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2009/02/24

洗練されたナチュール : メゾンカイザー (MAISON KAYSER) のパン

「東北初」という言葉に弱いわけではないが、初のアイスクリームとパンには弱いのである。さすがにオープン早々の行列を押してまで出かける気はないし、むしろその喧騒を厭う気持ちの方が強いのだが、一段落して落ち着いてきたらそのうちという思いは頭の片隅にくすぶっていたものらしい。埋もれ火のようにひそかに、しかし、しぶとく機会をうかがっていた我がささやかな欲望と好奇心のおかげで、昨年暮れは仙台PARCOにできた"コールド・ストーン・クリーマリー"で例の歌を聞いてアイスクリームをなめ、先日は泉パーク・タウンTapioに入った"メゾンカイザー"で洗練されたパンの数々を求めることができた。
               (※写真はオープン当初のもの)


実は特にそのつもりもなく、何の気なしに出かけたのである。家の買い物で車を出したのだが、頭の隅で気にかかっていたのだろう、そういえばメゾンカイザーがあるんだったなとふと思い出した。ライ麦系のパンはどの程度あるのだろうか。今頃ならもう、すっかり落ち着いているのではなかろうか。逸品だというクロワッサンをかじりに行ってみようか。などと考えて、ならばと、そのまま曲がるべき角を曲がらずに、足を伸ばしたわけである。案の定、店は混みすぎても、空きすぎてもおらず、目敏く見つけた下のパンのことを訊けば、奥に行って聞いてきてくれるという具合であった。



尋ねたのはトゥルトという(ちょっと見カンパーニュと変わらぬ)田舎パンのライ麦混合率だったのだが、奥に聞きに行った売り場の担当者は小麦全粒粉40、ライ麦粉40、小麦粉20という全体の配分を聞いてきてくれた。ライ麦40というのは一般的なカンパーニュに比して高いわけで、分類的にはWeizenmischbrotであるが、これは悪くなさそうだった。また、同じトゥルトでも丸型とナマコ型の2種類あったのだが、どちらも「小」だというのにそこそこ大きいというのも良かった。これならクラストはパレッ、クラムはしっとりという望ましいメリハリが期待できる。丸型は直径が20センチ以上あったろうし、ナマコ型の方は優に40センチを超える長さで、大袋にも納まりづらいのであった。(となると、さて「大」はどれほどの大きさになるのか気になるところだが、まずは食してみた上でのことよと、今回は訊かなかった。今度行ったら尋ねてみなければなるまい。)

結局、トゥルト小×1、いちじくのパン×1、クロワッサンザマンド×1、クロワッサン×2の計5ヶを求めた。クロワッサンはさっそく車中で1つかじり、評判にたがわぬ味を確かめた。我々がクロワッサンというものに求めているものそのものという感じの味わいで、バターの豊かだが豊かすぎない風味といい、サクサクした軽やかな皮にやわらかいのにきめ細やかで張りがある中身といい、風味、食感とも重さと軽さのバランスに優れた洗練の逸品であった。これは飽きずに毎日食べることのできるという点で確かに1つの完成されたクロワッサンである。クロワッサンザマンド(これはほのかにラムも効いてコーヒーとベストマッチングだが、いったいどれほどのカロリーなのか、やや恐ろしいところもある)もいちじくのパン(生地に折り込まれて一体化したいちじくの風味が、プチプチとはじける細かな種の食感ともども実に良い)もおいしかったが、1番感心したのはやはりトゥルトであった。


かみしめた途端、ライ麦のさわやかな香りが鼻腔内いっぱいに抜けていく。このすがすがしく、さわやかな実にライ麦らしい香りは、久しくかぐことの叶わなかったものであった。きちんとエリックカイザー ジャポンで修業した職人が焼いているのに違いないが、40%のライ麦でこれだけ香りたつというのは、性のいい天然酵母もさることながら、はたして使われている粉そのものからして違うのではないだろうか。Eric Kayserらによって研究され、選び抜かれた諸々の粉が、吟味された最適な割合でブレンドされて完成した配合という感じがするのである。コーヒーやウィスキーの名ブレンダーが、豆や原酒をブレンドすることによって、それらの最も良いところを引き出すと同時に、単独では薄くなりがちな部分を絶妙にカバーし、全体の完成度を上げていくのと同じ作業が、この粉の配合でもきっと行われたに違いないと思えてくる。中はライ麦の比率からしてみっちり、ねっちりというわけではないが、魅力的な不均質な気泡があいて、期待していたとおりしっとりと柔らかな弾力に満ちて、適度な酸味とこくを持ち、色も良い。田舎風パンなのだが、実に洗練された、巧妙に設計された完成品を食べたという印象であった。

