28日はフェルメールを観て、帰りはがらしゃに寄ってコーヒーを飲み、アップルパイを食べ、ついでに答案の添削をし、更に豆を買って戻ったのである。秋の日の過ごし方としてはよかったのではないだろうか。
フェルメールは手紙をテーマにした作品3点の公開で、順路最後の部屋に別枠で展示されていた。そこまで同時代のオランダの画家たちの作品を一通り観てきた上で最後にフェルメールを見直してみると、そこには当然のごとく共通性と別格の違いとの2つが看て取れた。18世紀オランダの市民社会、そこに営まれる生活の有様や示される人間の姿と言えばみなそうなのだが、フェルメールだけはどこか孤高の趣があるのである。当たり前の凡俗の中に埋没することのない非凡さ、孤独と超然といったものが感じられる。他の画家たちは親であれ反であれ、良くも悪くも世俗に馴染み、そこに棹差しているのだが、何故かフェルメールだけはまるで馴染んでいない。意識して背を向けているというのではない。もともと異質なのだ。現世と世俗に対してエトランジェじみた不思議な距離感が常にあって、それが奇妙で異質なのだ。しばしばフェルメールが「謎めいた」と評される理由の一端は、このあたりにあるのだろう。それをこの目で確認できたのは良かった。実物を見て、同時代者の中に並べて置いてみて、それで見えてくるものがある。
一方、こちらも非凡である点では共通である。"がらしゃ"のコーヒーも凡俗レベルではない。この店をこれまで知らずにいたのは、不覚と言うべきであった。
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