2010/10/28

関口存男の小さな評伝

先日、近所の本屋に立ち寄ると新刊書の棚に池内紀が書いた関口存男の小さな評伝が並んでいた。懐かしい名前である。私は熱心な学習者ではなかったが、それでも“初等ドイツ語講座“であるとか“独作文教程“といった名著を眺め、“関口存男の生涯と業績“という箱入りの一冊も持つだけは持っているのである。物置を探せば、関口文法の色合いが濃厚に残っていた時代の“基礎ドイツ語:Mein Deutsch“も何冊か見つかるはずだ。

本の後書きによれば、関口存男生誕110年に当たる2004年に『現代思想』に連載したものを、今回一冊にまとめ直したものだそうだ。池内自身は生誕100年の際の1994年にもいくつか文章を書いていて、関口存男の未発表原稿の発掘や新しい評価など複数の記念出版があるものと秘かに期待していたらしいのだが、既存著作のまとまった復刊以外、他にそれらしいものはほとんどなかったようなのである。そこで、待っていても出ないのならばということもあり、遅ればせにオマージュを捧げることにしたらしい。

ドイツ語学の鬼才、法政時代の内田百閒らとの対立、未完に終わった畢生の大作『冠詞論』、関口文法の隆盛と没落など、改めて見ればいかにも奇人好きな池内紀好みの素材ではある。そんな池内の今回の指摘で思いがけなかったのはヴィトゲンシュタインとの類似だ。実践的語学の追究が言語哲学、認識論に突き抜けてしまったのである。両者とも言語の森に奥深く分け入り、深く分け入り過ぎて、もはや生還を期せない地点にまで踏み込んでしまった。ヴィトゲンシュタインはここに至り、畢竟沈黙する他ないことを結論としたが、関口存男は語り得ぬことがらが潜む地点に至ってなお決死の突貫をやめなかったらしい。それがもはや語り得ぬと知りつつ、それでもその幾重にも茨の絡まった身動きならぬ地点でしぶとくもがき続け、じりじりと匍匐前進を続けていく。勿論、これはそもそも勝つことの叶わぬ勝負であり、当然敗れ去る他はなく、困難を極める格闘と探究に彼の寿命はもう間に合わない。主著たる『冠詞論』は2千数百頁を費やしてなお完成せず、その後の計画も頓挫するのだが、実にその点において我々の心を揺するドラマは存するのである。その限界内において最善を尽くし、遂に敗れさるが、人間存在の内実としては勝利した者の悲劇である。

これはファウスト的な悲劇であり、ドラマとしては特に目新しいものではないだろう。しかし、悲劇の価値は新しさや珍しさにあるわけではない。むしろ、典型的•神話的な度合いが高ければ高いほど純然たる価値と力を持つものであろうが。彼は困難な探究の道半ば63歳で逝く。膨大な資料の山が遺された。もしまだもう少しの時があれば、関口存男は何処まで行けたのか、或いは行けなかったのか。

孫の関口一郎が癌で倒れることなく、まだ生きていたら、事態は変わっていただろうか。遺稿集や資料類はもっと出たかもしれない。だが、評価や研究となると新たなものが出てくる可能性はあまり高くはなさそうだ。言語哲学となった実践語学の研究である。ヴィトゲンシュタインやソシュール方面からの研究があるだろうか。言語哲学としても言語学としても、独自過ぎる、しかも未だ完成せざる体系を適切に扱える研究者が果たしているだろうか。或いはその気になる研究者が。

いい機会を得た。暫くぶりに読み直してみることにしよう。

2010/10/13

2種類の人間と阿呆船

世の中には、あるべき姿や原理的な根拠を問題とし、自らの在り方や決断や行動の裏付けを吟味することを当然と考える人間と、そうでない人間の2種類があるようだ。国会中継で自民党の石破茂と民主党の無見識な連中とのやり取りを視ていると、この2種の人間の大きすぎる差に愕然とする。

人間に品格というものをもたらすのは、自らの個人的な基準を超えた所に想定される原理、理念、思想、倫理、イデアであろう。それらを欠いた場合、その人間の判断規準や行動指針は単なる世俗の損得勘定や慣習的な無反省の反応になる他ない。実にその見本とも言える姿を見せてくれているのが民主党の面々である。実に見識なき無恥の人間という物をこれでもかと言わんばかりに晒してくれている様子はなかなか見られるものではない。

見渡してみれば、また振り返ってみれば、自身を超越した高次の基準を持っていないような人間で尊敬できる人間にお目にかかったことはない。

民主党とは倫理的、道徳的に破綻した羅針盤も舵も持たぬ「阿呆船」 (Das Narrenschiff)である。我々はそれに乗り合わせているというのか。

2010/10/12

AndroidアプリSmart Keyboard PROを試す

Smart Keyboard PRO(€1.99)を試しているのだが、キーボードの感じはとてもいい。キーの間隔、記号類を打つ際の容易さ、日本語から英語や独語への切り替えの手軽さなど、その点に関してはほとんど申し分がない。元々多言語対応キーボードであるから、英語や独語を単独で打つに良いのは当然だが、欧文を日本語中に挿入するのにほぼシームレスでいけるのが大変良い。ßがないのは腑に落ちないが(※sの長押しでポップアップされることが分かった。これでよい)、ウムラウトを一々記号から選び出す必用がないのは楽である。これを普段使いのキーボードにすれば、今メインで使っているSimejiで使いづらいと感じる部分が概ね解決されることになる。