バーニャが本当の田舎の農夫のパンだとしたら、こちらはパリジャンが休暇を田舎で過ごしているという感じか。自然すら洗練され整えられて、土くささがないので、そこで評価が分かれることもあるだろうか。ちょっとKarajanのBeethovenに通ずるような感じがする(スマートすぎる)のが気になるといえば気になるが、堂々たるメジャーの味であることは疑いを得ない。この洗練は町のベーカリーにはないインターナショナルな色合いである。そこにユトリロの壁の色や染みはあまりないにしても、きれいな現代都市パリの息吹は感じられる。

次にPARCOの1Fであの楽しげな歌を聞くのはしばらく先になりそうだが、Tapioにはもう次の休日に、もし天気が良ければ、今度は自転車を飛ばして出かけるつもりだ。




※補足しておけば、トゥルトを買うならぜひ丸ごと求めるべきだ。4分の1に切られて袋に入れられているのは全く別物のようである。ビニール袋の中で窒息して、皮のハリも、もっちりした食感も、すばらしい香りも失われてしまっている。本来の味わいを楽しむつもりなら丸のまま買わねばならない。

2009/01/30

バーニャのパン "Pain bagnat" 再び

先日、ほぼ1年半ぶりにバーニャに出かけた。知らぬまに店のファサードが変わっていて(前はpanだったが、今度はpain)、かくも長き無沙汰であったかとすまなく思う気持ちも(何がすまないのか知らぬが)ちらりと走ったが、中に入ってあのむせかえるほどのバーニャの匂いに包まれた途端、18ケ月に及ぶ時の隔たりは瞬時に消え失せてしまった。鼻腔から奔流のように流れ込み、まとわりつくように我らの官能を鷲掴みにする例の匂いは全く変わっていなかったのである。
(変わっていたのは店の正面だけで、匂いも店内も
ぜんぜん変わっていなかった。)

あれほどの匂いはどこにもない。店で匂うばかりではない。たった1個のカンパーニュを家にもって帰って袋から取り出す。すると部屋中に匂いが満ち溢れるのである。取り出したパンを左手でささえて、右手で切る。するとパンを持った手も、ナイフを持った手も窯くささに煙るかのようである。我々はバーニャのパンを食べる時、ただパンを食べているのではない。無比の匂いも食べているのだ。これこそこの店の紋所である。


朝一番に行ったので狭い店内にいるのは私だけで、
無論一歩入った一段上のレジスター前にはパワフルなお母さんがいたし
(帰りには「どうもでしたー」と声をかけてくれるし、時々一切れ切ってくれる)

まだ分けられていない大きなパン生地ののった奥の作業台には若いが目力のある頼もしい店主と
(以前、用事で仙北の田舎の方に行くことを話したら、宮城の米どころのうまい米に負けない、きちんとした主食になりうるパンを焼きたいと言っていた)

共に作業中の同年輩の職人が2人いたが
(初めて見た)
焼き上がって強烈な存在感を主張するパンたちにゴロゴロと囲まれて、実に贅沢な時間と空間を独り占めすることができた。


それにしても、このバーニャのパンどもの存在感と個性はどうだろうとつくづく思う。並大抵のものではない。久しく遠ざかっていた私は、しばらくぶりに直接それらを目の当たりにして、その一個一個から強力に放射されてくるパワーに改めて感嘆の念を禁じえなかった。


