内的にも外的にも然るべき条件が整ったればこその結果であったろう。ドイツに芭蕉が、逆に日本にBachが生まれる道理があろうか。たとえ彼らの精神と芸術の核心に普遍的なもののかけらが閃き、響いているにしても、本体の大部分はその時その地でしかあり得なかった特殊で具体的なもの、歴史的・地域的に特定された諸条件に基づいているものであろう。


ウェストファリアの平和の後を受けて数多くの領邦国家が分立したあのバロックの総合期に、あのテューリンゲンのBach一族に生まれず、ルター正統派の洗礼を受けず、ヴァイマル、ケーテンを経てライプツィヒに行かず、聖トマス教会のカントルを務めず、仕事に追われず、妻を愛さず、ビールを飲まず、ソーセージを食わず、ドイツ語を話さず、ドイツ語で考えぬBachなどあり得ようか。


江戸の世に伊賀に生まれず、職業的な俳諧師にならず、元禄の文化を体験せず、漂泊の旅をせず、湿潤な日本の風土の四季折々、その土地その土地の風俗風物に目を留めず、古人にも森羅万象にも思いを馳せず、深川に庵を結ばず、一株の芭蕉を植えず、米を食さず、日本語を話さず、日本語で考えぬ芭蕉も断じてあり得ぬだろう。


というわけで、作品と芸術家の探究には、その「精神的風土の探索」と同時に、作品がそこで生まれ、彼らがそこで実際に生きた具体的な「感覚的風土の経験と探索」が欠かせぬものだろう、ということになる。生まれてからこの方、我々は感覚的なものに取り囲まれている。目に映る風光、耳に響く母国語、舌に味わう食べ物、肌に感じる気候、その他諸々、感覚を通してなじんだものはもはや我らの一部であるのだから。人間はタブラ・ラサではないから、それらがそのまま全てでないのは勿論だが、その有形無形の影響から逃れられるものではあるまい。そして、なかんずく我らが「言語」の影響はその中でも決定的なものであるだろう。その音色、抑揚、リズム、テンポ、更にその語彙とグラマーの総合的な体系は我々自身と切っても切り離せない、もう一人の自分自身と言ってもいいほどである。


芸術家による作品の創造を一つの必然として捉えてみるには、彼らが見、聞き、感じ、考え、味わい、なじみ親しんだものを、彼らがまさにそうしたように追体験してみることから始めるのが望ましいだろう。そこから始めれば、問題意識を共有し、彼らがこだわったものにこだわり、目指したものを目指して、ついにその創造の現場に居合わせるがごとき理解が可能となるやもしれぬ。だが、すべて我々の経験なるものは、我々自身の経験には違いないにしても、否応なくその時代、その文化圏の、固有のフィルターを通したものであるほかはない。そして、その文化圏固有のコードは基本的にはその言語によって担われ保たれているのである。そうである以上、彼我の価値判断や認識、美的経験や情感生活の意味や質を背後から厳然と左右しているのは、つまるところ彼我それぞれの言語体系なのであろう。言語は文化的な諸々の価値のヒエラルキーを盛る器であり、我々はその器から飲むほかはない。我らの精神に不可欠の器官があるとすれば、言語こそがそれであろう。人はその言語の体系内でものを考え、感じざるを得ない。そのスタイルで思考し、そのテンポで考えを進め、その音色や響き、テンポやリズムの特性に自ずからなじんで、彼の精神と感覚はその制約を否応なく受ける。当然、作曲家といえども例外であるはずもない。

というわけで、思うに作品の理解には必要最低限その出発点として

  1. その作品が前提としている教養の伝統を理解し、
  2. その芸術家が生き、その作品が成立した地と時代の感覚的要件を知り、
  3. 且つ、そこで使用されている言語をかなりの程度心得ていなければならない

ということになるだろう。


例えば「古池や蛙飛びこむ水の音」という極限まで切り詰められた17音の日本語を聞いた時に、少なくても、芭蕉によって想定され、当時の人々にとっても最も一般的にイメージされていた蛙の跳び込んだ池の様子や音、その場のありさまやその全体としての禅的な心象が自然に想起されるようになっていなければ理解のスタート地点に立ったことにはなるまい。この句を聞かされたアメリカ人のいくたりかは、大きな池に次々に何匹もの蛙がバシャバシャとジャンプするにぎやかな光景をイメージしたそうだが、それでは始まるまい。比較文化論や異文化理解の材料としては興味深かろうし、自由な解釈というのも時に面白くないこともないが、それはまた別のことである。最終的な解釈や理解がどういう地点にたどり着くかはさておいても、出発地点は正統な地点から発するのでなければなるまい。


