2011/05/01

Conaのサイフォン


同じ漏斗を部品として取り寄せて、そのまま前のものを使っても良かったわけだったが、それを探しているうちにふとConaのサイフォンが目に留まったのである。通常使う布や紙のフィルターでなしに、ただガラス棒1本で濾過する不思議な仕組みで、実に無駄のない美しいものである。そして一度それを見てしまったら、バネでセットしフラスコ内に鎖を垂らす普通のフィルターが何だかやけに間抜けで不細工なものに見えてきてしまった。

そこでConaの扱いを探したのだが、なかなかどうして少ないのである。イギリスのメーカーだが、国内ではとてつもなく高いか(5万超では買えるものではない)、品切れである。本国ではメーカーそのもののサイトはあったものの、注文や支払いが昔ながらの直接交渉で、購入が厄介そうだ。アメリカも米国内のみの配送という店が多くて、国際配送の可能な店でもガラス製品はダメだという具合であった。結局、注文をした4軒目にしてようやくガラス製品の国際配送の可能な店に巡り会った。

"注文をした4軒目"とはどういうことか。商品は扱っている。日本への海外発送も行っている。通常の輸出規制品でもない。だが、いざガラスとなると配送不可とする店が多いようなのだ。まずはアメリカAmazonで不可、そのAmazonに出店していたアーカンソン州にある元の店Coffee Hausstoreで不可、更に検索して探したカリフォルニアのSweet Maria's Coffeeも不可であった。Amazonの場合は注文確定の際に配送不能である旨案内が出るから、その場でがっかりするだけで済むのだが、後の2軒は注文を確定し、オーダー受け付けのメールも来て「これは行けたか」と喜んでいると、後になって”unfortunatelyキャンセルしなければならない"と連絡があるのである。2軒目3軒目と前がダメだっただけに「今度こそは」と期待をふくらますのだが、期待した分落胆は大きくなる。2度糠喜びをした。

だが親切な店もあったもので、3軒目のSweet Maria's Coffeeがキャンセルのメール中にここなら大丈夫じゃないかとイギリスの店を紹介してくれたのである。それがHAS BEAN COFFEEであった。こちらは発送済みの連絡も来て、後は到着を待つばかりである。中身が無事であれば文句はない。

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※4/21に注文して5/7に到着した。きちんとした梱包で、サイフォンの箱はコーヒー生豆を入れる麻袋に二重に包まれていた。ついでに頼んだローストコーヒーのパッキングも洒落ていると同時に実用的なもので、店への信頼感が増す。豆そのものも質の高いものだ。値段も適当でむしろ良心的と言える。ここは贔屓にしたい店だ。

Cona All Glass Coffee Maker
華奢であることを心配したが、意外と頑丈そうだ。
真上から見た図
赤いパッケージが鮮烈である。
丸々の麻袋である。

2011/04/15

東日本大震災から一月余り

3月11日の14時46分に起きた大地震は、およそ「宮城県沖地震の危険」などと言って恐れていた程度をはるかに越える物凄いものであった。東日本全体に及ぶ被害は極めて甚大で、海に近い地域では文字通り壊滅・消滅してしまった町々もある。大地震とそれに伴う大津波の犠牲者は2万8千人を超えようとしている。未だ余震は収まらず、福島の原発事故も収束の見通しが立っているとはとても言えない。4月7日にはM7.1の大余震が新たな被害をもたらし、復旧作業は何日も後戻りしてしまった。余震についてはまだ数年間、厳重に警戒し続ける必要があるのだという。今後半年から数年の間にM8クラスの巨大余震がいつどこで起きても全くおかしくないことが研究者らによって指摘されている。家族も私も幸い今回は助かった。だが、次回も無事であるとは当然限らないのだ。2万8千人程にも及ぶ犠牲者を見れば、実に助かるかどうか、生死の境目は全くの偶然に過ぎないのだと悟らざる得ない。彼らの代わりに私が死んでいても何らおかしくはなかったのである。

震災から一月余り、昨日(4月14日)漸く我が家でもガスが通った。地震の直後に途切れた3つのライフラインは、電気が通るまで3日、水が通るまで1週間、ガスは3月末日という当初の予定が延びていたところに7日の大余震で更に遅れたのである。

今回の地震は震災前に漠然と考えていたものとはまるで違っていた。何とも甘いことに私は、せいぜいM7級の1978年程度の地震がやって来て、その時のように1週間か10日の不便を忍べば何とかなろうかと高をくくっていたのである。心配と言えば、阪神大震災の時のような直下型の地震が来て建物の被害が大きくなることであったが、それもなるようになるさと特に備えてもいなかった。ところが実際に来たのはM9という桁違いの巨大地震であり大津波であった。数百キロに渡ってプレートが破壊され、被害地は東北から関東一円、つまり東日本全域に及ぶ。

