ざわめく海原の上に明るい灰白色の空がひろがり、おおらかな風が開け放しの空間を吹きわたっていく。海藻や小さな貝殻の散らばった砂の上をどこまでも歩いていくと、目につくのは遠くから流れついて半ば砂に埋もれた物の数々である。気の向くままに拾い上げてみよう。
2008/05/26
回想の黒パン-神田精養軒2
当時(今でもそうだが)、仙台の神田精養軒は小さな販売店舗が駅ビルのエスパルに入っていて、数はさほど多くなかったものの種々の黒パンや白パンを置いていた。その他にもリンゴとカボチャのどちらもシナモンのよく効いたアメリカン・ホームメイド・スタイルのパイがあったり小麦全粒粉やライ麦のクラッカーであるクネッケがあったり、或いはクッキーやプチ・マドレーヌといったものが並ぶ所謂「バタくさい」店であった。元々が西洋料理なのであるからそれはそれで不思議はないのだが、その「西洋風」がよくあるフランス風、洋菓子店風の華やかさでは全然なしに中欧風、修道院風な色気の無さであったのが一言で言えば「異質」であった。禁欲的とでも言おうか、その飾り気の無さはトラピストのバターやガレットに漂う雰囲気にも通ずる素朴さで、今でこそ色々なタイプの店があって特に珍しくもなくなったが、当時一般的だったパンや洋菓子の店としては少々風変わりでそれだけ印象に残ったのである。たまに母のお供で店を訪れる時には、私は決まって修道院の回廊や中世の石畳を連想した。
さて、母が買ってきたプンパーニッケルはその異様な重さに一種のカルチャーショックを覚えたが、味には大いに満足した。白パンにはあり得ないずっしりと粘るような噛みごたえ、奥行きのあるさわやかな酸味とほのかな渋み、噛めば噛むほど増してくるように思われた味わいなど全体としていかにも力強いものであった。初めはただ食べ、次にバターを塗って食べ、更にはチーズを載せて食べ、その上更に蜂蜜を垂らして食べたのだったが、「バターやチーズというものがパンというものにいかに合うか」ライ麦パンを通して初めて実感した気がしたものである。ライ麦パン特有の酸味とバターやチーズの濃厚なこくと乳製品らしい甘みが実に絶妙であった。当時チーズはほとんどがプロセスチーズで、今振り返ればくどいわりにのっぺりしてあまり面白みのある味ではなかったのだけれども、それでも私はそれをやけに厚切りにしてぬかぬかとした食感共々に大いに満喫したのである。
これが私の本格黒パンの原体験だが、それももう「今は昔」のこととなった。少年が老いただけではなく、神田精養軒もパンを焼かなくなったのである。2年ほどにもなるのだろうか、パンの販売が終わると聞いて買ったのが最後となった。かつての店の雰囲気はとうに変わっていて、もう普通のマドレーヌ屋さん、クッキー屋さんという感じではあったのだけれど...いずれせよ残念なことではある。
昔の神田精養軒には原体験後もよく買い物に出かけたが、学生時代から二十年余り続いた神奈川時代も町田や茅ヶ崎店で「シュレーゼンブロート」とか「ホルシュタインブロート」といったライ麦率の高いものばかり選んでは丸々一本、二本と頼んだりしていたのだった。神奈川での私のパン生活は専ら紀ノ国屋の袋入りをスーパーで買うか神田精養軒で注文して頼むかであった。まだ街のパン屋は開拓していなかった。
神田精養軒も店の雰囲気が変わったように時代の流れの中でパンの味もやや変わって来ていたが、パンそのものが消えてしまったのは何とも残念なことであった。たとえあの思い出のプンパーニッケルが以前よりもマイルドでライトになっていたとしてもである。久しぶりにと思っても最早食べることは出来ないのだ。あのパンはもはや記憶と回想の中にしかないのである。
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