考えるに「本物」とは、自らの内に何ものかが生きていて、もはや自分自身と分かてぬ状態にまで達していることの謂いであろう。自身の内を探れば、その精神が現に活動し生きている。その思想や原理が、またその感覚やふるまいの様式が、更にその直観や感情のことごとくが否応もなく自分の内で生きているという自覚と自負。外やどこか他所にあるのではなく、自身の内にあるものを探ればそのままに究極の問の真正な答えが見つかるという状態こそ「本物」と言うべきであろう。そうなれば、もはやその人は単にその人個人であるにとどまらず、一個の代表者であり、一つの規範である。彼(彼女)がThomas Mannの"Doktor Faustus"の悪魔と契約を交わした作曲家Adrian Leverkühnのように、たとえどこにいようと「自分のいる所こそドイツであり、故郷のKaisersaschernだ」と言えるならば、彼(彼女)はもはや規範であり、すなわち「本物」であるだろう。

当然、「本物」は文化的な脈絡と離れては存在し得ない。まがうことなき規範や正統の精神は単に個人的な一代身上によって成り立つものではないからだ。それを勘違いしたところに在るのは風変わりで奇妙な「何か別のもの」だろう。

例えば、ランランのあの中国雑技団の軽業としてならば実に見事な、しかしまるっきり別の思考とセンスで奏せられているために本来の意味やスタイルからは絶望的にずれてしまった饒舌の滑稽と悲惨を見よ。(あれではただの人寄せパンダ、あるいはホリエモンではないか。いや、そうではない。彼は一流のシェフだ、ただし中華料理の。)

或いは、オペラだというのにおよそ言葉としてのニュアンスを欠き、本来の味や香り、重層的な複雑さを持っているはずのものが、単純で生真面目なただの気合いと集中力にすり替わってしまう我らが小澤の非劇場的な無味乾燥はどうだろう。(ブロークンな英語だけでイタリアオペラを振り、ドイツオペラを振るとはどういう了見なのか。自分が使えぬ言語のオペラは振らぬと言い切ったネッロ・サンティに笑われるだけではないか。)

或いはまた、かつてクレンペラーに悉く間違っていると言われた、あのケレン味あふれる才人マゼールはどうだ。しゃくれリズムで奏される欧州流の「てにをは」の無視、アメリカ流換骨奪胎の非常識と没趣味、ディズニー的な大衆化と世俗化。(振るものがことごとくパロディーと化してしまうのだから悲劇である。あの峻厳なクレンペラーには全てが書き割りや張りぼてに見えただろう。)

彼らが自身を振り返ってどう思っているかは知らぬが、いつまでたっても文化的な真実に一向に近づけないという点で、はたから見ていて或る種むごたらしい印象をもたらす例は残念ながら少なくない。(世界の小澤はいまだに自分の営みは日本人がどこまで西洋音楽を理解できるかの大いなる「実験」だと言っている。「生涯、実験」と言い切ってしまうのは彼らしいフランクな正直さで、それ自体は褒められてもいい美徳でもあるだろう。だが、結局、遂に最後まで分からないのだろうと確信させるに十分な正直さだ。彼がドイツ語の1つでもマスターしない限り、実験の成功は有りえないだろうし、多分それは永久に無理なのだ。日本人は日本人にしかできない西洋音楽を奏でるべきだし、それでいいのだという議論がある。結局そうならざるを得ないという実際の事情は別にして、それで当人は本当に満足できるものだろうか。)当然のことだが、個人レベルの才能や天才と文化的な真実は必ずしも一致するわけではない。