その日私は家にいたのだったが、数分間にも及ぶ、まるで掘削工事の現場に居合わせたかのような強烈な揺れは、およそ尋常なものではなかった。揺れの程度は前回1978年の宮城県沖とさして変わらぬようにも、或いはその時の方が周期の短い激しい揺れだったように思われたものの、その長さが全く尋常でなかったのである。一向に止まないものだから、揺れの中で周りを見て思案するゆとりが出てきたほどであった。家の者はリビングの大テーブルでひたすら身を支えており、私は書斎の机に半分乗り上がって、二つの書棚とパソコンを倒してはならじと押さえ続けた。振動のためにパソコンは見ている間に台上を移動し、端からずり落ちそうになる。その度に中央に引きずり戻した。隣の部屋ではスピーカーは言わずもがな、重ねていたラックも、その上のアナログプレーヤーも、その中のオーディオ装置もガラガラ、バタバタと倒れ、飛び出していく。台所では棚という棚から遠慮会釈なく食器類が床に落ちて割れているようだった。無論それが分かっても何が出来るわけでもない。人は無事、建物も無事だったが、家の中の物は、倒れる物は倒れ、割れる物は割れて部分的に大きな被害があった。

震災当日は無論のこと、翌日、翌々日と電気が通った14日の昼まではそもそも何が起こったのか詳しいことはほとんど分からなかった。揺れの収まった町内は、見渡してみれば一見妙に平穏で、そこだけ取り出してみれば長閑な週末の午後と変わらぬようにも思われたが、各家々の内部では瀬戸物やグラスが割れ放題に割れ、書棚の本はことごとく飛び出していたのだ。揺れ始めてすぐに電気は停まっていたのでTVで地震情報を知ることは出来ず、パソコンは強制終了しており、生憎ラジオの電池は切れていた。無論電話も通じるものではない。どこで何が起こったのか知りたかったが、それよりも目の前に片付けねばならない物があり、割れ食器の山があった。暗くなる前に先ずは台所の始末をつけることが先決であった。かくて、隣近所でお互いの無事を確認した後は、各家々取り敢えず夜を迎えられるように、頻繁にくる余震の中、我々は片付けに取り掛かったのである。救急車両のサイレンが鳴り渡り、ヘリコプターの爆音が空に満ちて、いよいよ市中が騒然となったのは間もなくであった。

2011/02/06

“あまんじゃくとうりこひめ“-完成度の高い民話オペラ

仙台のオペラ協会では秋の本公演の他に春のインテルメッツォという規模の小さい公演があって、それが今回は林光の民話オペラ“あまんじゃくとうりこひめ“であった。昨年の“鳴砂“に引きつづき、今回も縁あって招待状をいただいたので、29日の土曜日に喜んで出掛けた。
あまんじゃくと言えば昔話でお馴染みの天邪鬼で、私も子供の頃よく読んだような、読み聴かされたような、仄かに懐かしい記憶もあるのだが、当の作品そのものは初めて聴くのである。もっとも、聞けばそもそもは学校放送向けのテレビ用作品で1959年の作というから、もしかしたら意識はせずともどこかで見てはいたのかもしれない。一方、創った林光といえば名高い作曲家である。実のところ詳しくは知らぬのだが、それでもオペラシアターこんにゃく座の活動、大河ドラマを始めとする放送ドラマのテーマ曲、劇音楽、その他諸々、色々と耳には聞こえてくる。だが、私が初めてその名前を意識したのは何あろう、NHKの水曜時代劇“真田太平記“のテーマ曲とその劇中音楽によってであった。

ドラマのテーマ曲と言えばグランドスタイルの派手で大掛かりなものが多かった中で、独り力強い堂々たるシンプルさが強力に耳を引いたのである。ドラマチックな短い導入に続いてチェロ一本でテーマが始まると、淡々と歩を進めながらも内的な力は充実し、静かな気迫が漲ってくる。時に笛が絡み、時に打楽器を加えた合奏が楔を打ち、時に高揚するが、必ずまた本筋に戻ってくる。禅画のようなモノトーンな展開の内に侍の雄渾で腹の座った覚悟と気迫が、また人生と自らの来歴を観照する諦観が過不足なく示される様が実に見事であった。そこには当該ドラマの内容と性格に対する劇音楽家としての高い見識と感性が見て取れたのである。正に座付き作曲家の面目躍如たるものがあった。