棚の前に立つ私に、それぞれのパンが自己の存在を強力にアピールしてくるのである。
「さあ、俺を是非食べてみてくれ。俺は滅法うまいぞ。」とか

「選ぶなら、このあたしを選んでちょうだい。よそのだれともぜんぜん違うんだから。」とか

「おい、滋養のあるいいものを食えよ。例えばこの俺様をな。」とか

ジッと見ていると一個一個のパンから、そんな声が聞こえてくるかのような錯覚に襲われるほどなのだ。

(私はこの印象が決して大げさだとは思わない。朝、独りきりで、焼き上がって所狭しと並ぶバーニャのあのパンたちと直接対面してみれば分かるはずだ。一個一個のパンの顔が見え、声が聞こえてくる気がするに違いない。何をバカなと思われる方は機会を見つけて是非試してみられよ。)


雄弁な個体あり、朴訥、寡黙な個体あり、ざっくばらんで朗らかな個体もあれば考え深く気難しげな個体もある。その有り様は実に面白い見もので、その強烈な個性の陳列はしばし見飽きることがないが、そのどれにも共通しているのは、見事なほどに気取りのない逞しさである。ハード系のパンたちは言わずもがな、ソフト系のパンたち、ペストリー、タルト類に至るまで、みな健康で逞しく、力強く骨太だ。農耕馬のように頑健そのもの、実質に満ち、およそ繊細ぶったり、上品ぶったり、気取ったりといった無駄なポーズがない。(逞しい働き者に素顔美人、言ってみれば風大左エ門に菊ちゃん、花ちゃんといったところか。)顔の焦げ、傷やたんこぶの1つや2つなにするものぞ、虚飾を軽蔑し、中身で勝負する。無論ストレートの真っ向勝負だ。彼らの健やかで飾り気のない、質実剛健ぶり、素朴でおおらかな有り様、信じる道をまっしぐらに突き進んで行く強い意志を見ていると何とも清々しく、元気で晴れやかな心持ちになる。


当然、華奢な繊弱さはどこにもない。軟弱、虚弱、病的なものは一個、一片たりとてない。つまり、華奢ではかなげな美人薄命といったような、言わば佳人の趣をもったパンはそもそも「原理的に」ありえないわけで、もしそういうものを求めるなら、どこか別のところを探すほかない。退廃と紙一重のデリケートな媚態、爛熟、アンニュイな眼差し、蠱惑的な洗練や手練手管などはバーニャには金輪際無縁なのだ。人の好みとは勝手なもので、時に病弱はかなげな佳人に惹かれることもあり、人をたぶらかす性悪女に入れ込むこともある。ファム・ファタール(Femme fatale)に身を滅ぼす破滅の誘惑もないわけではない。デカダン派を好む者にとってはバーニャは健康的に過ぎるだろう。デカダン(dcadent)、そのようなものは、たとえ上から下まで探し回ったところで(たとえ逆さにしたって)バーニャでは見つかりっこないのである。バーニャの健やかさは筋金入りなのだ。



バーニャのパンどもは世の中が過度に複雑化する以前の力強い大地に根を持っている。黄金色に実った麦、ふりそそぐ陽光、大地をしめらせる雨に人の世の俗な思惑はない。

s.バーニャのパン "pan bagnat" (2008/05/28)

2009/01/27

Boulangerie Sakurai Toshitakaのパン

Boulangerie Sakurai Toshitaka (ブゥランジュリ サクライ トシタカ)  を見つけたのは偶然だった。普段の散歩の足をぐっと伸ばして岩切の方まで行った折に、小さいが雰囲気のある店に目がとまって、そのまま入ってみたというのが4年ほど前のことである。ちょうどプチマドレーヌを売り出したかした時で、パンのおまけに2,3個入れてもらったような気がする。バーニャのような強烈な個性はないが上質なパンが並んでいる気配であった。長い散歩の帰り道に歩きながら1,2個かじって、以来よく行く店の1つになっている。去年は高森のキャラウェイに2号店もできて、さすがにどちらも歩くには遠いのだが、車で走るには同じようなものだから、月に何度かは(一方或いは両方に)行くという感じである。