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そして(ようやく)今回の我が町のオペラである。縁あってオペラ協会から招待券をもらい、9月5日、土曜日の初日の公演に出かけたのだったが、「楽都」仙台の身の丈に合った(実に身の丈に合い過ぎた)オペラ公演を観て、私はしばしそれを表す然るべき言葉を見つけることができなかった。実のところ未だに言葉を失っているようなもので、もやもやとした自身の内からふさわしい言葉を掬い上げることができずにいる。というのも、そこにあった悲惨と喜びは、知りたいものを底の底まで知りたいと願いながら遥かにそれに遠い我が悲惨と喜びに通じているようで、密かに(そして大いに)身につまされているからである。市民のための教養行事としては価値があったに違いない。だが、芸術的にはおよそ評価のしようもない公演を聴きながら、残念ながら「本物」というものにいまだ手が届かぬ我と我が身を振り返らざるを得なかったのである。そして自分の手が果たして本物に届く日がいつの日か来るものであろうかと酷く頼りなく、心もとなく思われたのである。


公演は一面で言えば楽しかった。知った顔もあり、その点親しみを覚えたと言えば覚えたという面もある。以前の"魔笛"の公演では全部日本語で通したらしいのだが、今回はせりふは日本語だが、歌は原語上演であった。みなでドイツ語も勉強し、合宿も行い、ずいぶん早い時期から練習と準備が行われていたという話でもあった。オケはかなりルーチンだったにしても、オペラ好きが高じて出演するようになったアマチュアも含め出演者は懸命に演じ、歌い、その意味では感動的ですらあったろう。だがそれは、例えば学祭の出し物がそうであるようにそうだったのである。

Mozartを基準にして考えた途端、そこそこに楽しくもあった公演の様相は、残念ながら一変せざるを得ない。アーノンクールに私淑しているとのことだったので少しは期待した指揮者も、始まってみれば歌手たちのゆるいアンサンブルをまとめるために冒険ができるはずもなく、当たり前のただこじんまりした演奏である。そうなると、いまさら仙台フィルに様式感や音色の魅力や自発的なアンサンブルがないのはどうなるものでもないから、Mozartの劇場性が沸き立つはずも、古典の活力がメリハリよく活き活きと弾むはずもなく、テンポがあまり間延びしなかっただけまだましかというだけのものとなった。歌手陣は例によって弱く、夜の女王の上がきついのは仕方がないとしても、特に男性陣は厳しかった。タミーノはミュージカル調で歌のお兄さんといった感じであったし、肝心のドイツ語は完全にカタカナである。ドイツ物はほとんどやらない仙台オペラ協会であるから、カタカナ・ドイツ語になるのはやむをえないとは言え、肝心のザラストロのドイツ語が一言もドイツ語らしく聞こえないとなると聴いているのがつらい。歌手でまずまずだったのは第1の侍女と日本的なパミーナ、そして弁者ぐらいであったろうか。演出も異邦人たるタミーノを軸にするという設定と解釈が昇華するものではなかった。


これが「楽都」仙台の精一杯なのであろう。10月には所謂「せんくら」があり、食材宣伝と観光活性化のために「仙台・宮城デスティネーションキャンペーン」なるものも張られるわけだが、さてクラシック音楽の「地産地消」は如何。B級グルメと割り切って楽しむべきか。残念ながら、とてもそんな気にならぬのである。

2009/03/23

ドイツの祈り : ThomanerchorのMatthäus-Passion

 
„Christus am Kreuz“ Die kleine (Holzschnitt-)Passion  (Albrecht Dürer)

今年の復活祭は4月12日だが、復活祭が近づくと2000年に池袋の芸術劇場で聴いた聖トーマス教会合唱団とゲヴァントハウス管のマタイ受難曲を思い出す。この年の復活祭は4月23日だったが、この3月の公演は没後250年のバッハイヤー前半を飾る実に印象深いものであった。


10. März 2000 | 18.30 Uhr | 東京芸術劇場 大ホール

Thomanerchor Leipzig
Gewandhausorchester Leipzig
Georg Christoph Biller

Kirsten Drope (Sopran)
Susanne Krumbiegel (Alt)
Peter Schreier (Tenor-Evangelist)
Martin Petzold (Tenor)
Matthias Weichert (Bass-Christus)
Gotthold Schwarz (Bass)

Johann Sebastian Bach: Matthäus-Passion BWV 244b

マタイといえば、例によって私も禁欲的且つ厳格、烈々たる気迫と緊張感がみなぎるリヒターの旧盤で親しんできた口だから、バッハから16代目のトーマスカントル、ゲオルク・クリストフ・ビラーの指揮する少年合唱の清新で溌剌とした演奏はことのほか印象的であったのだが、実はそれ以上に40年以上の時を経てなお通底する、借り物ではない自身の血肉となった「祈り」に感じ入ったのである。