というわけで楽しみにしていたのである。所は旭ヶ丘の青年文化センター2Fの交流ホール、時は1月29日土曜日の午後6時からであった。“あまんじゃくとうりこひめ“自体は40分程度の短い作であるから、前半は4人の歌手によるガラコンサートになっていた。モーツァルトやプッチーニや團伊玖磨などを聴いて、休憩後にいよいよ始まったのである。昨年の“鳴砂“では日本語におけるレシタティーボ作曲上の困難さというものをつくづく感じさせらていたので、林光がこの楽しくなければならない民話オペラでその問題をどう解決しているのかに興味があった。母音だらけでやたらに音節を喰い、一音に入れられる情報量がどうにも少ない日本語をどう扱うのか。一単語を一音に入れるのはまず無理だし、文節末に付きまとう助詞の“てにをは“も語りを単調でもってまわった説明調にしてしまいがちだし、文末もヴァリエーションに欠けて萎みがちだ。和歌の詠唱や謡や詩吟ならばよいが、オペラや歌曲やミュージカルとなると途端に日本語の特質が弱点となる。“鳴砂“の語りにしろ、今回ガラで歌われた“夕鶴“のアリアにしろ、その点では全くこなれておらず、聴いていて酷い不自然さに辟易するほかない。
さて、今回そんな課題を解決することは可能だったのか。結果は見事に解決されていた。というより50年前に解決されていたのだ。解決方法はコロンブスの卵で、すなわち言葉を方言にしてしまうことであった。ピュアな方言100パーセントではあるまいが、方言或いは方言調にすることで先の日本語の弱点はほぼ克服されたのである。“てにをは“がうるさいのも、文末に多様性が乏しいのも、音節喰いで一音に単語を盛れないのも主に標準語の話である。ひるがえって方言となれば、その点は随分と自由だし選択肢も増える。短くも長くもできるし、音のパレットも途端に豊かになる。標準語で難しいことが方言では容易く解決されるのである。おかげで説明臭く、自然さを欠き、生煮えで、不出来な台詞と歌の二重苦に悩まされることなく、子供たちと共に生き生きとした民話の世界を楽しむことができた。

“あまんじゃくとうりこひめ“の成功の半分は明らかに方言を取り入れた台本の工夫にある。林光は身近な生活に根ざした、内発的な実感を重視する芸術家であるらしいから、50年前にも作曲家と台本作者との間に緊密な連携作業があったに違いない。

2010/10/28

関口存男の小さな評伝

先日、近所の本屋に立ち寄ると新刊書の棚に池内紀が書いた関口存男の小さな評伝が並んでいた。懐かしい名前である。私は熱心な学習者ではなかったが、それでも“初等ドイツ語講座“であるとか“独作文教程“といった名著を眺め、“関口存男の生涯と業績“という箱入りの一冊も持つだけは持っているのである。物置を探せば、関口文法の色合いが濃厚に残っていた時代の“基礎ドイツ語:Mein Deutsch“も何冊か見つかるはずだ。

本の後書きによれば、関口存男生誕110年に当たる2004年に『現代思想』に連載したものを、今回一冊にまとめ直したものだそうだ。池内自身は生誕100年の際の1994年にもいくつか文章を書いていて、関口存男の未発表原稿の発掘や新しい評価など複数の記念出版があるものと秘かに期待していたらしいのだが、既存著作のまとまった復刊以外、他にそれらしいものはほとんどなかったようなのである。そこで、待っていても出ないのならばということもあり、遅ればせにオマージュを捧げることにしたらしい。

ドイツ語学の鬼才、法政時代の内田百閒らとの対立、未完に終わった畢生の大作『冠詞論』、関口文法の隆盛と没落など、改めて見ればいかにも奇人好きな池内紀好みの素材ではある。そんな池内の今回の指摘で思いがけなかったのはヴィトゲンシュタインとの類似だ。実践的語学の追究が言語哲学、認識論に突き抜けてしまったのである。両者とも言語の森に奥深く分け入り、深く分け入り過ぎて、もはや生還を期せない地点にまで踏み込んでしまった。ヴィトゲンシュタインはここに至り、畢竟沈黙する他ないことを結論としたが、関口存男は語り得ぬことがらが潜む地点に至ってなお決死の突貫をやめなかったらしい。それがもはや語り得ぬと知りつつ、それでもその幾重にも茨の絡まった身動きならぬ地点でしぶとくもがき続け、じりじりと匍匐前進を続けていく。勿論、これはそもそも勝つことの叶わぬ勝負であり、当然敗れ去る他はなく、困難を極める格闘と探究に彼の寿命はもう間に合わない。主著たる『冠詞論』は2千数百頁を費やしてなお完成せず、その後の計画も頓挫するのだが、実にその点において我々の心を揺するドラマは存するのである。その限界内において最善を尽くし、遂に敗れさるが、人間存在の内実としては勝利した者の悲劇である。

