若し我を以て天地を律すれば一口にして西江の水を吸いつくすべく、若し天地を以て我を律すれば我は即ち陌上の塵のみ。すべからく道へ、天地と我と什麼の交渉かある。 ......始めて海鼠を食ひ出せる人は其胆力に於て敬すべく、始めて河豚を喫せる漢は其勇気に於て重んずべし。海鼠を食へるものは親鸞の再来にして、河豚を喫せるものは日蓮の分身なり。苦沙弥先生の如きに至っては只干瓢の酢味噌を知るのみ。干瓢の酢味噌を食らつて天下の士たるものは、われ未だ之を見ず。
親友も汝を売るべし。父母も汝に私あるべし。愛人も汝を棄つべし。富貴は固より頼みがたかるべし。爵禄は一朝にして失ふべし。汝の頭中に秘蔵する学問には黴が生えるべし。汝何を恃まんとするか。天地の裡に何をたのまんとするか。神?
神は人間の苦しまぎれに捏造せる土偶のみ。人間のせつな糞の凝結せる臭骸のみ。恃むまじきを恃んで安しと云ふ。咄々、酔漢漫りに胡乱の言辞を弄して、蹣跚として墓に向ふ。油尽きて燈自ら滅す。業尽きて何物をか遺す。苦沙弥先生よろしく御茶でも上がれ。......
人を人と思はざれば畏るヽ所なし。人を人と思はざるものが、吾を吾と思はざる世を憤るは如何。権貴栄達の士は人を人と思はざるに於て得たるが如し。只他の吾を吾と思はぬ時に於て怫然として色を作す。任意に色を作し来れ。馬鹿野郎。......
吾の人を人と思ふとき、他の吾を吾と思はぬ時、不平家は発作的に天降る。此発作的活動を名づけて革命といふ。革命は不平家の所為にあらず。権貴栄達の士が好んで産する所なり。朝鮮に人参多し先生何が故に服せざる。
在巣鴨 天道公平 再拝
「何が何だか分らなくなつた。」
と簡潔明瞭な何等の結論に達することなく、茫漠として行方の定まらぬままにその思考は停止するのである。
軽重、悲喜を問わず漱石の作品では「片付かぬ」ことが多い。
"道草"の健三は最後、金を無心に来る養父島田の件を証文を取ったから片付いたと安心する細君に向かって答えている。
「安心するかね」
「えゝ安心よ。すつかり片付いちやつたんですもの」
「まだ中々片付きやしないよ」
「何うして」
「片付いたのは上部丈ぢやないか。だから御前は形式張つた女だといふんだ」
細君の顔には不審と反抗の色が見えた。
「ぢや何うすれば本当に片付くんです」
「世の中に片付くなんてものは殆んどありやしない。一遍起つた事は何時迄も続くのさ。たゞ色々な形に変るから他にも自分にも解らなくなる丈の事さ」
健三の口調は吐き出す様に苦々しかつた。
この「片付かぬ感覚」とでも云うべき基調は、文明開化に沸く煌々と照らされた表の背後で、相変わらずランプの明かりも届かず薄暗いままの和室の書斎を思わせる。この仄暗さ、陰影、闇と影が付きまとう感覚は当時の知識人にとっても逃れがたいものだったのではないかと推測する。漱石時代の「現代日本」の光と影、明暗の裏の仄暗さや闇ばかりではない。文字通りガス灯とランプ、幾分かの電灯の時代、日が暮れれば家の中、路地裏、何処彼処と実際に闇と影が溢れていたに違いなく、夜が明けて日中明るいといっても障子越しの仄明るさなのである。何とも片付かない感覚と何とも仄暗い感覚を形作ったいくつかの要因のうちには、この物理的な暗さの影響も少なくなかろうと思われる。ならば当然この感覚も一人漱石に限られたことでもないと思い当たる。好むところから挙げれば、その門下である内田百閒にも、更に時代を下れば向田邦子にも、また系統は変わるが江戸川乱歩などにも共通して感じられるところだ。内田百閒の特に戦前までの作品を読むと子供時代に感じた恐ろしくも懐かしい、黒々とした闇の感覚に包まれる。そして、幸か不幸かその片付かぬ感覚に親和性を覚えるのが、煮え切らぬ男で定評のある私である。
煮え切らぬ男思へらく、
本でも音楽でも、または絵画でも映画でも、或いは食べ物や飲み物、さては考え方や振る舞いでも、何であれ自ずからして好む物は少なくないが、かといって多いというほどでもない。ただ時々、それらがもたらす感動と共感の源は一体那辺にあるものかと、ふと気にかかることがある。一体それの何が、全体我々の何を、果たしてどのように刺激して、そのものを好んだり嫌ったり、果ては愛したり憎んだりさせるに至るものなのであろうか。
或る友人の医師である祖父は精神科医になった孫に対して「おぅY之、そりゃ神経だよ」と言っていたそうだ。別な友人のクールな従兄弟は「そんなものは単なる習慣に過ぎない」と言っていたらしい。私の飲み仲間の一人は、飲みながら「定めだ」と言っていたが、別の一人は「何くだらないこと言ってんだ」と言っていた。確かに原因は脳かもしれなかったし、蓄積した経験の結果に過ぎないのかもしれなかった。運命であるかもしれなかったし、或いはもっと有意義なことを考えた方がそもそもいいのかもしれなかった。
学生時代、好きな物と嫌いな物を悉く列挙して吟味してみれば、その人間についても何らかのことが知れるのではないかと友人同士比べてみたことがあった。山か海か、都市か自然か、精神か肉体か、聖か俗か、夏か冬か、肉か野菜か、ビールか日本酒か、犬か猫か、音楽か絵画か、金髪か黒髪か、粒餡か漉し餡か...etc.etc. 大まかなものから細かなものまで、脈絡があるのかないのか、芋づる式に次々とあらゆるものが掘り出された。結果、確かに何らかのことは知れた。各人の好き嫌いには明確なこだわりもあれば、それなりの特徴や傾向もそこそこ見て取ることもできた。
が、それではそれで結局何が知れたかと言えば、実のところ大したことが知れたわけでもなかったのである。当人が既に知っていることや薄々気がついている程度のことが知れたきりで、ユングが言うところの心理学的類型なるもの(Psychologische Typen)が何ほどか確認されただけなのであった。そして、心理学的類型がいかほどか知れたところで、
つまり、
内向型(introvertiert)か
外向型(extravertiert)か、
①思考(Denken)
②感情(Fühlen)
③直観(Intuition)
④感覚(Empfindung)
の4つの基本機能の内のどれが優勢で、どれが劣等で、どれが補助的に働いているのか、その各人のタイプがおおよそ知れたところで、
それはたかだかそれであった。それでそのまま個性化(Individuation)のプロセスをたどり、有り得べき自己実現(Selbstverwirklichung)がスルスルと叶えられるわけでもなく、結局、単に血液型性格診断程度にしか役には立たなかったのである。「汝自身を知れ(gnothi seauton)」というデルポイの神託に掲げられていた問題は、相変わらず解ける気配もなかったのである。
つまるところ、その時「何が何だか分らなくなつた」ことは、悲しいかな、今も「何が何だか分らない」ままなのである。
文化の日であるが、苦沙弥先生よろしく懐手をするか昼寝をする他ない休日である。
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