気に入って、有れば必ず求めているのは、

「カンパーニュ」(Miche de campagne aux levain)
これは食事パンとして素晴らしい。もっちりした内部に味わい深い外皮。魅力的な気泡があり、そして風味が良い。店自慢の逸品で見た目の風合いも良く(バーニャの野趣あふれるカンパーニュと違って、かっこうもよい)、切らずに丸のまま求めれば、直径30cm超の立派なたたずまいで、十分お土産としても持っていける。
「レーズンバタークリームが挟まったパン」
これは必ず帰り道にかじることにしている。何といってもぱれっとしているうちがうまい(時がたつと香りがとぼしくなる)。ばふっと丸ごとかじると香ばしい小麦の風味が鼻に抜けてくる。バタークリームもうまい。(バター高騰のおり、キャラウェイ店ではせっかくのこのうまいバタークリームが単なるホイップクリームのようなものになったことがある。これは実にけしからんことであったが、その後元にもどり私は大いに安堵した。)
「キャラウェイ店で3日毎に焼いているという50%のライ麦パン」(Pain de seigle)
なかなか焼いた日に当たらないのだが、当たる当たらないも楽しみのひとつと思って、行く前に確かめたりはしない。所謂Mischbrotだが、ライ麦パンらしいライ麦パンで、その点ではバーニャにまさる。このライ麦パンにはアプリコットの入ったものやビターチョコレートがねじ込まれたバリエーションもあって、チョコレートのものなどはそのままでバッカスの友たりうる。(岩切本店でも焼けばいいのにと思うのだが、泉のキャラウェイ店でしか焼かないというのもそれはそれでわるくはない。向こうにはカフェがある。)
以上の3種である。

ここのパンを食べ始めて4年ほどの時が経ったが、泉キャラウェイ店の出店などに伴う諸々の混乱を乗り越えて、現在が一番安定しているのではないだろうか。今なら安心して人にも薦めることができる。買ってきたうまいパンを食しながら、私は満足する。それでもふと不可解な過去が頭の片隅をよぎり、そして、ちょっとした今昔の感も覚えるのである。私はふと思い出す。

一頃は
今ではもうそんなこともないが、一頃はパンの出来映えにも接客にも結構むらがあって、時々「あれっ、どうしちゃたの?」ということも一度や二度ではなかった。客としては当初、ずいぶん戸惑ったものである。
前にうまかったパンが次はそうではない。毎度必ず買っていたものがあったものだから、否応なく違いを感じざるを得なかった。帰り道に必ずかぶりついていたレーズンバターのパンなどは、ある時は実に香ばしく麦の力強い香りが口腔内に広がり、心地よく鼻から抜けていったものが、またある時はふがふがの食感ばかりで、およそ風味というものがなくなっていたという具合である。私は帰りの車内で、あったはずの香りを虚しく探し求めたりもした。

いくら呼んでも誰も出てこないこともあった。いないのではない。奥に職人はいて誰かと話をしながら、そして客に気がついていながら、接客は自分の任にあらずを決め込んで一言の断りもないのである。奥には小さな子供とその母親の声も聞こえ姿も見えていて、彼らにもこちらの声が聞こえていないはずはないのだが、やはり出て来ないのである。カウンターにはあきらめて帰ったのであろう、前の客が残していったと思われるパンの載ったトレーがそのまま放置されていた。私は帰るつもりはなかったが(出て来ぬなら出て来させてみしょうホトトギス)、『これはいかんだろう』と思ったものである。やっと出てきた手伝いの中年女性は残されたトレーを見ていぶかしんでいた(「これお客さんのですか?」)。職人もその時当番でないにしても店の子供の母親も何たる不心得か。

昼前に行ったところ、目当てにしていたハード系のパンが全然ない。のっそり出てきた職人にハード系のパンはもうないのかと聞くと、これから焼くんだからまだないよと言う。見れば確かに、さすがに寝起きではあるまいが、「さあてこれから仕事でも始めてみようかな、ふあぁ~」という感じである。 豆腐屋と並んでパン屋は朝が早いもんだと思っていたものだから、これにもやや驚いたものだ。今にもタバコでもふかしそうなその職人の様子から推して、もしかするとこのパン屋はサクライ トシタカとその仲間たちによるイージーライダー的な店なのかもしれないと思ったりもした。『こいつらは自由を求めて集まった仲間たちで、好きなときに好きなパンを好きなように焼くだけで、世の中の要請などは全く気にしていないのに違いあるまい、フランスの衣をまとっているが中身はアメリカンなのだ、連中のメンタリティーはBoulangerieというよりもDinerに近いのだろう、きっとそうだ、そうに違いない』と(上述2つの点もあって)考えたわけである。(もちろんそんなことでは全然なかったのだが、その当時は店主を見たことがなかったのである。)