バッハ以来の伝統の力とは安易には言うまい。
 „Das Abendmal“ Die kleine (Holzschnitt-)Passion  (Albrecht Dürer)

壁が崩れて10年余り、西に併呑される形で統一がなってからも9年余りが経って、それなりに今時の少年や若者らしく見えるようになったThomanerchorの一人一人の少年の有り様にうかがわれたのは、伝統を継承する自負や使命感といったものものしく大上段に構えた、もったいぶったものでは最早なかった。
 „Christus auf dem Ölberg“ Die kleine (Holzschnitt-)Passion  (Albrecht Dürer)

そこにあったのはむしろ、キリストの受難と復活の物語が、幼い頃から慣れ親しんだままに自分たちの物語となっているという動かしがたい気配で、それはもっと日常的で、普段の生活の中に溶け込んで彼ら自身を当たり前に内から支えている馴染みのものと見えた。
„Christi Gefnangennahme“ Die kleine (Holzschnitt-)Passion  (Albrecht Dürer)

だが、その馴染みのものがものすごかったのである。
 „Christus vor Kaiphas“ Die kleine (Holzschnitt-)Passion  (Albrecht Dürer)

最初は特にそうとも見えなかった。日本で言えば小学生から高校生の少年達の入場は(特に上級生などは)若者らしい自意識と反抗心もチラつく、少しふてたような様子だったのだが、いざ先輩でもあるビラーが現れ指揮棒が構えられると、まさにその瞬間、一気に豹変したのである。
 „Die Dornenkrönung“ Die kleine (Holzschnitt-)Passion  (Albrecht Dürer)

上級生から下級生まで、それはもうしゃかりきといっていいほどの凄まじい集中力で歌い始めたのだ。冒頭の合唱は確かにああいう曲であるから、大抵一気に受難の世界に入り込むわけだが、その入り方がすごかった。
聴いているとあちこちからシュッシュ、シュッシュと蒸気機関車さながらスチーム音のような破裂音が聞こえてくる。何事かと思えば、何あろう彼らの発する強力な歯擦音なのであった。
„Die Kreuztragung“ Die kleine (Holzschnitt-)Passion  (Albrecht Dürer)

ドイツ語で特徴的なのは口蓋音と歯擦音であるわけだが、あれほどの歯擦音はそれまで聞いたことがなかった。各声部の少年達が揃って皆フィッシャー=ディースカウばりに(と言ってもわざとらしさはなく全く当然、自然に)鋭い歯擦音を響かせるのである。これは冒頭から強烈であり、また或る意味見事だった。
 „Die Kreuzigung“ Die kleine (Holzschnitt-)Passion  (Albrecht Dürer)

要所要所に打ち込まれるハーケンのように、この歯擦音がリズムとフレージングにメリハリをもたらし、歌詞に内的な真実味と気迫を加えていくのだ。このような感覚は実にドイツ語を母国語とする団体ならではと言わなければなるまい。歯擦音そのものは真似られても、アクセントやフレージングと不可分に結びついて、そのまま演奏の内実となって活かされていくというふうにするのは、外国の団体にはまずできない。
 „Die Grablegung“ Die kleine (Holzschnitt-)Passion  (Albrecht Dürer)

私はオープニングからすっかり感心してしまった。

その後はもう最後まで一気に聴いてしまったという感じであった。福音史家は円熟のシュライヤーで悪かろうはずもなく、バッハの語法に通暁したゲヴァントハウスのオケも燻し銀の音色で万全に支える。ソプラノは清潔な歌いぶりで美形だったし、アルトは実に誠実な歌いぶりで例のペトロの否認の後のアリア(Nr.39 Aria : Erbarme dich, mein Gott, /Um meiner Zähren willen!)などはことのほか感動的だった。珍しい初期稿での演奏であったが(「来たれ、甘き十字架よ」のところではヴィオラ・ダ・ガンバではなく、テオルボが使われていた)、ビラーの解釈は古楽流のアプローチも取り入れたなかなかに現代的なもので、先代のハンス・ヨアヒム・ロッチュの延長線上に伝統と最近の研究成果を無理なく総合したバランスのいいものであった。勢いもあり聴きやすかったし、何よりも少年たちをよく導いていた。トーマスカントルは少年合唱団のよき教師でなくてもならないのだ。 私はちょっと『飛ぶ教室』(Erich Kästner:Das fliegende Klassenzimmer)の正義さんことベーク先生(Dr. Johann Bökh : „Justus“)を思い出した。

