2009/09/19

仙台の”魔笛” : 我らの身の丈に合った音楽の栄光と悲惨


『のだめカンタービレ』の冒頭、鬱勃憤然と登場した千秋真一が抱えていた苛立ちと焦燥は

(クラシックをやるのに日本にいたってしょうがない)

当然と言えば当然過ぎるものであったろう。その作品や芸術家が一つの必然としてまさにそのただ中から生まれ出てた地で学び、その拠って立つ土壌や環境を精査し、そこに営々脈々と続く文化と(その形式でもあれば内容でもあるところの)言語の体系に飛び込んで、ついにそれを身をもって生きるというのでなければ、およそ「本物」には近づけないだろうからだ。彼のような才能がそれに感づかぬはずがない。

無論こんなことを思ったのも、先日仙台オペラ協会の"魔笛"を観たからである。楽しくも悲惨な我が町のオペラ公演を観て、未だに私の中には片付かぬ様々なものが入り乱れているかのようである。文化的背景をバッサリ切り落としたこの日本の、この実学の都市である仙台でありうべき西洋古典とは果たして如何なるものであるのか。そして、いつの日か私のような偏屈な一クラシック愛好家が心底感動し、感嘆しうる、見事に昇華された音楽芸術を、一体全体さて、この地で聴く機会が訪れ得るものなのか。思うほどに絶望的な気分に襲われるのである。

実のところ、クラシック音楽本来の精神と感覚は、この現代日本の環境においてあまりに異質なものではあるのだろう。彼我の風土は精神的にも感覚的にも大きく異なり、言ってみればその水も土も光も空気もまるで違うのだから、たとえ同じ種子から育てようと咲く花、生る実が大いに趣を異にするのは已むを得ざるところではある。ましてや、深みというものをおよそ欠いているとしか見えぬこの時代である。彼らが扱った問題を彼らが扱ったように真剣に扱うことなどまるで流行らないかのようである。

しかし、それにしても、である。

私は思い出さざるをえない、ThomanerchorとGewandhausのMatthäus-Passion


Bach Collegium Japanのマタイが

どうしようもなく異なっていたことを。いつもの友人と(2002年のことだが、わざわざ)さいたま芸術劇場まで聴きに行ったBCJは、その古楽オケも鈴木雅明の指揮も合唱も悪いはずもなかったのだが、演奏の背後にイエズス受難の物語が、そしてその痛切さが、親密にも深々と広がる度合いにおいて、およそ比較のしようもなかった。無論、これは仕方のないことではあったろう。高い技術で真剣に歌う合唱の面々の頭に想い浮かんでいるイメージは、残念ながら我々のそれと同様、後で頭に入れた知識としてのイエズスの姿であり、物心つく以前より慣れ親しんで、もはや自身の血肉と化した懐かしの姿ではないのだから。しかし、この「我々のそれと同様」というのが気に喰わぬのである。わざわざ聴くからには、はるかに突き抜けた、当然それ以上のものを聴きたいわけであるから。結局、幼年期の夢や思い出にまで結びつくような心の奥深くに根ざした様々なイメージや感情の多様な裏付けを欠いているために、懸命に習い覚えただけで奥行きや柔軟さを欠いた物語は、その懸命さばかりが目について決して活き活きと立ち上がることがなかった。加えて、そもそも母国語ならざる悲しさ、肝心のドイツ語の一語一語にまとわりつく重層的な意味のアウラを感じる術もない以上、さてそれ以上如何ともしがたいものではあっただろう。

だがしかし、たとえそうであるにしても、である。

言うまでもなく、何ものも突如としてポッと生まれ出て来るわけではなかろう。ドイツにBachが生まれたのも、日本に芭蕉が生まれたのも単なる偶然であろうはずもなく、内的にも外的にも然るべき条件が整ったればこその結果であったろう。ドイツに芭蕉が、逆に日本にBachが生まれる道理があろうか。たとえ彼らの精神と芸術の核心に普遍的なもののかけらが閃き、響いているにしても、本体の大部分はその時その地でしかあり得なかった特殊で具体的なもの、歴史的・地域的に特定された諸条件に基づいているものであろう。


ウェストファリアの平和の後を受けて数多くの領邦国家が分立したあのバロックの総合期に、あのテューリンゲンのBach一族に生まれず、ルター正統派の洗礼を受けず、ヴァイマル、ケーテンを経てライプツィヒに行かず、聖トマス教会のカントルを務めず、仕事に追われず、妻を愛さず、ビールを飲まず、ソーセージを食わず、ドイツ語を話さず、ドイツ語で考えぬBachなどあり得ようか。


江戸の世に伊賀に生まれず、職業的な俳諧師にならず、元禄の文化を体験せず、漂泊の旅をせず、湿潤な日本の風土の四季折々、その土地その土地の風俗風物に目を留めず、古人にも森羅万象にも思いを馳せず、深川に庵を結ばず、一株の芭蕉を植えず、米を食さず、日本語を話さず、日本語で考えぬ芭蕉も断じてあり得ぬだろう。