今なら分かる
私がこの店でパンを買い始めた当時は三度に一度はこんな具合で、いい時はいい(わるい時はわるい)という店であった。これはいったいどういうことであったのか、キャラウェイ店を出店してそれなりに落ち着いてきた今の目で振り返ると、なにやら分かるような気もするのである。キャラウェイへの出店ではその準備のために長いこと本店は完全におろそかにされて、客に対して情報らしい情報も出なかったが、3,4年前当時の味や接客の不安定と昨年の新店オープン準備期の混乱には通底するものがあるように思えるのだ。

というのも、あの岩切店の外観からは想像しづらいが、意外にもこの店には前から、この地を飛び出してもっと広い世界に出て行きたいという拡大志向が認められる気がしていたからである。利府のヨークベニマルに卸したり、出張販売を行ったり、他にもどこかの店にでも納めていたのだろうか、納品用のパンケースがよくカウンターの奥に何段も重ねられていて、店そのものの棚が二の次になっているようなことが時々あった。また店の若い母親に接客のうるおいというものが欠けていることもしばしばであった(今は全然違うのだが)。夢があったのか、生活があったのか、愛する家族のためであるのか、将来への不安であるのか、そこにはなんとかして世に躍り出ようともがいている気配が垣間見え、しかしなかなか思惑通りにいかないというザラッとした気配も(利府のヨークベニマルなどであの手のパンが売れるはずもなかったろう)見て取れるようであった。そして特に不思議だったことが、あんな小さな店だというのに、店で店主を見かけたことがないということであった。バーニャに行けばたいてい店主を見かけるし、話をすることも出来る。そこには強烈な個性の一貫性があり、亭主の意志が店の隅々まで貫かれている。ところがサクライ トシタカの岩切のあの店には当時、店主の気配がほとんど感じられなかったのである。自身の名前を冠していながら、そこにすべてを懸け、注ぎ込むという感じでないところが私なぞにはやや物足りなかったのであるが、今思えば新店出店の夢を腹の中に抱え、それ目指して直接、間接にいろいろと飛び回り活動していたのではなかったろうか。そうして、あれこれとうまくいったり、いかなかったりしていたのではないかと推測するのである。店主にはここだけにかまけてはいられない、他にやることがあるという気の離れがあり、夫人には不安があったのではないかと想像する。そうでなかったら、あんな味や接客のむらが、またあんな職人の態度があるはずもなかったろう。

となると、あらためて昨年のキャラウェイへの出店はまさに待望のことであったろうし、念願であっただろうということも分かるのである。オープンに向けて本店の方が完全にお留守になったという(普通に考えれば不手際も)、そう考えれば理解できる。スタッフがそろい、キャラウェイ店がめでたくオープンし、(ハード系のパンを求める客層の幅が岩切とは比較にならぬ)高森の地に足がかりを得て夢は実現したのである。もしかするとこれはまだもっと大きな夢の一環でしかないのかもしれないが、それでもこの一歩の意味は大きい。踏み出せたのとまだ踏み出せずにいるのとでは、客観的な状況としても当事者の気持ちとしても雲泥の違いがあろう。オープンから数ヶ月を経てそれなりに軌道にも乗ってきて(初めのうちはそこの窯に慣れていなかったのか、スタッフが不慣れだったのか、全然違った姿のクロワッサンが並んでいた。今では本来の姿である)、それにともない岩切本店の方もまたいい感じに落ち着いてきたように思える。全体に以前よりもゆとりがあって、心地よい雰囲気が感じられる。この間は、実に初めて店主の姿を本店で見ることができた。

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勝手な推測であるが、もろもろの件を考え合わせた私なりの解釈ということである。正しいかどうかは別にして、当時戸惑い、それでも今日までそのパンを食べ続けている自分のために一連の不可解さを解いてみる必要があったわけだ。1つ言える心得は、初めて聴く演奏家を聴く時の心得と同じである。つまり、1度だけで判断するべきではない。少なくとも2度は耳を澄ますべきだ。あり得るかもしれない可能性に耳を澄ますべきであろう。それでよければ聴き続けていって損はないのではあるまいか。