トーマス教会合唱団の様子を見てつくづく思ったものだ。思想でも精神でも、それを空気や水や光のように、それそのものの内に、それによって生きるのでなければ本物ではないと。そして、すっかり彼らの血肉となっていて、彼ら自身が意識することは殊更なくても、見ている者にいかにもと感じ入らせた当のもの、それは見たところ本来古典語ギムナジウムであるトーマス校の隅々まで染み渡っているドイツ的なキリスト教精神というものであるようだと。
„Die Auferstehung“ Die kleine (Holzschnitt-)Passion  (Albrecht Dürer)

この時もまたいつもの友人と聴きにいったのだったが、その帰り道、例のごとくビールを傾けながら我々は次のようなことを話したものだ。我々が聴いたものはただの祈りではない、ドイツの祈りであったろうと。また、真にローカルなものこそ、逆に対話と理解をはぐくむのではなかろうかと。そして、人類という抽象的なお題目ではない、まさに自分たちの祈りを祈ることができることこそ基本なのではあるまいかと。
そこまで話して、我々はちょっぴり彼らがうらやましくなったのである。

2009/03/09

握り締めた拳の音 : Semyon BychkovとWDR Sinfonieorchester Köln 2

ケルンWDR交響楽団のホームページに日本ツアーのブログ記事が出ていた。 仙台の分は以下のとおりだ。

Japan-Tournee 2009 - Hina-matsuri
Katrin Paulsen
03.03.2009 (WDR)
Der nördlichste Trip der Tour führt nach Sendai. Die Luft ist hier deutlich kälter und abends rieseln sogar einige Schneeflocken. In der Hotellobby steht eine Art roter Treppenschrein. Was hat das zu bedeuten? Kyoko Shikata klärt das Rätsel auf: heute ist in Japan ein traditioneller Feiertag: Hina-matsuri, der Mädchen-Tag. Familien mit Töchtern stellen in ihren Wohnungen rot drapierte Treppengestelle auf, auf denen Puppen aufgebaut werden, die den kaiserlichen Hofstaat repräsentieren. In festlicher Kimono-Tracht wird dann gefeiert mit Süßigkeiten und guten Getränken. Das soll den Mädchen Glück bringen. Wie passend, dass die Tour gerade am 3. März hierher geführt hat, nach Sendai, wo japanische Holzpuppen hergestellt werden.

Vielleicht bringen die Puppen auch dem Orchester Glück. Sendai ist neben Kanazawa eine der kleineren Städte dieser Tour. Der Saal ist ein bisschen enttäuschend, klingt ein wenig wie ein Schuhkarton. Doch das Orchester spielt trotzdem ein tolles Konzert, es gibt viel Applaus. Viviane Hagner und das WDR Sinfonieorchester begeistern das Publikum.

Weniger gute Neuigkeiten erreichen uns an dem Abend aus Köln. Selbst in den japanischen Nachrichten wird gemeldet, dass in Köln das Stadtarchiv eingestürzt ist. Der Kölner U-Bahn-Bau hat also schon internationale Bekanntheit.

ツアー最北の旅は仙台です。こちらの空気は明らかに寒くて、晩には少しばかり雪さえちらつきました。ホテルのロビーには赤い階段状の櫃のようなものが置かれています。これは何を意味しているのでしょう?四方恭子がこの謎を解き明かしてくれました:今日は日本の伝統的なお祝い、女の子の日である「ひな祭り」なのです。娘のいる家庭では、家に掛け布で赤く飾った段々の棚をこしらえて、その上には皇帝の廷臣を表す人形たちが美しく並べられます。そして華やかな「着物」を着て、お菓子とおいしい飲み物で祝われます。女の子たちに幸運がもたらされるように願うのです。ツアーがちょうど3月3日に、ここ仙台へたどり着いたというのは、なんて相応しいことでしょう。ここでは日本の木彫り人形が製造されているのです。