これはファウスト的な悲劇であり、ドラマとしては特に目新しいものではないだろう。しかし、悲劇の価値は新しさや珍しさにあるわけではない。むしろ、典型的•神話的な度合いが高ければ高いほど純然たる価値と力を持つものであろうが。彼は困難な探究の道半ば63歳で逝く。膨大な資料の山が遺された。もしまだもう少しの時があれば、関口存男は何処まで行けたのか、或いは行けなかったのか。

孫の関口一郎が癌で倒れることなく、まだ生きていたら、事態は変わっていただろうか。遺稿集や資料類はもっと出たかもしれない。だが、評価や研究となると新たなものが出てくる可能性はあまり高くはなさそうだ。言語哲学となった実践語学の研究である。ヴィトゲンシュタインやソシュール方面からの研究があるだろうか。言語哲学としても言語学としても、独自過ぎる、しかも未だ完成せざる体系を適切に扱える研究者が果たしているだろうか。或いはその気になる研究者が。

いい機会を得た。暫くぶりに読み直してみることにしよう。

2010/10/13

2種類の人間と阿呆船

世の中には、あるべき姿や原理的な根拠を問題とし、自らの在り方や決断や行動の裏付けを吟味することを当然と考える人間と、そうでない人間の2種類があるようだ。国会中継で自民党の石破茂と民主党の無見識な連中とのやり取りを視ていると、この2種の人間の大きすぎる差に愕然とする。

人間に品格というものをもたらすのは、自らの個人的な基準を超えた所に想定される原理、理念、思想、倫理、イデアであろう。それらを欠いた場合、その人間の判断規準や行動指針は単なる世俗の損得勘定や慣習的な無反省の反応になる他ない。実にその見本とも言える姿を見せてくれているのが民主党の面々である。実に見識なき無恥の人間という物をこれでもかと言わんばかりに晒してくれている様子はなかなか見られるものではない。

見渡してみれば、また振り返ってみれば、自身を超越した高次の基準を持っていないような人間で尊敬できる人間にお目にかかったことはない。

民主党とは倫理的、道徳的に破綻した羅針盤も舵も持たぬ「阿呆船」 (Das Narrenschiff)である。我々はそれに乗り合わせているというのか。

2010/10/12

AndroidアプリSmart Keyboard PROを試す

Smart Keyboard PRO(€1.99)を試しているのだが、キーボードの感じはとてもいい。キーの間隔、記号類を打つ際の容易さ、日本語から英語や独語への切り替えの手軽さなど、その点に関してはほとんど申し分がない。元々多言語対応キーボードであるから、英語や独語を単独で打つに良いのは当然だが、欧文を日本語中に挿入するのにほぼシームレスでいけるのが大変良い。ßがないのは腑に落ちないが(※sの長押しでポップアップされることが分かった。これでよい)、ウムラウトを一々記号から選び出す必用がないのは楽である。これを普段使いのキーボードにすれば、今メインで使っているSimejiで使いづらいと感じる部分が概ね解決されることになる。

では、それは可能なのか。残念ながら十分ではない。問題なのは日本語入力の弱さだ。入力方法や予測変換自体の動作に問題はなく、むしろ機敏で結構なのだが、如何せん辞書の語彙が十分でない。また、多文節の一括変換、漢字一語の呼び出しが出来ないことも大きな弱点に思われる。単文節毎に確定する習慣の者ならそれはそれだが、一文またはそれ以上を入力して一括変換し、変換に誤りがあればそれは適当な文節に分け直して改めて正しい変換を探るという当たり前のことが出来ないのは不便だ。漢字一字を単独で呼び出すことが出来ないのも不便である。変換候補に適当なものがない場合や一字だけ直したい時にはわざわざ適当な熟語を出して、要る漢字以外を消すという手間をかけなければならない。日本語辞書の充実、多文節の一括変換機能、漢字の単独呼び出し、この3点が日本語キーボードとしてのSmart Keyboard PROの課題である。今後のアップデートで漸次改善が図られていくことを切に望む。日本語力が上がってきさえすれば、これを是非メインキーボードにしたいと思うからである。