2008/05/28

バーニャのパン "pan bagnat"

柏木にある「バーニャのパン」("pan bagnat")はごく小さなパン屋で、売り場そのものは一坪ほどしかない。客が二人入ればきつく、三人入ればぎゅうぎゅうである。一方通行路の狭い道に面して、店の開く朝 8時から品切れになる夕方まで、常連客やら贔屓筋やら或いは評判を聞きつけたパン好きなどでそれなりににぎわいながらも素朴で不器用なたたずまいを見せている。よって立つ理念はフランスの(下町の)街角のパン屋のようで、残念ながら正統ドイツ・パンではないのだが、うちの菩提寺に近いこともあるし、小麦全粒粉なり高濃度のライ麦パンを数種類選べることが貴重且つ稀少ということもあって、仙台に戻ってきて以来、私もちょくちょく利用している。

「パリジャンのパンではない」
狭い店内には洗練というのには程遠い素朴で不細工な、それでいて実にうまそうなパンが所狭しと並んでいる。それらはごつごつしたジャガイモのように美しいが、スマートさとはまるで縁がない。それはもう実に素人じみて見えるほどである。粉や水や塩や酵母やバターや窯や火といった素材そのものをストレートに感じさせるパンは、どれもこれも密度が高く重量感があって(一部のパンなどもし投げて当たったら確実に昏倒するだろう)、普通はパリパリ、サクサクで軽やかであるはずのクロワッサンですら文字通り持ち重りがするのである。まるで薪の石窯で焼いたかのようなバケットもどちらかと言えば森の木のように硬くしまっていて、焼き色も「黒い」。見た目はお世辞にもいいとは言えなかろう。それらはまるで森の木や薪の枝のようで、ふくよかだがよくしまってはちきれんばかりになっている格好のいい健康なお嬢さんの黄金色の二の腕ではない。これはおしゃれなパリジャン、パリジェンヌのパンではない。言ってみれば、ミレーの農夫が食べるパンなのである。しかしこれはこれで確かに魅力である。というより、それが魅力なのだ。



「ヘーゼルナッツの匂い」
しかしそれだけではない。バーニャのパンにはもう一つ、素朴な力強さ以外に人を捉えてはなさない要素がある。それは「匂い」である。比喩ではなく、どのパンにも他のどこでもかぐことの出来ない(少なくとも私はかいだことがない)匂いがあるのだ。バーニャのパンならではの匂い。窯くささとでも言おうか、素朴というのとはちょっと違う、変に癖になるそそるような匂いである。バターをまるで使わないパンにも(例えばバケットやライ麦パンにも)やや甘い焼けたバターのような、そして私の好きなヘーゼルナッツのような匂いが香ばしくもしめやかに乗っていて、最初私はてっきり窯の匂いが移っているのだろうと思っていた。幾種類ものパンを(バターを多く含んだものも100%のライ麦パンも)次から次へ同じ窯で焼き続けるために全ての匂いが混ざり合って、それが乗るようになったのであろうと推測していたのである。少なからぬパンにその当のパンのものではないと思われるこげが付いていることなどもあって、なおさらそうであろうと思っていた。ところがそうではなかったのである。

「窯の匂いではなかった」
この持った手ばかりか服や髪に移るほどのバーニャならではの匂いは、純粋にライ麦パンの風味を味わおうとする者には少々邪魔にはなるものだ。小麦パンなら問題ではないのだが、ライ麦パンとなるとライ麦本来の風味が損なわれるところがないわけではない。使っている粉の挽き様や配合、種も通常よく使われている酸味の強いサワー種ではないらしいことなどの影響も大きいと思うのだが、高純度のライ麦パンであるにもかかわらずライ麦好きにはライ麦らしさが十分ではない。あの魅力的な匂いにライ麦本来の香りが覆い隠されているという感じだろうか。だから、同じパンでも挽きたてライ麦の爽やかな酸味と渋みが香り立つ正統ドイツ・パンに比べることは実のところ出来ないのではあるけれども、しかし食べつけるにつれていつの間にかそれはそれで奇妙に癖になってくるものなのである。中毒性があるとでも言おうか。それが気になっていたので、あるとき店主に訊いてみたのである。