たぶんその人形たちは、オーケストラにも幸運をもたらしてくれたのでしょう。仙台は金沢と並んで、今回のツアーの中では小さめの都市の一つです。そのホールは少し失望するもので、まるで靴箱のようにしか響きません。けれどオーケストラはそれにもかかわらず素晴らしいコンサートを行い、多くの拍手喝采が起こりました。ヴィヴィアン・ハーグナーとWDR交響楽団は聴衆を熱狂させたのです。

あまり良くない知らせは、その晩ケルンから届きました。ケルンの市史料館の倒壊は、日本のニュースにおいてすら報じられたのです。ケルンの地下鉄工事は、今や国際的に知られることとなってしまいました。


「日本の木彫り人形」というのは「こけし」のことであろう。来仙の歓迎に鳴子のこけしでも贈呈するか何かしたわけであろう。鳴子こけしは首を回すとキコキコ音を出すことができ、私の家でも飾っている。だが、地震の時はちと困る。

それにしても「靴箱」とは言ってくれる。実際そうなのだから仕方がないが、「靴箱」で聴く身にもなってほしいものだ。確かに多くの拍手喝采があったのだが、あのブラボーの連呼は東芝関係の「ブラボーマン」だったかもしれない。やや不自然な連呼ではあった。だが、ヴィヴィアン・ハーグナーはほっそりと華奢な美人で、派手すぎない赤のドレスに身を包んだ姿は、なかなかエレガントだった。

大地震でもあるまいに、ただの地下鉄工事で普通のビルが丸まる倒壊するとは酷い話だ。日本がかつての日本でないように、ドイツもかつてのドイツではない。Made in Germany品質も以前のレベルでは最早あるまい。古きよきものに心を傾けたい者にとっては実に嘆かわしいことだ。


ケルンと仙台はほぼ同じ規模の都市だが、文化的洗練よりも実学を優先するところなど実は意外と似たところがあるのかもしれない。どちらも広い世界に広々と風通しよく開かれている度合いが高いとは言えず、それ故やや独善に陥る気味がないとはいえない。ケルンのオケを仙台で聴き、ケルンと仙台の印象を合わせて振り返ってみた時、私はふと、上智で教えていたイエズス会士ヨゼフ・ロゲンドルフ(Joseph Roggendorf)氏の若かりし頃のエピソードを思い出した。ロゲンドルフ青年は仲間とワンダーフォーゲルのキャンプ旅行に出かけ、食事にはよくオムレツを作っていた。思いがけずいつもなかなか上出来で、われながら気に入った彼らはそのうまさを誇って自分たちのオムレツに「オムレツ・ア・ラ・パリジェンヌ」と名付けて悦に入っていたのである。ところがある日、旅の空でフランス人学生たちと知り合って、互いに自慢の料理を作りあうことになり、彼らの作ったオムレツをご馳走になった。それは自分たちが誇って作ってきたオムレツとは全く比較にならぬうまさで、それ以来「オムレツ・ア・ラ・パリジェンヌ」の名前はあっけなく撤回されてしまった、という話である。

笑い話とするか、教訓とするか微妙なところだが、ケルンも仙台も、Domを誇り伊達を誇っているだけでは十分ではないのではあるまいか。かつてベルティーニがベルリン・フィルを超えるオケにして見せると言ったオケは「おらが街」の土臭さを(それはそれで価値があるとしても)昇華するには至らず、「楽都」や「学都」と名乗っている仙台も(よその人は誰も知るまい)、ただ名乗っているだけで、せっかくのオケも「靴箱」で聴かなければならないのだ。


s.握り締めた拳の音 : WDR SinfonieorchesterとSemyon Bychkov 1

2009/03/08

握り締めた拳の音 : Semyon BychkovとWDR Sinfonieorchester Köln 1

Günter Wandのあるインタビュー記事であったが、ケルン放送交響楽団とのBrucknerの2番のアダージョの録音がいかにうまくいったか回想する部分があった。それ以上の録音はできないからということで、ハンブルク時代も再録音はしなかったわけであったが、そこでWandは当時のケルン放送交響楽団を評して、確か、「あの反抗的な」であるとか、当時まだ若かったオケの荒馬的な性格についても一言二言、述べていたのである。あたかも当然、周知のことであるかのように語っていたので、かえって「へぇーっ」と思って読んだのであったが、かつてのケルン放送交響楽団(Kölner Rundfunk-Sinfonie-Orchester)、3日のケルンWDR交響楽団(WDR Sinfonieorchester Köln)の演奏会を聴いて思ったのは、その性格は30年近くたった今も基本的には変わっていないのではないかということであった。


