2008/05/28

バーニャのパン "pan bagnat"

柏木にある「バーニャのパン」("pan bagnat")はごく小さなパン屋で、売り場そのものは一坪ほどしかない。客が二人入ればきつく、三人入ればぎゅうぎゅうである。一方通行路の狭い道に面して、店の開く朝 8時から品切れになる夕方まで、常連客やら贔屓筋やら或いは評判を聞きつけたパン好きなどでそれなりににぎわいながらも素朴で不器用なたたずまいを見せている。よって立つ理念はフランスの(下町の)街角のパン屋のようで、残念ながら正統ドイツ・パンではないのだが、うちの菩提寺に近いこともあるし、小麦全粒粉なり高濃度のライ麦パンを数種類選べることが貴重且つ稀少ということもあって、仙台に戻ってきて以来、私もちょくちょく利用している。

「パリジャンのパンではない」
狭い店内には洗練というのには程遠い素朴で不細工な、それでいて実にうまそうなパンが所狭しと並んでいる。それらはごつごつしたジャガイモのように美しいが、スマートさとはまるで縁がない。それはもう実に素人じみて見えるほどである。酵母バターといった素材そのものをストレートに感じさせるパンは、どれもこれも密度が高く重量感があって(一部のパンなどもし投げて当たったら確実に昏倒するだろう)、普通はパリパリ、サクサクで軽やかであるはずのクロワッサンですら文字通り持ち重りがするのである。まるで薪の石窯で焼いたかのようなバケットもどちらかと言えば森の木のように硬くしまっていて、焼き色も「黒い」。見た目はお世辞にもいいとは言えなかろう。それらはまるで森の木や薪の枝のようで、ふくよかだがよくしまってはちきれんばかりになっている格好のいい健康なお嬢さんの黄金色の二の腕ではない。これはおしゃれなパリジャン、パリジェンヌのパンではない。言ってみれば、ミレーの農夫が食べるパンなのである。しかしこれはこれで確かに魅力である。というより、それが魅力なのだ。



「ヘーゼルナッツの匂い」
しかしそれだけではない。バーニャのパンにはもう一つ、素朴な力強さ以外に人を捉えてはなさない要素がある。それは「匂い」である。比喩ではなく、どのパンにも他のどこでもかぐことの出来ない(少なくとも私はかいだことがない)匂いがあるのだ。バーニャのパンならではの匂い。窯くささとでも言おうか、素朴というのとはちょっと違う、変に癖になるそそるような匂いである。バターをまるで使わないパンにも(例えばバケットやライ麦パンにも)やや甘い焼けたバターのような、そして私の好きなヘーゼルナッツのような匂いが香ばしくもしめやかに乗っていて、最初私はてっきり窯の匂いが移っているのだろうと思っていた。幾種類ものパンを(バターを多く含んだものも100%のライ麦パンも)次から次へ同じ窯で焼き続けるために全ての匂いが混ざり合って、それが乗るようになったのであろうと推測していたのである。少なからぬパンにその当のパンのものではないと思われるこげが付いていることなどもあって、なおさらそうであろうと思っていた。ところがそうではなかったのである。

「窯の匂いではなかった」
この持った手ばかりか服や髪に移るほどのバーニャならではの匂いは、純粋にライ麦パンの風味を味わおうとする者には少々邪魔にはなるものだ。小麦パンなら問題ではないのだが、ライ麦パンとなるとライ麦本来の風味が損なわれるところがないわけではない。使っている粉の挽き様や配合、種も通常よく使われている酸味の強いサワー種ではないらしいことなどの影響も大きいと思うのだが、高純度のライ麦パンであるにもかかわらずライ麦好きにはライ麦らしさが十分ではない。あの魅力的な匂いにライ麦本来の香りが覆い隠されているという感じだろうか。だから、同じパンでも挽きたてライ麦の爽やかな酸味と渋みが香り立つ正統ドイツ・パンに比べることは実のところ出来ないのではあるけれども、しかし食べつけるにつれていつの間にかそれはそれで奇妙に癖になってくるものなのである。中毒性があるとでも言おうか。それが気になっていたので、あるとき店主に訊いてみたのである。

「この独特の風味は窯の匂いですか?」と私。

「いえ、酵母の匂いです。」と店主。
(まだ30代であろうか。禁欲的な職人という感じではないが、強力な探究心と背後の世界を感じさせる主人だ。)

「酵母の。」

「うちでは水と粉だけで酵母を起こしているんです。それを熟成させていくうちに酵母がもろ味のようになってきて、ハシバミのような独特の風味が出てくるんです。酵母を葡萄汁のような果汁で起こすこともよく行われていますが、果汁だと熟成を進めてもすっぱくなりすぎてあまりよくないのです。」

「なるほど、そうだったのですか。いや、ありがとう。」

そういうことだったのである。独特の風味の正体は水と粉(小麦全粒粉だろうか)だけで起こされた自家製酵母の風味だったのである。ほとんど全てのパンにその風味があるのはその酵母が使われているからというわけであった。「ハシバミ」といえば、つまりヘーゼルナッツである。あの妙に癖になるヘーゼルナッツのような(そして確かにもろ味のようでもある)風味の正体が分かって、私は妙に得心した。(もっとも「全て」ではないようだ。バケットにも2種類あって一方のフランス産小麦で焼いているものなどにはこの匂いがなかったようだが。)

「しかしそれでいい」
継ぎ足し継ぎ足されて熟成が進むうなぎ屋のたれのように、長く大切に熟成が進められてきた酵母にはやはりその場限りのものにはない味わいと魅力と力と癖があって、それゆえにそれがわれわれを強く惹きつけるのだろう。そしてその強力な武器である小麦天然自家製酵母が、その本質が強力であるだけにライ麦パンもその色に染め上げてしまい、結果いささかの違和感を感じさせるのでもあろう。そしてそれが正統ドイツ・パン好きに物足りぬ感じを引き起こさざるを得ないのでもあろう。(物足りぬものついでにもう一つ言えばクリスマス・シーズン以外にも出ているバーニャの「シュトレン」もおよそシュトレンらしからぬ軽さでまるでガレットか普通の焼き菓子のようである。正統シュトレンに比して非常に安く、これはこれでうまいのだが、発泡酒がビールでないようにあれはシュトレンとは言えなかろう。)

しかしながら、それでいい。バーニャはドイツ・パンの店ではないし、そもそもそれを目指してもいなかろうから。あの強烈に個性的な力強いパンがごろごろと並ぶうまいパン屋が買いに行こうと思ったら買いに行ける距離にあるという幸運を思うべきであろう。(ここしばらく行っていないのだが)買いに行こうと考えただけで豊かな気持ちになれる店というのはそうたくさんあるものではない。もしもなくなってしまったらひどく寂しい気持ちがするだろうことは確かである。


s.バーニャのパン "Pain bagnat" 再び (2009/01/30)

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