「この独特の風味は窯の匂いですか?」と私。

「いえ、酵母の匂いです。」と店主。
(まだ30代であろうか。禁欲的な職人という感じではないが、強力な探究心と背後の世界を感じさせる主人だ。)

「酵母の。」

「うちでは水と粉だけで酵母を起こしているんです。それを熟成させていくうちに酵母がもろ味のようになってきて、ハシバミのような独特の風味が出てくるんです。酵母を葡萄汁のような果汁で起こすこともよく行われていますが、果汁だと熟成を進めてもすっぱくなりすぎてあまりよくないのです。」

「なるほど、そうだったのですか。いや、ありがとう。」

そういうことだったのである。独特の風味の正体は水と粉(小麦全粒粉だろうか)だけで起こされた自家製酵母の風味だったのである。ほとんど全てのパンにその風味があるのはその酵母が使われているからというわけであった。「ハシバミ」といえば、つまりヘーゼルナッツである。あの妙に癖になるヘーゼルナッツのような(そして確かにもろ味のようでもある)風味の正体が分かって、私は妙に得心した。(もっとも「全て」ではないようだ。バケットにも2種類あって一方のフランス産小麦で焼いているものなどにはこの匂いがなかったようだが。)

「しかしそれでいい」
継ぎ足し継ぎ足されて熟成が進むうなぎ屋のたれのように、長く大切に熟成が進められてきた酵母にはやはりその場限りのものにはない味わいと魅力と力と癖があって、それゆえにそれがわれわれを強く惹きつけるのだろう。そしてその強力な武器である小麦天然自家製酵母が、その本質が強力であるだけにライ麦パンもその色に染め上げてしまい、結果いささかの違和感を感じさせるのでもあろう。そしてそれが正統ドイツ・パン好きに物足りぬ感じを引き起こさざるを得ないのでもあろう。(物足りぬものついでにもう一つ言えばクリスマス・シーズン以外にも出ているバーニャの「シュトレン」もおよそシュトレンらしからぬ軽さでまるでガレットか普通の焼き菓子のようである。正統シュトレンに比して非常に安く、これはこれでうまいのだが、発泡酒がビールでないようにあれはシュトレンとは言えなかろう。)

しかしながら、それでいい。バーニャはドイツ・パンの店ではないし、そもそもそれを目指してもいなかろうから。あの強烈に個性的な力強いパンがごろごろと並ぶうまいパン屋が買いに行こうと思ったら買いに行ける距離にあるという幸運を思うべきであろう。(ここしばらく行っていないのだが)買いに行こうと考えただけで豊かな気持ちになれる店というのはそうたくさんあるものではない。もしもなくなってしまったらひどく寂しい気持ちがするだろうことは確かである。


s.バーニャのパン "Pain bagnat" 再び (2009/01/30)

2008/05/26

回想の黒パン-神田精養軒2


当時(今でもそうだが)、仙台の神田精養軒は小さな販売店舗が駅ビルのエスパルに入っていて、数はさほど多くなかったものの種々の黒パンや白パンを置いていた。その他にもリンゴとカボチャのどちらもシナモンのよく効いたアメリカン・ホームメイド・スタイルのパイがあったり小麦全粒粉やライ麦のクラッカーであるクネッケがあったり、或いはクッキーやプチ・マドレーヌといったものが並ぶ所謂「バタくさい」店であった。元々が西洋料理なのであるからそれはそれで不思議はないのだが、その「西洋風」がよくあるフランス風、洋菓子店風の華やかさでは全然なしに中欧風、修道院風な色気の無さであったのが一言で言えば「異質」であった。禁欲的とでも言おうか、その飾り気の無さはトラピストのバターやガレットに漂う雰囲気にも通ずる素朴さで、今でこそ色々なタイプの店があって特に珍しくもなくなったが、当時一般的だったパンや洋菓子の店としては少々風変わりでそれだけ印象に残ったのである。たまに母のお供で店を訪れる時には、私は決まって修道院の回廊や中世の石畳を連想した。

