考えてみればMahlerにおける死はあくまで外にある他者であって、恐怖と悲惨の対象で(それゆえ克服の対象で)はあっても、決してSchubertにおけるような馴染みの隣人、旅の道連れではない。Schubertの場合、あまりに深く死に埋没しているために、かえって死を恐れる必要がないのである。死に遭って恐怖し、嘆き、戦い、さらに復活を熱望したり或いは諦観にしずんだりするのがMahlerならば(ちょっと騒々しい)、時に目を見開いて凝視することはあっても、常に傍らあるのを当然とするのがSchubertであって、これは実のところ似ても似つかぬ死の風景ではあろう。あそこまで死の風景をあからさまに意識した以上、現代の小利口な指揮者ならMahlerがちらついたり、パロディじみたにおいが漂ったりしたかもしれない。ところがSchneidtの場合は、そこまで踏み込むのかというところまで踏み込んでも純正そのものなのである。Schneidtの貴いところは、この現代という時代にあっても決してパロディに堕さぬところだ。というわけで、死が素朴な明るさや残照のようなさみしさと常に隣り合うSchubertの風土の冥い深淵を最後まですさまじく現出させながら2楽章は終わった。
続く3楽章は一転して舞踏性の強いダイナミックなものであった。歩くのも覚束ない老人が見事にオケを踊らせている。2楽章の暗い影を引きずることもなく、対照見事に素朴な力強さに溢れていた。前の楽章で、その尋常ならざる世界の表出にすっかり舌を巻いていた私は、当然この後のトリオもさぞやと待ち構えずにはいられなかったのだが、あの懐かしくも歌に溢れた感動的なトリオはやや喰い足りない気もした。しかし、これはどうやら私の期待が無用に大きく膨らみ過ぎていたからのようだ。桁外れなまでに巨大な歌に溢れかえり、懐かしさとさみしさが破裂する壊滅的なほどの頂点を(勝手に)待っていたものだから、いかんせん相対的に物足りなく思われたものらしい。その後は再びテンションの高い気合いの入った舞踏が再開されたのだが、これはつまりSchneidtが3楽章の力点を力強い舞踏性の方に置いたということだったのかもしれず、その意味では理にかなったバランスであった。Knappertsbushばりの破格なデフォルメを過剰に期待する私の方に問題があったわけではあるが、それが可能かもしれないと思わせる特別な空気があったということでもある。
そして遂に終楽章である。終楽章は多幸症的に大いに盛り上がると同時に最後の最後にまた仰天する仕掛けが待っていた。
盛り上がりそのものは、普段滅多にお目にかかれないほどに凄まじいもので、フィナーレのあの力業(ダーッ!ダーッ!ダーッ!ダーッ!バッバラバ、バッバラバ、バッバラバ、バッバラバ)に至るまで強烈な熱気を帯びつつ、最後が近づくほどますます激しくエネルギーを放出させながら、渦を巻いて駆け上っていったのはなかなかにすごかった。
ここには確かにAdornoが指摘したSchubertの、Beethoven的ではない、新たな解放と希望の地平が開かれる可能性が見え隠れしていた。いわゆる"苦悩を通して歓喜に"至る(偉大だが単純すぎる)弁証法的なAufhebungではなく、夢の先に閃くように直観され、出口のない死の風土のわずかな切れ目からチラチラと微かに覗き見える、未だわれわれが知らずにいる新しい解決と解放の希望である。幸いにも未完成に終わらずに済んだハ長調の交響曲のフィナーレには、あの(一見馬鹿げた、しかし偉大な)天国的に続く無限の繰り返しの先に、未完成交響楽ではつかみ得なかった死の風土を突破する破壊的なポテンシャルがある。ほんとに突破できるかどうか、その直観が真に有効なのかどうかは、果たして分からぬ。分からぬが、そこにわれわれは一縷の希望を託しうるのである。
というわけで遂にわれわれの目にも、このSchubertの無限の反復と上昇のめくるめく渦の先に、約束の地が遥かに見えてきたと思われた。このまま踊りながら境界を越えて駆け抜けていけるかもしれないと信じかけていた。最後の力業も(ダーッ、ダーッ、ダーッ、ダーッ)ものすごい勢いで決まり、フィニッシュが迫り、将にもうゴールを駆け抜ける体勢に入ったその矢先である。最後の最後にさて何が待っていたろうか。
突然のディミヌエンドである。(それは指定通りらしいのだが、あれほどの効果で為されたのを私は初めて聴いた。)咲き誇っていた花が瞬時に萎れ、目の前で霜枯れの花に変じてしまったかのようであった。思いがけず死の符合が示されて、解放と新たな地平の夢に目がくらんでいたわれわれは、突然夢が夢でしかないことに気付かされて冷水を浴びせられたのである。駆け抜けたと思ったゴールは夢の楼閣のように跡形もなく消え失せて、ギョッとして目をキロキロさせるわれわれの前に広がっていたのは、白々と果てもなく広がる元と変わらぬ荒れ野であった。イカロスの飛翔の余韻でわれわれの頭は痺れていたが、さんざんさすらい歩いたあの死の風土に再び立ち戻ったことを認めないわけにはいかなかった。
そしてなお不思議なことに、この帰還は悲しいというよりも懐かしかったのである。
やられたという感じであった。終わった途端にその意味を悟らぬボンクラどもが先走った拍手を始めたが、指揮者とオケは最後の1音のまま微動だにしない。当然一旦鳴り始めた拍手はすぐに止んで、しばしの沈黙と一部の人々にはとまどいが訪れた。その後Schneidtとオケが姿勢を緩めた後、おもむろに拍手はわき、ついに改めて盛大に鳴り始めた。驚いたことに寸前まであの恐るべき演奏をしていたSchneidtは、今や再び孫のところに遊びに来た人のいいおじいちゃんといった様子に戻り、ニコニコ、ヨタヨタしながら拍手に応えている。仙台フィルも満足そうで、この熱演には神奈川フィルの石田泰尚(たかじんに似ている)の力もかなり与っていたようであったが、Schneidtはトロンボーンを始めとしていくつかのセクションを立たせて労をねぎらっていた。しかし見ていると立たせるのはあくまでも顕彰に値すると評価したセクションだけで(トロンボーンは立たせても、ホルンは立たせない)、その点ニコニコ、ヨタヨタしていても厳しい人なのであろうと想像された。すると客席に知った顔でも見つけたのか、ステージの前の方まで嬉しそうに出てきて、ある席の人を指差しながらヨタヨタと近づいて、そこでしばらくまた指差したり、ニコニコを通り越して顔を崩したりしていたのだが、これは少々愉快で客席からも笑いが起こっていた。あの演奏とこの演奏後の姿(ほとんど金さん銀さんレベル)のギャップは実に甚だしいものがあって、これもまた演奏に劣らず尋常ならざるものであった。
今の時代、こういう右顧左眄せず意味の核心を鷲掴みにする演奏というのは貴重である。それに、これこそが本質なのだという一点に絞って揺るぎがないというスタイルは、(だからそうなのかということは置くとして)様式観に欠け、柔軟性や多彩さに乏しい日本のオーケストラの弱点を目立たせない。Schneidtでなら独襖系のレパートリーを一通り聴いてみたいという気になる。
結論はこうだ。Schneidtの再客演が実現しますように。
s.Hanns-Martin SchneidtのSchubert1(2008/10/01)
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