というわけで、作品と芸術家の探究には、その「精神的風土の探索」と同時に、作品がそこで生まれ、彼らがそこで実際に生きた具体的な「感覚的風土の経験と探索」が欠かせぬものだろう、ということになる。生まれてからこの方、我々は感覚的なものに取り囲まれている。目に映る風光、耳に響く母国語、舌に味わう食べ物、肌に感じる気候、その他諸々、感覚を通してなじんだものはもはや我らの一部であるのだから。人間はタブラ・ラサではないから、それらがそのまま全てでないのは勿論だが、その有形無形の影響から逃れられるものではあるまい。そして、なかんずく我らが「言語」の影響はその中でも決定的なものであるだろう。その音色、抑揚、リズム、テンポ、更にその語彙とグラマーの総合的な体系は我々自身と切っても切り離せない、もう一人の自分自身と言ってもいいほどである。


芸術家による作品の創造を一つの必然として捉えてみるには、彼らが見、聞き、感じ、考え、味わい、なじみ親しんだものを、彼らがまさにそうしたように追体験してみることから始めるのが望ましいだろう。そこから始めれば、問題意識を共有し、彼らがこだわったものにこだわり、目指したものを目指して、ついにその創造の現場に居合わせるがごとき理解が可能となるやもしれぬ。だが、すべて我々の経験なるものは、我々自身の経験には違いないにしても、否応なくその時代、その文化圏の、固有のフィルターを通したものであるほかはない。そして、その文化圏固有のコードは基本的にはその言語によって担われ保たれているのである。そうである以上、彼我の価値判断や認識、美的経験や情感生活の意味や質を背後から厳然と左右しているのは、つまるところ彼我それぞれの言語体系なのであろう。言語は文化的な諸々の価値のヒエラルキーを盛る器であり、我々はその器から飲むほかはない。我らの精神に不可欠の器官があるとすれば、言語こそがそれであろう。人はその言語の体系内でものを考え、感じざるを得ない。そのスタイルで思考し、そのテンポで考えを進め、その音色や響き、テンポやリズムの特性に自ずからなじんで、彼の精神と感覚はその制約を否応なく受ける。当然、作曲家といえども例外であるはずもない。

というわけで、思うに作品の理解には必要最低限その出発点として

  1. その作品が前提としている教養の伝統を理解し、
  2. その芸術家が生き、その作品が成立した地と時代の感覚的要件を知り、
  3. 且つ、そこで使用されている言語をかなりの程度心得ていなければならない

ということになるだろう。


例えば「古池や蛙飛びこむ水の音」という極限まで切り詰められた17音の日本語を聞いた時に、少なくても、芭蕉によって想定され、当時の人々にとっても最も一般的にイメージされていた蛙の跳び込んだ池の様子や音、その場のありさまやその全体としての禅的な心象が自然に想起されるようになっていなければ理解のスタート地点に立ったことにはなるまい。この句を聞かされたアメリカ人のいくたりかは、大きな池に次々に何匹もの蛙がバシャバシャとジャンプするにぎやかな光景をイメージしたそうだが、それでは始まるまい。比較文化論や異文化理解の材料としては興味深かろうし、自由な解釈というのも時に面白くないこともないが、それはまた別のことである。最終的な解釈や理解がどういう地点にたどり着くかはさておいても、出発地点は正統な地点から発するのでなければなるまい。


考えるに「本物」とは、自らの内に何ものかが生きていて、もはや自分自身と分かてぬ状態にまで達していることの謂いであろう。自身の内を探れば、その精神が現に活動し生きている。その思想や原理が、またその感覚やふるまいの様式が、更にその直観や感情のことごとくが否応もなく自分の内で生きているという自覚と自負。外やどこか他所にあるのではなく、自身の内にあるものを探ればそのままに究極の問の真正な答えが見つかるという状態こそ「本物」と言うべきであろう。そうなれば、もはやその人は単にその人個人であるにとどまらず、一個の代表者であり、一つの規範である。彼(彼女)がThomas Mannの"Doktor Faustus"の悪魔と契約を交わした作曲家Adrian Leverkühnのように、たとえどこにいようと「自分のいる所こそドイツであり、故郷のKaisersaschernだ」と言えるならば、彼(彼女)はもはや規範であり、すなわち「本物」であるだろう。

当然、「本物」は文化的な脈絡と離れては存在し得ない。まがうことなき規範や正統の精神は単に個人的な一代身上によって成り立つものではないからだ。それを勘違いしたところに在るのは風変わりで奇妙な「何か別のもの」だろう。

例えば、ランランのあの中国雑技団の軽業としてならば実に見事な、しかしまるっきり別の思考とセンスで奏せられているために本来の意味やスタイルからは絶望的にずれてしまった饒舌の滑稽と悲惨を見よ。(あれではただの人寄せパンダ、あるいはホリエモンではないか。いや、そうではない。彼は一流のシェフだ、ただし中華料理の。)