では、それは可能なのか。残念ながら十分ではない。問題なのは日本語入力の弱さだ。入力方法や予測変換自体の動作に問題はなく、むしろ機敏で結構なのだが、如何せん辞書の語彙が十分でない。また、多文節の一括変換、漢字一語の呼び出しが出来ないことも大きな弱点に思われる。単文節毎に確定する習慣の者ならそれはそれだが、一文またはそれ以上を入力して一括変換し、変換に誤りがあればそれは適当な文節に分け直して改めて正しい変換を探るという当たり前のことが出来ないのは不便だ。漢字一字を単独で呼び出すことが出来ないのも不便である。変換候補に適当なものがない場合や一字だけ直したい時にはわざわざ適当な熟語を出して、要る漢字以外を消すという手間をかけなければならない。日本語辞書の充実、多文節の一括変換機能、漢字の単独呼び出し、この3点が日本語キーボードとしてのSmart Keyboard PROの課題である。今後のアップデートで漸次改善が図られていくことを切に望む。日本語力が上がってきさえすれば、これを是非メインキーボードにしたいと思うからである。

何れにしても、もうしばらくこちらをメインにして使ってみたい。筆記用具が変わるとそれだけでも新鮮な気分にはなるものだから。

2010/10/11

Android OS 2.2へのアップデート

10月8日にAndroid OS 2.2へのアップデートファイルが配布されて、私のDesireも目出度くFroyoになった。最初にアップデートを試みた時は、更新に必要な25MBの空きが内部メモリーになくて、やむなくいくつかのアプリを削除したが、全体としては特に問題もなく更新は完了した。アップデートしてしまえば、対応したアプリをSDカードに逃がしてやれるようにもなるので、その差分で改めて入れ直してやることもできる。(結局、あまり使わないTwitterの純正アプリとGoogle Reader用の読み取りアプリは削除して、今もそのままだ。)

さて、2.2になって性能は大いに向上した。Internetの読み取りは随分速くなったし、コンタクトも時にカクカクしていた動きが滑らかになった。概して反応がより機敏、動きがスムーズになっているようだ。基本アプリとなるSearchやMapやGmailもそれぞれ機能や使い勝手が向上している。こうなるともう2.1にはもどれない。


アップデートによる大きな問題は生じなかったが、小さな問題は幾つかあって新しい環境下での調整には一晩かかった。アプリで問題が生じたのがDolphin Browserで、これは起動せずに落ちてしまうという症状で少々困った。再起動したり、インストールし直したりしたが状態は変わらず、メインブラウザにしていたので些か心配させられもした。ホームをHTC Sceneにしていないからかとも疑い、設定を戻したりいじったりもしたのだが、その後Googleの最新情報検索で、英語環境であれば起動に問題はなく、一旦起動させてしまえば、後は日本語に戻しても大丈夫というTwitter情報を見つけて事なきを得た。(ただ、一度アンインストールしてしまい、バックアップも取っていなかったものだから、ブックマークの再現に時間を要した。)もう一つはタスクマネージャーアプリのjkAppSwitchEXで、アプリのスイッチはできるが停止機能が働かないということがあった。こちらはそもそも2.2未対応だったからで、さて今後この99円アプリのアップデートがあるのかないのか、あるとすればいつなのか、これは不明である。なければ代替アプリを決めなければならない。

HTC Senseは、結局使わないだろう。画面下にわずかに弧を描く不透明なランチャーバーが気に入らないためだが、前から愛用しているLauncher Proが非常に優れているためでもある。デザイン、機能とも申し分ないのだ。これが無料アプリだとは全く感心する。感心するアプリは他にもある。こちらは有料だが、FolderOrganizerも素晴らしいものだ。これがなければホーム画面の使い勝手はまるで異なってくるだろう。実のところ一番重宝していると言ってもよい。任意にフォルダーを作り、その中にアプリでもサイトのショートカットでも、電話番号でもメールでも何でも入れておくことができるというものなのだが、ジャンル毎にフォルダーを作れば、必要なものを必要なだけ分類整理しておくことができるのだ。しかも、フォルダーには好きなアイコンをつけられるから、普通のアプリのアイコンのようにホーム画面上に並べておくことができる。アプリを7個も8個も並べて画面を占拠するかわりに、パッケージされているフォルダーを1つ置くだけでよくなるのである。これによって劇的にホーム画面は変わる。ツール系のアプリ数あれども、これは私にとって必要不可欠アプリの筆頭だ。

