(いやあ、これは大したものだ!)
感服させられるわけである。
(う〜む、実に見事だ!)
そして清々しくも晴れ晴れとした気分が訪れる。その気分は格別で、大げさに言えばくたびれかけていた人間性の再生と復活であり、匠の技への信頼の回復である。圧倒的な感動となるとこれはまた話が別だが(上のような批評的言辞では間に合わない)、普段の日常生活の場においては「いい仕事」と「清々しい感動」というのは物のクォリティーを測る1つの基準ともなろうか。官から民間まで倫理感の壊滅的な低下がもたらす数々の劣悪さが至る所で目立っている現在、「いい仕事」というのは一服の清涼剤であるばかりでなく、1つの救いですらあるかもしれない。
人生も半ばを過ぎて、私もなるべく納得出来るいい物に触れていたい。というより、このところめっきり不出来な物に対するこらえ性がなくなってしまったのである。口の悪い者は、「それは老化だ」と言う。ある者は、「お前は前からそうだ」と言う。別の者は、「そんな大したもんじゃあるまい」と言う。どれも思い当たるが、仮に我々が現代という時代の病に多かれ少なかれ侵されているとしたら、クォリティー・オブ・ライフの観点から言っても「いい仕事」に触れることが極めて重要なことであるのは確かだ。 本物のいい仕事に触れ、自らすっくと立つ気概を新たにする機会を持つべきであろう。
さて、そうであるとすれば、”美味いラーメン”というのもその1つである!(!?)
あれは、どんぶり一杯の中に完結、完成する一つの作品であって、スープと麺と具の三位一体のアンサンブルとハーモニーの妙である。それでいて庶民の財布の紐の許容範囲に十分に収まってくれるというのも有り難い。三ツ星レストランや高級料亭ではそうはいくまい。行く店さえたがえなければ、千円足らずで「いい仕事」を味わえるという点でラーメンというものは貴重である。
神奈川時代、コンサートにもよく行ったが、ラーメン屋にも劣らずによく行ったものである。中には通ったと言っていい店もある。これは自称ラーメン評論家の(悪しき)友人の薫陶宜しきを得て、あちこち一緒に食べ歩いたことによるのだが、今思い出しても逸品としか言いようのないものを出す店が何軒かあった。
例えば、旨味の塊としか言いようのなかった本厚木”本丸亭”の塩ラーメン
例えば、初めて食べた時の衝撃をいまだに忘れない”中村屋”の完成・洗練された逸品
例えば、いい時のスープの奥深さでは今でも随一と思える ”支那そばの里”の醤油ラーメン
そして例えば、今回取り上げる2店などが思い出されるのである。
そこで初めて私は、美味いラーメンが文字通り人を感動させるということ、ラーメンというものによって心底感服させられることがあるのだという事実を知ったのである。そして、この事実によって神奈川時代、私のクォリティー・オブ・ライフと血圧(通った店では敬意を払って毎度スープを飲み干していたことから)の値は一面著しく上昇したわけであった。
その上昇をもたらした名店の筆頭は、相模原にかつてあったが今はない”春夏冬(しゅんかとう)”であり、愛川町に今でもある”隠國(こもりく)”であった。"筆頭"と言いながら2つ挙げたのは店主とスタッフが同じだったからである。日中に営業する隠國に対して春夏冬は夜間の営業で、そこでスタッフのローテーションも行われていたようだが、出されるラーメンの目指す方向も大きく異なっていて、透明感と艶のある、すすり心地の絶妙な手揉み縮れ麺に魚介の風味と旨味が強烈に効いた獣魚ダブルスープという同じ土台の上にも、それぞれきちんと店として住み分けがなされていたのは好ましかった。春夏冬は16号線から相模原駅とは逆方向に2、3本入ったきりの比較的行きやすいところだったので、かなりの期間ほぼ毎週出かけていた。もう一方の隠國はその名のとおり相模川を越えた(こんな所にあるのかという)奥地にあり、夕方までしかやっていないこともあって、あまりしょっちゅうという具合にはいかなかったが、それでも機会を見つければ、また趣の異なる一杯を求めてドライブがてら喜んで出かけたものである。
味の方は、春夏冬が少々の濁りを交えて野趣に富んだ益荒男ぶりなら、隠國は澄み切って繊細なたおやめぶりで、対照的な面白さであったが、どちらも私の口にはよく合って、1年強もの間、三日にあげずとは言わないが七日にあげずにはどちらかを食していた。いわゆる完成度の高さでは隠國であるが、春夏冬のあえて雑味を残して変にエネルギーを矯めてしまわぬ野武士のような力強さも捨てがたく、(残念ながらそのものの写真は無いのだが)燻玉に部位の異なるチャーシュー、海苔その他という(いわば全部のせだが)「謎中スペシャル」というものを愛好した。腹をすかして、あるいはあまり腹をすかしていなくても、目の前の厨房をコの字型に囲むカウンターに、つめてせいぜい8人ぐらいしか座れない狭苦しいおんぼろな店で、出来上がった謎中スペシャルのスープの最初の一口をすすると文字通り五臓六腑に染み渡る思いがしたものである。
というわけで、神奈川時代の(もう今となっては考えられない)食べ歩きによって私のラーメンの基準はいつの間にかこのラインとなったのだが、こうなると今度はなかなか好んで行きたくなる店というものを近くで見つけるということは難しくなった。というより、今では回想で十分なのである。(現にこちらに帰ってきてから食べたラーメンは片手で数えることが出来るのである。5年前には考えられなかったことだ。)自分の内を覗き見れば、ずいぶん以前から隠居的生活・隠者的生活への密やかな志向はあったのだが、ラーメンに関していえば早々と現役を退いたという感じとなった。現役復帰の日が来るかどうかは今のところ不明である。
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