或いは、オペラだというのにおよそ言葉としてのニュアンスを欠き、本来の味や香り、重層的な複雑さを持っているはずのものが、単純で生真面目なただの気合いと集中力にすり替わってしまう我らが小澤の非劇場的な無味乾燥はどうだろう。(ブロークンな英語だけでイタリアオペラを振り、ドイツオペラを振るとはどういう了見なのか。自分が使えぬ言語のオペラは振らぬと言い切ったネッロ・サンティに笑われるだけではないか。)

或いはまた、かつてクレンペラーに悉く間違っていると言われた、あのケレン味あふれる才人マゼールはどうだ。しゃくれリズムで奏される欧州流の「てにをは」の無視、アメリカ流換骨奪胎の非常識と没趣味、ディズニー的な大衆化と世俗化。(振るものがことごとくパロディーと化してしまうのだから悲劇である。あの峻厳なクレンペラーには全てが書き割りや張りぼてに見えただろう。)

彼らが自身を振り返ってどう思っているかは知らぬが、いつまでたっても文化的な真実に一向に近づけないという点で、はたから見ていて或る種むごたらしい印象をもたらす例は残念ながら少なくない。(世界の小澤はいまだに自分の営みは日本人がどこまで西洋音楽を理解できるかの大いなる「実験」だと言っている。「生涯、実験」と言い切ってしまうのは彼らしいフランクな正直さで、それ自体は褒められてもいい美徳でもあるだろう。だが、結局、遂に最後まで分からないのだろうと確信させるに十分な正直さだ。彼がドイツ語の1つでもマスターしない限り、実験の成功は有りえないだろうし、多分それは永久に無理なのだ。日本人は日本人にしかできない西洋音楽を奏でるべきだし、それでいいのだという議論がある。結局そうならざるを得ないという実際の事情は別にして、それで当人は本当に満足できるものだろうか。)当然のことだが、個人レベルの才能や天才と文化的な真実は必ずしも一致するわけではない。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


そして(ようやく)今回の我が町のオペラである。縁あってオペラ協会から招待券をもらい、9月5日、土曜日の初日の公演に出かけたのだったが、「楽都」仙台の身の丈に合った(実に身の丈に合い過ぎた)オペラ公演を観て、私はしばしそれを表す然るべき言葉を見つけることができなかった。実のところ未だに言葉を失っているようなもので、もやもやとした自身の内からふさわしい言葉を掬い上げることができずにいる。というのも、そこにあった悲惨と喜びは、知りたいものを底の底まで知りたいと願いながら遥かにそれに遠い我が悲惨と喜びに通じているようで、密かに(そして大いに)身につまされているからである。市民のための教養行事としては価値があったに違いない。だが、芸術的にはおよそ評価のしようもない公演を聴きながら、残念ながら「本物」というものにいまだ手が届かぬ我と我が身を振り返らざるを得なかったのである。そして自分の手が果たして本物に届く日がいつの日か来るものであろうかと酷く頼りなく、心もとなく思われたのである。


公演は一面で言えば楽しかった。知った顔もあり、その点親しみを覚えたと言えば覚えたという面もある。以前の"魔笛"の公演では全部日本語で通したらしいのだが、今回はせりふは日本語だが、歌は原語上演であった。みなでドイツ語も勉強し、合宿も行い、ずいぶん早い時期から練習と準備が行われていたという話でもあった。オケはかなりルーチンだったにしても、オペラ好きが高じて出演するようになったアマチュアも含め出演者は懸命に演じ、歌い、その意味では感動的ですらあったろう。だがそれは、例えば学祭の出し物がそうであるようにそうだったのである。

Mozartを基準にして考えた途端、そこそこに楽しくもあった公演の様相は、残念ながら一変せざるを得ない。アーノンクールに私淑しているとのことだったので少しは期待した指揮者も、始まってみれば歌手たちのゆるいアンサンブルをまとめるために冒険ができるはずもなく、当たり前のただこじんまりした演奏である。そうなると、いまさら仙台フィルに様式感や音色の魅力や自発的なアンサンブルがないのはどうなるものでもないから、Mozartの劇場性が沸き立つはずも、古典の活力がメリハリよく活き活きと弾むはずもなく、テンポがあまり間延びしなかっただけまだましかというだけのものとなった。歌手陣は例によって弱く、夜の女王の上がきついのは仕方がないとしても、特に男性陣は厳しかった。タミーノはミュージカル調で歌のお兄さんといった感じであったし、肝心のドイツ語は完全にカタカナである。ドイツ物はほとんどやらない仙台オペラ協会であるから、カタカナ・ドイツ語になるのはやむをえないとは言え、肝心のザラストロのドイツ語が一言もドイツ語らしく聞こえないとなると聴いているのがつらい。歌手でまずまずだったのは第1の侍女と日本的なパミーナ、そして弁者ぐらいであったろうか。演出も異邦人たるタミーノを軸にするという設定と解釈が昇華するものではなかった。


これが「楽都」仙台の精一杯なのであろう。10月には所謂「せんくら」があり、食材宣伝と観光活性化のために「仙台・宮城デスティネーションキャンペーン」なるものも張られるわけだが、さてクラシック音楽の「地産地消」は如何。B級グルメと割り切って楽しむべきか。残念ながら、とてもそんな気にならぬのである。