一昨年はなかなか明けぬ梅雨で(梅雨明けは8月になった)、その日も激しいというわけではなかったが、それでも腿やら腕やら背中やら(特に腿がひどい)物好きな自転車乗りが濡れるには十分な降りであった。店の横の駐車スペース(置いて3台分だろう)には花が植えられていて普段から庭のようなのであるが、その日は朝からのたっぷりすぎる雨で緑は熱帯雨林的な怪しさを発していた。
さて、その隅に自転車を駐めて、(バサバサと)傘の雫を振り落とし(ブルブルと犬のように)体の雫を掃って、哀れな濡れ鼠の体で店に入ると、昼近くではあったがさすがに客は一人もおらず、奥ではあの店主がパンを焼いている最中だった。
焼きあがったパンのにおいの中、私は豊かな気分で一人ゆっくりとパンを選び(普段食べるライ麦パンはこの間買ったばかりだったから、この日はバーニャお得意のやけに重量感のあるイチジクのパンと後2つばかり小さいのを選んで)「よく降りますね」と差し出した。その時の店主の答えが予想外のものであったのである。
「よく降りますね。」
「すばらしい。」
「ん?」
「すばらしい雨です。」
言われてみれば静かな店内から見る外の雨はタルコフスキー的とも言えた。濡れ鼠の客を特にからかう風もなく、おそらくは朝早くから生地をこねたりパンを焼いたりして奥の工房から店のガラス戸の向こうに降る雨を見ていたであろう店主は、そのよく降る雨を、降り込められて静かなその店内でどうやら楽しんでいたらしいのである。蕎麦打ち職人がその違いを言うようにパン職人にとっても雨の日は生地の作りようからパンの焼きようまで当然変わってくることであろう。確かに雨ならばその雨をあるがままに受け容れなければその日のパンは焼けまい。そのことが店主にそう言わせたものと思われたのだが、どうもそれだけではなかった。
小さな店で、自分の信じる好きなパンしか焼かないと思われる店主は「よく降りますね。」「いや、全く。こんなに降るといやになりますね。」とか「早く梅雨が明けて欲しいものですね。」といったお定まりの会話を私の前で見事に断ち切ってみせたのであった。暗黙のうちに自動的に決められた科白を何の考えもなく惰性でなぞってみせることは「会話」ではない。そのベルトコンベア式の自動装置を止められて私は確かにはっとしたのである。
店主(ニヤリとして) 「すばらしい雨です。」
私(ハッとして) 「なるほど。いや、どうせ降るならこれぐらい降ったほうがね。」
店主(いつも通り) 「では、お気をつけて。」
私(ハッとしたまま) 「どうもありがとう。それじゃあ。」
「その思想が行動になるのでなければ『思想』の名に値しない」とは学生時代よく恩師(中年になるまでMünchenにいて、スコラ哲学とユング心理学を研究していた。帰国後も毎年紀要論文を最低1つ書くことを自分に課していた)が口にしていた言葉である。当時私はそれを当然だと思い、我が思想と行動の一致(実はただの気ままな趣味)を暢気に威張っていたのだが、それは実に愚かな楽観であった。実際今になってみれば当時懸命に学んだつもりで我が「思想」と信じ、そう称していたもののいくらも我が「行動」になっていないことが分かるのである。(実際の生活の中では、その指針にすらなっていないかもしれない。"アレテイヤ"も"IronieとHumor"も"Trotzdemの精神"も普段の生活者としての私に対してほとんど無力である。)。逆に言えば、幼少時からほとんど意識することなく習慣的に身に付けてきた行動や思考や感情のパターン、無反省の振る舞いや反応に過ぎないものが我が「思想」の正体というわけであった。(つまりそれは思想ではなかった。私はついに思想を学ばなかった。)
戦前仙台で教えたKarl Löwith が日本人の精神生活を評して、日本人は二階家に住んでいるようなもので、二階は西洋でも一階は完全に日本のままで変わらない(つまりいくら学んでも思想が行動にならない)ことを指摘した。これは「和魂洋才」というような立派なものではなさそうだ。「世間」や「つきあい」や「日々の暮らし」の前に思想があっけなく敗れているさまである。そしてどうやらそれはそのまま私のさま(「ざま」と言った方がよいか)なのである。これは嘆かわしい。
それで結局哀れなばか者のままで、以前と比べてまるで賢くはなっておらぬとFaustのように嘆いてみることでもできればまだしもだが、FaustどころかWagnerほども勉強していない自分を振り返ると正直なところ格好のつけようもない。パン屋の店主の一言から我が思想の敗北が浮かび上がってしまったのである。
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