何れにしても、もうしばらくこちらをメインにして使ってみたい。筆記用具が変わるとそれだけでも新鮮な気分にはなるものだから。

2010/10/11

Android OS 2.2へのアップデート

10月8日にAndroid OS 2.2へのアップデートファイルが配布されて、私のDesireも目出度くFroyoになった。最初にアップデートを試みた時は、更新に必要な25MBの空きが内部メモリーになくて、やむなくいくつかのアプリを削除したが、全体としては特に問題もなく更新は完了した。アップデートしてしまえば、対応したアプリをSDカードに逃がしてやれるようにもなるので、その差分で改めて入れ直してやることもできる。(結局、あまり使わないTwitterの純正アプリとGoogle Reader用の読み取りアプリは削除して、今もそのままだ。)

さて、2.2になって性能は大いに向上した。Internetの読み取りは随分速くなったし、コンタクトも時にカクカクしていた動きが滑らかになった。概して反応がより機敏、動きがスムーズになっているようだ。基本アプリとなるSearchやMapやGmailもそれぞれ機能や使い勝手が向上している。こうなるともう2.1にはもどれない。


アップデートによる大きな問題は生じなかったが、小さな問題は幾つかあって新しい環境下での調整には一晩かかった。アプリで問題が生じたのがDolphin Browserで、これは起動せずに落ちてしまうという症状で少々困った。再起動したり、インストールし直したりしたが状態は変わらず、メインブラウザにしていたので些か心配させられもした。ホームをHTC Sceneにしていないからかとも疑い、設定を戻したりいじったりもしたのだが、その後Googleの最新情報検索で、英語環境であれば起動に問題はなく、一旦起動させてしまえば、後は日本語に戻しても大丈夫というTwitter情報を見つけて事なきを得た。(ただ、一度アンインストールしてしまい、バックアップも取っていなかったものだから、ブックマークの再現に時間を要した。)もう一つはタスクマネージャーアプリのjkAppSwitchEXで、アプリのスイッチはできるが停止機能が働かないということがあった。こちらはそもそも2.2未対応だったからで、さて今後この99円アプリのアップデートがあるのかないのか、あるとすればいつなのか、これは不明である。なければ代替アプリを決めなければならない。

HTC Senseは、結局使わないだろう。画面下にわずかに弧を描く不透明なランチャーバーが気に入らないためだが、前から愛用しているLauncher Proが非常に優れているためでもある。デザイン、機能とも申し分ないのだ。これが無料アプリだとは全く感心する。感心するアプリは他にもある。こちらは有料だが、FolderOrganizerも素晴らしいものだ。これがなければホーム画面の使い勝手はまるで異なってくるだろう。実のところ一番重宝していると言ってもよい。任意にフォルダーを作り、その中にアプリでもサイトのショートカットでも、電話番号でもメールでも何でも入れておくことができるというものなのだが、ジャンル毎にフォルダーを作れば、必要なものを必要なだけ分類整理しておくことができるのだ。しかも、フォルダーには好きなアイコンをつけられるから、普通のアプリのアイコンのようにホーム画面上に並べておくことができる。アプリを7個も8個も並べて画面を占拠するかわりに、パッケージされているフォルダーを1つ置くだけでよくなるのである。これによって劇的にホーム画面は変わる。ツール系のアプリ数あれども、これは私にとって必要不可欠アプリの筆頭だ。

Launcher ProやFolderOrganizerは以前から重宝していたもので、その点アップデートによる変化ではないのだが、アップデート後も依然として変わらずに残念だったこともある。特に不満な点は2点だ。組み込みブラウザの使い勝手の悪さはさておき(これはブラウザを換えれば済む話だ)、連絡先にURLを書いておいても連絡先からは開けぬことが1つ、キャプチャー機能が相変わらず装備されなかったことがもう1つである。連絡先上のメールアドレスからメールソフトを立ち上げることはできる。ならば当然連絡先上のURLからブラウザを直接立ち上げられるようにするべきだろう。URLが書いてあっても、ただ情報として書いてあるだけで連絡先ソフト上ではコピーすらできない。これは全く不便だ。また、画面の簡単なキャプチャー機能も何故ないのか。PC無しで何故撮れるようにしないのか。記録としてとどめておくことすらできない。

Froyoで叶わなかったことがGingerbreadで叶えられることを望む。その時には端末もパワーアップすることになるだろう。年内にAndroid OS 3.0、来年春に新端末、ならば私としても、来年度中に機種変更という道筋もあろうか。