さて、母が買ってきたプンパーニッケルはその異様な重さに一種のカルチャーショックを覚えたが、味には大いに満足した。白パンにはあり得ないずっしりと粘るような噛みごたえ、奥行きのあるさわやかな酸味とほのかな渋み、噛めば噛むほど増してくるように思われた味わいなど全体としていかにも力強いものであった。初めはただ食べ、次にバターを塗って食べ、更にはチーズを載せて食べ、その上更に蜂蜜を垂らして食べたのだったが、「バターやチーズというものがパンというものにいかに合うか」ライ麦パンを通して初めて実感した気がしたものである。ライ麦パン特有の酸味とバターやチーズの濃厚なこくと乳製品らしい甘みが実に絶妙であった。当時チーズはほとんどがプロセスチーズで、今振り返ればくどいわりにのっぺりしてあまり面白みのある味ではなかったのだけれども、それでも私はそれをやけに厚切りにしてぬかぬかとした食感共々に大いに満喫したのである。

これが私の本格黒パンの原体験だが、それももう「今は昔」のこととなった。少年が老いただけではなく、神田精養軒もパンを焼かなくなったのである。2年ほどにもなるのだろうか、パンの販売が終わると聞いて買ったのが最後となった。かつての店の雰囲気はとうに変わっていて、もう普通のマドレーヌ屋さん、クッキー屋さんという感じではあったのだけれど...いずれせよ残念なことではある。

昔の神田精養軒には原体験後もよく買い物に出かけたが、学生時代から二十年余り続いた神奈川時代も町田や茅ヶ崎店で「シュレーゼンブロート」とか「ホルシュタインブロート」といったライ麦率の高いものばかり選んでは丸々一本、二本と頼んだりしていたのだった。神奈川での私のパン生活は専ら紀ノ国屋の袋入りをスーパーで買うか神田精養軒で注文して頼むかであった。まだ街のパン屋は開拓していなかった。

神田精養軒も店の雰囲気が変わったように時代の流れの中でパンの味もやや変わって来ていたが、パンそのものが消えてしまったのは何とも残念なことであった。たとえあの思い出のプンパーニッケルが以前よりもマイルドでライトになっていたとしてもである。久しぶりにと思っても最早食べることは出来ないのだ。あのパンはもはや記憶と回想の中にしかないのである。

2008/05/20

回想の黒パン-神田精養軒1

仙台に戻って来て早4年が過ぎた。時の経過と環境の変化は変化を嫌う私のようなものの習慣や嗜好にも少なからぬ変化をもたらしたが、かえって逆にその指向が強まったものもいくつかある。30年来続くコーヒーやライ麦パンへの嗜好もそうである。

「店」や「豆」を選ぶだけであったコーヒーはついに生豆を取り寄せてわずかではあるが自家焙煎を始めるようになり、パンはライ麦粉と水だけでサワー種を起こして100%のRoggenbrotを自ら焼き始めた。「気に入ったものがなければ自分で作れ!」という極めて積極果敢な策だが、もっとも自分で作ったからといって必ずしも気に入ったものになってくれはせぬところが「人生」というわけではあろうか。しかしながら、この手なぐさみのおかげで私は改めて店でパンなりコーヒーなりを選ぶ際に、以前とは異なる新たな選択や妥協の基準を得ることができたのも確かである。

当時は専ら種類の別なく「黒パン」と呼んでいたが、私が初めて本格的なライ麦パンを食べたのは中学の頃である。母が買って来たのは「神田精養軒」の「プンパーニッケル」であった。当時よく買っていたホームメイドタイプのアップルパイと一緒にその日は煉瓦のように重いパンも買って来たのである。袋であったか一緒に入っていた紙であったか「シュタインメッツ製法」で製粉されたライ麦粉である旨が図解入りドイツ語入り(だったか?)で記されており、パンはただのパンではなく素朴な力強さとドイツ正統の重厚さを否応もなく漂わせていた。子供の頃に読んだ本の挿絵で見て、それ以来心ひそかに思いを募らせていた「黒パン」なるものを目の前にして、その期待にたがわぬ存在感に私は或る種の感動をすら覚えていた。

2 につづく