2008/05/27

回想のKleiber


先日晩年のKleiberがBayerisches Staatsorchesterを振ったCoriolanの映像を観る機会があった。亡くなったのが2004年の7月13日であるから、映像の96年10月は普通に晩年と言うには早すぎるわけだが、やはりそれはCarlos Kleiber晩年の姿と言うべきであった。CDでは97年に出た(海賊版なのかどうか知らぬが)Croatia製のディスクをその気魄のこもった演奏ゆえに愛聴してきたのだが、その映像は正直なところショッキングであった。

一言で言えば「悲劇的」なのである。「ひどい」という意味ではない。不可避の運命をそれと知りつつ転がるようにたどるほかないギリシャ悲劇のような悲劇性が感じられたのである。逃げ出すことの出来ぬ悲劇を否応なく突き進まざるを得ぬ悲愴な面持ち、重く気難しい憂鬱の影、失われた青春の喜び、かつてあれほどにあふれ輝いていた快活なひらめきや流麗な幸福感はあまりにシリアスすぎる暗い目の光と眉間のしわ、しなやかさを失い(しかしまだ失い切ったわけではない)土星的に比重の重くなった体と老いに変わっていた。

私にとってKleiberと言えば78年のWiener StaatsoperでCarmenを振った時のフレーズを口ずさみながら颯爽と棒を振り下ろした姿であり、83年のConcertgebouwでお得意のBeethovenの4番と7番を振った天才的な舞踏であった。私はあの魔女のような顔の痩身のKleiberが腕をぐるぐると振り回して、あの独特のアウフタクトを駆使してリズムと劇性の権化となっていく様が忘れられない。92年の二度目のNeujahrskonzertや94年のWienのRosenkavalierの時には確かに老けたなという印象を受けたが、そこにはオーストリア・ハンガリー帝国的な残照の美しさが十分にあって、それはいわばMarschallin的な甘い憂愁と言ってよいものであった。枯れたと言っても絶望ではなかった。

ところがCoriolan時点ではもう根源的な悲劇の渦に絡み捕られているように見えるのである。晩年ますます気難しさとふさぎの虫が高じたような話も聞いたが、奥さんが死んでいくらもしないうちに自分も死んでしまうことになった彼は何を背負ってしまっていたのであろうか。確かにKleiberに老成は似合わない。永遠に青春と官能の芸術家であるはずであったが。

老いて重くなったKleiberは昔はまるで似ているとも思わなかったが、父のErichに思いもかけず(或いは当然なのか)似ていた。CarlosにÖdipus的な問題がどれほどあったのかは知らぬが、彼の晩年にはどこかギリシャ悲劇的な人間の運命に関する根源的で暴力的な悲劇性、不幸の印象がある。それに捕らえられてしまったのか。Wienを越え、Freudを越え、ついに古代ギリシャ的・神話的な運命と死にさらわれていった。これが私の印象である。むろん印象に過ぎぬのであるが。

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