桃の節句には似つかわしくない、時に雪すらちらついた寒さの中、鼻水をたらしながら楽しみにしていたコンサートに行ってきた。年に1度恒例の東芝グランドコンサートで、今回も会場は平板な響きが嘆かわしいイズミティ21である。昨年のノリントンの時とは違い、今回目当てにしていたのはビシュコフでも、ヴィヴィアンでもなく、オケそのものの方であった。ベルティーニ時代に聴きそびれたのを残念に思いながら、結局今日に至ったのだ。10列やや左寄りの席で洟をすすりながら聴いたのであるが、これがまたなかなか単純ではない印象をあれこれともたらしてくれた演奏会であった。

03.03.09 | 19.00 Uhr | イズミティ21大ホール

WDR Sinfonieorchester Köln
Semyon Bychkov
Viviane Hagner, Violine

Robert Schumann  Ouvertüre zu Manfred op. 115
Ludwig van Beethoven  Violinkonzert D-Dur op. 61
Johannes Brahms  Sinfonie Nr. 4 e-Moll op. 98
Zugaben
Niccolò Paganini  Capriccio n.2: Moderato -24 Capricci op. 1
Edward Elgar  Variation 9 (Adagio) "Nimrod" -Enigma Variations op. 36

登場の様子はいまひとつ感心しなかった。ドレスデン・フィルの見事な入場を見て感服して以来、楽団のステージへの登場の有り様にはいつも注意しているのだが、このケルンのオケは今まで見てきたドイツの楽団の中では最もしまりのないものだった。さすがにみなが揃う前に座ってしまうなどという不心得はなかったが、全体にゾロリゾロリと入ってきて間延びし、揃った後の客席に向いての挨拶もどこか煮え切らぬ感じである。晴れ晴れと気持ちよく胸を張って、きちんと拍手を受けるというふうでなかったのは、正直なところ少々残念であった。ツアー強行軍のまさに最終盤で疲労のピークということであったろうか、顔色が悪く、ニコリともしないコンサートマスターのDiego Paginを始めとして、ファーストヴァイオリンの男どもの湿気た面は最後まで気にはなった。セカンドヴァイオリン以下の弦や管や打楽器の大半は、それでもなかなか元気な様子であったが、一部の男どもはアンコール終了後、拍手喝采が続いているにもかかわらず、いかにも早く 帰りたがっていた(実際にホルン吹きのJoachim Pöltlなどは勝手に先に引っ込んでしまった)。そこにはもしかすると、強行日程の肉体的疲労に加えて、鳴らないホールで余計な奮闘を強いられた不機嫌が混じていたかも知れず、さらにこじつければ、ケルンという現代都市の不機嫌やルールの工業地帯も襲っているに違いない経済危機のギスギスした不愉快さ、見通しの利かぬ不安といったものも反映していたかのようであった。

さて、肝心の音の方はどうだったか。これは見事に、マンフレット序曲の第一音からアンコールのニムロドの最終音に至るまで、実に紛れもなくケルンならではの音であったろう。シューマンもブラームスも、もうすっかりオケの手の内に入ったものだから、たとえ指揮者がいなくても十分という印象であったが、端から端まで高いポテンシャルと底力の感じられる力強さなのだった。しかし、それ故にか、それと同時にどこか荒ぶるというか、手綱さばき次第では乗り手を振り落として、後は梃子でも動かないといったゴツゴツした頑固、頑迷の気配も見え隠れするのである。これは頑固なオケに違いない。押し出しの強いミシッと目の詰まった音で、全体がまるでグッと握り締めた拳(こぶし)のようであった。しかもその拳が決して緩まないのである。無理に力んでいるのではなく、それが当たり前で、それ以外のありようなどは知らないと言わんばかりの雄雄しさなのだ。ケルンというほぼ百万都市の、機能的でクールなはずの放送オケでありながら、スマートさとは全く縁遠い野太さで、そのパワフルな無骨さが意外でもあれば、いくつかの録音を想い起こして、いや確かにそういえばそうであったのだと大いにうなずける気もしたのである。(Hans Vonkとの90年代のライブのSchumannなどはまさにこんな音であった。)