Launcher ProやFolderOrganizerは以前から重宝していたもので、その点アップデートによる変化ではないのだが、アップデート後も依然として変わらずに残念だったこともある。特に不満な点は2点だ。組み込みブラウザの使い勝手の悪さはさておき(これはブラウザを換えれば済む話だ)、連絡先にURLを書いておいても連絡先からは開けぬことが1つ、キャプチャー機能が相変わらず装備されなかったことがもう1つである。連絡先上のメールアドレスからメールソフトを立ち上げることはできる。ならば当然連絡先上のURLからブラウザを直接立ち上げられるようにするべきだろう。URLが書いてあっても、ただ情報として書いてあるだけで連絡先ソフト上ではコピーすらできない。これは全く不便だ。また、画面の簡単なキャプチャー機能も何故ないのか。PC無しで何故撮れるようにしないのか。記録としてとどめておくことすらできない。

Froyoで叶わなかったことがGingerbreadで叶えられることを望む。その時には端末もパワーアップすることになるだろう。年内にAndroid OS 3.0、来年春に新端末、ならば私としても、来年度中に機種変更という道筋もあろうか。

2010/10/07

試したビールにがっかりした話


こちらに戻ってきてからは、昔と違って、ほとんどビールもワインも飲まないのだが、先日10日ばかり開かれていた仙台オクトーバーフェストでHofbräuhausの旨いビールを久しぶりに飲んで、ここ数年の間に随分増えていた国産プレミアムビールをふと試してみる気になったのである。

神奈川にいた時分は、流通し始めた地ビールはさておき、大手メーカーのまともなビールと言えばヱビスかモルツ、ブラウマイスターやビール職人、ハートランド程度しかなかった。比較的ヱビスを好んできたが、基本的には上面発酵の豊かで複雑な香りと味わいを愛する者としてはどれもこれも物足りないものであった、というより求めるところのものがそもそも違っていたのだろう。時折びっくりドンキーの自家醸造ビールや七沢森林公園そばにあったイタリアンのセルバジーナさがみビールを飲んで溜飲を下げるほかなかったのである。麦芽、ホップ、水、酵母のみで副原料を一切認めないビール純粋令を信奉しているので、世に出回っている米やコーンスターチの入った変に臭いものは気に入るはずもなかったし、ましてや酒税法の間隙を縫って無理にこしらえたビールもどきなどは端からインチキ以外の何物にも思われなかったものだから、大っぴらに軽蔑していた。(今もしている。)だから当時は、一人で飲む分には出来うる限りまともな地ビールを買うようにしていたのだ。少々価格の高いのが玉に傷だが、中には"よなよなエール"のように手頃なものもあった。

というような偏屈な経緯を経て今回試しに飲んでみてがっかりしたのが、アサヒの2009年のアメリカのビールコンテストで金賞受賞というアサヒ ザ・マスターである。缶の色からして、そしてヱビス黒の隣にあったこともあり、てっきりdunkel系のビールかと思って求めた時点で既に半ば間違っていたのである。上面発酵の複雑な香味を求められない以上、その代わりにローストの香味を味わうつもりでいたわけだったからだ。それでガッカリしたところから始まったのも良くなかったのだが、気を取り直して飲んでも、それを引っくり返すだけの妙味を感じることはできなかった。アサヒにしてはしっかりした味わいだし、スーパードライなどとはまるで違う落ち着いた完成度だが、どうも残り香が良い具合でない。まあ、普通なのだが、フーッと軽やかにも豊かに鼻を抜ける、花や果実の華やかさが鼻孔をくすぐる芳香を求めていた私にとっては何とも期待とかけ離れたモノクロームの世界であった。発酵の仕組みが違う以上、そんな芳香を求めるのは初めから筋違いなのだが、だからこそ黒ビールを選んだつもりでいたのだ。ところが間違えた。間違えて行き着いた先がアサヒ製のレーヴェンブロイを少しだけ重くして、ホップと酵母の苦味から爽やかさを取ったような、やや鈍なドイツ風ピルスナーであった。

びっくりドンキーは家の近くにもある。そこからビールだけ買ってくることができれば、少しは私の渇きも癒されるだろうか。無論、持ち帰りビールはない。かえすがえすも残念なことである。先日の旨いビールが仇になったというべきか。

2010/10/04

Blogger用モバイルアプリ“Blogaway“を試す



WordPressのモバイルアプリが良かったものだから、Blogger用アプリでもBlogger-droidより機能の充実したものはないかと探したのが、この(今それで書いている)Blogawayである。機能自体はWordPressアプリに遜色無いくらいで、見たところそれなりの編集機能もあり、投稿後の編集も出来るようである。(太字斜体字下線色文字などはこの通りだ。)問題は使い勝手と信頼性・安定度だが、これは使ってみないと分からない。

文章を書く作業スペースが広いのは結構だ。広告は入らないのでそれに場所を取られることもないし、フォントが小さいようで、一編に1行18文字で9行表示することが出来ている。入力の候補が仮想キーボード上部に出た上で9行見通せるというのは、もしかすると最大かもしれない。Blogger-droidだと、この半分といったところだろうか。これは広くて書きやすい。編集機能云々よりこの広さだけでも価値があると言える。安定度の問題がないようなら、Blogger用モバイルアプリは交代としてもよい。

試用期間は数日といったところだろうか。期待にかなったものであるとよいが。