つまるところ、ロマン派が求めたのも我らが認識の拡大なのであろう。認識を拡大、深化させ、まだ解き明かされていないこの世界の真実の意味を探り出して、世界と人間を内面的に再構築してしまおうという壮大な夢想である。ロマン主義の思索家たちは、予感はされるものの通常の意味では認識されることのない” 天上の事物 ”をどこまでもつかもうと欲して、あれこれと(にぎやかに)試みている。
„Der Morgen" (von Philipp Otto Runge)
酸いも甘いもかみ分けたGoetheは、事物の認識に当たって、「測深鉛(Sonde)で測定しながら手に入れうるものを探究し、測定不可能なものは静けさをもって敬う」という立場にあえてとどまったのであったけれども、一方の彼らは測定不可能なものの世界を前にして立ち止まるつもりはさらさらなかった。彼らはその探究を試み、そのためには理性(Vernunft)は十分なものではなくなっていた。彼らは理性を謂わば何でもありのファンタジー (Fantasie)と入れ替えたのである。当然、そこにあるのは、Wackenroderにおけるような静かな感激に満ちた、秘めやかな夢想ばかりではない。ディオニュソス的な熱狂あり、狂信的神秘的な陶酔あり、熱に浮かされたたわごと、うわごとあり、自己顕示や自我インフレーションがあり、玉石混交、さながら子供のおもちゃ箱、がらくた箱である。
ロマン派中のロマン派、生粋のロマン主義者Novalisは本物だろう。そこには一種精妙な霊気が漂っているかのようである。彼には会ってみたい。シュレーゲル兄弟(August Wilhelm Schlegel, Friedrich Schlegel)は実際に会ったら、おそらく鼻持ちならないだろうと想像する。
そこには本物もバッタもんもいっしょくたに詰め込まれているようで、たんなる思いつきや画餅以上のものではないものもしばしば目に付くのだが、それでも我々の認識能力を質的に転換し、認識領域の拡大と深化を図るための種々の装置が色々と考案されている。
- 「ロマン的イロニー」("Romantische Ironie") しかり、
- 「先験的ポエジー」("Transzendentale Poesie") しかり、
- 「魔術的観念論」("Magischer Idealismus") しかり、
- 「詩的省察」("Poetische Reflexion") しかり、
- 「無限感覚」("Sinn des Grenzlosen") しかり、
- 神話(Mythologie)、夢(Traum)、ポエジー(Poesie)、ファンタジー(Fantasie)、アラベスク(Arabeske)、メルヒェン(Märchen) しかりである。
「ポエジーの感覚は神秘主義に対する感覚と多くのものを共有している。その感覚は未知のもの、神秘なもの、啓示さるべきものに対する感覚である。…それは描写不可能なものを描写する。それは不可視のものを見、感受しがたいものを感ずる。」
なるほど。だがしかしである。彼らは新しい精神の認識器官を想定したわけだが(それが発達すればそれまで認識不能だったものも当たり前に感受できる)、実際にそれを発達させ、通常の五感で事物を感じるのと同じ確かさで、捉えがたきものを明瞭に知覚することのできた者は、はたしてどれほどいたのかということである。それはロマン派のたどった運命を見れば自ずから明らかであろうか。ムーブメントとしてのそれはGoetheの生前に自壊しているのである。
実は昔から、(恥ずかしながら)その憧憬(Sehnsucht)の心情を共有している気がして、ドイツ・ロマン派には少なからず共鳴、共感するところがあったのだが、それ故にその限界も、残念ながら認めぬわけにはいかぬのである。彼らは謂わば門前の小僧に過ぎなかった。向こうの世界のことを声高に語るが、門の隙間からちらりと中を覗いた、或いは覗いた気になっているだけの場合が多いようである。実際に門の中に入って、向こう側を存分に検分し、実際に生きた者はいるのか。生粋のロマン的魂Novalisや控えめなWackenroder、朗らかなEichendorfには感心するが、Friedrich Schlegelの大袈裟な口吻を聞いていると(お前は本当に分かっていっているのか?)、しばしばうんざりさせられるのである。
彼らの認識は文字通り夢のように儚く、それを名づけるならば、あくまでも「予感」、よくても「直観」に過ぎなかった。 それで「分かった」とはさすがに言えまい。
というわけで、依然として「問」は残っているのである。書斎のFaustは当然(一體此世界を奥の奥で統べてゐるのは何か?)、Buddenbrook翁のつぶやきも(奇妙だ...奇妙だ...)、これではまだ治まる気配はない。では、どうすればいいのか。
3につづく
s.Buddenbrook翁のつぶやき1(2009/01/18)
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