いつからそうしているのか知らぬが、意外にもビシュコフも両翼配置で、左から第1ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、第2ヴァイオリンと並び、チェロと第2ヴァイオリンの奥にコントラバス、左にホルン、右にトランペットとトロンボーンであった。昨年のStuttgartも両翼(第1ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラ、第2ヴァイオリン、奥1列にコントラバス)であったが、それにしても出てくる音はまるっきり異なるものであった。無論ノリントンのノンヴィブラートのピュアトーンと違うのは当たり前なのだが、そのことを差し引いても、それ以上に音の性質や背後の意味が違っているようであった。すなわち、柔軟に対して頑迷、洗練に対して野暮、新しさに対して古さ、笑顔とフモールに対して仏頂面とメランコリー、ワインに対してケルシュ、軽やかな羽に対してガツンとした棍棒、暖かな太陽に対して力ずくの北風である。ケルンのオケには洗練とか繊細とか柔軟さとか、そんなものなど薬にしたくもないというドイツ的頑固さ、それも田舎のそれではなく、都市におけるそれがよく表れているようで、全く面白い対照ではあった。(ビシュコフもベートーベンではところどころ管を強奏させたり、ティンパニを強打させたりして古楽流のスタイルを一部取り入れたということだったが、フレージングやアーティキュレーションがほとんどそのままなものだから、全体としては全く思いつきの域を出ていないようで、これはかえってちょっと比較にならなかった。)

では、それが嫌いかといえば、その反対である。工業地帯の煤煙のにおいも交えた父なるラインの質実剛健たる泥臭さ、聳え立つDomのように自分たちの流儀を決して譲らず、融通など利かせたくもないといった頑固な気配、ゴリッとした力ずくともいえる肌触りは、これまで聴いてきたドイツの楽団の中でも異質で、東西ドイツ時代ならいざ知らず、現在ではなかなかどうしてお目にかかることのできない、これはこれで稀少かつ魅力的なものではないだろうか。機能性と昔ながらのローカル性の融合である。シュトゥットガルトが新しい知の在り方を感じさせてくれるとすれば、ケルンは7,80年代の昔のGolfに乗っているかのようである。
[強いて言えばベルリン交響楽団(Berliner Sinfonie-Orchester : 現在の Konzerthausorchester Berlin)をうんと機能的にしたら少し似てくるかもしれない。]

それにしても、あのゴリッとした低弦の圧力は相当なものだ。特にチェロのぐいぐい押し出してくる音はパワフルで、あれほどゴリゴリと聞こえてくると、それだけでも痛快である。これでもしもっとホールの響きが上質だったら、低弦の堅固な土台に中域、高域、木管、金管が綺麗に乗って、管弦一体となった古き良きドイツ流の見事なピラミッドバランスとなったやもしれなかったが、実際は豊かに階層化した伽藍が屹立するまでには今一歩至らず、些か団子になったり少々ドンシャリ気味に響くこともないではなかった。ファゴットのHenrik Rabien(頭一つ分大きく、顔が真っ赤になるタイプだ)とクラリネットのThorsten Johannsの表情豊かで誠実なmusizierenぶりや、フルートのMichael Faustの清潔な思慮深さは大変好感が持てたが、響きそのものは空間の中にしっかり抜けきらないような、弦ともいまひとつバランスよく融けあわないような感じで、時にきれいに響かせるのに苦労しているような気配もあって、本当は昨年リニューアルした萩ホールあたりで聴きたかったのである。デッドな上に抜けも良くないものだから、倍音成分が綺麗に響かず、直接音ばかりを聴いているかのような具合になって音の美感が損なわれる感じなのだ。楽団員にとってみれば、平板で奥行きを欠いた響きのホールに抗っての演奏は、余計な負担のかかる、あまり愉快なものではなかったかもしれない。ましてやツアー強行日程の最終盤、疲労がいい加減蓄積していて、しかも前日が大阪のシンフォニーホールときては、疲労に追い討ちをかけるその落差にもう苛立ちを覚えるほどであったかもしれないのだ。そう考えると一部の男たちのあの湿気た顔も分からないではない。むしろその健闘をたたえるべきであろうか。無論私だとて、どうせ聴くならもっといいホールで聴きたいのだ。

2につづく