2010/03/28

PCかMacか

2004年の春モデルだったか夏モデルだったか、ほぼ6年が経過して、かつてはそこそこだった私のパソコンも最近ではその非力さが目立つようになってきた。iTunesでCDを取り込むのに時間がかかり、その最中に他の作業をするのがスムーズでないなどというのはそれはそれなのだが、Browser上の作業自体で十分なだけのスムーズさを欠くのはストレスである。例えば、さほど画質の高くもないFlash動画の再生が途切れたりズレたりするのは実に苛立たしい。ページに埋め込まれたYou Tubeの動画やBayerischer Rundfunkのライブがまともに映らなければ、それは読んでいる本のページが破けているのと同じことではないか。動作や作業そのものに難があるのは困るのである。時間はかかってもリッピング自体ちゃんとできるのと再生自体に不備があるのではそもそも話が違うわけだ。

いや、もっと言おう。無論、時間もかからない方がいいのだ。メールやリーダー、マップやドキュメントといった基本的なGoogleサービスも、Google Earthもサクサク動いてこそのものであろう。仮に本を読んでいたとして、或いはノートをとっていたとして、次のページがうまくめくれなければ不便でもあれば不愉快でもあろう。そういうことである。今後ますますBrowser上のサービスが大きく重要度を増していくに違いない中で、それらが十分に速くないのは到底愉快なことではない。一言で言えば、みな当たり前にパッパサッサと動いて欲しいのだ。機械の都合の機械の処理待ち、こちらの作業テンポとの度重なるズレは我々の生産性と気分を損なう。便利であるべき道具に不便を強いられることが癪に触るのだ。

Goethes Arbeitszimmer
Schillers Arbeitszimmer
Fontanes Arbeitszimmer
Th.Manns Arbeitszimmer
つまり、そろそろパソコンを新しくしたいというわけだ。道具を新しくして、快適な書斎環境を整えたいのである。先立つものの心配はさておき、さてここで気になるのがPCかMacかということだ。6年前に右も左も分からず初めてパソコンを買った時とは違って、「道具としてストレスのない快適さ・便利さ」を求めたいという地点に立ち至った現在、選択の観点は自ずからCPUの処理性能やHDの容量とかだけではありえない。こう書くと「道具としての所有欲を満たしてくれるMacか」とかいう話でもしたそうに見えるが、無論そうではない。

気になっているのはGoogleのことだ。インターネット上のサービスでは、私はほぼGoogleに依存している。検索はもとより、メール・連絡先しかり、カレンダー・To doしかり、リーダーも地図もニュースも画像整理もちょっとしたドキュメントもしかりだ。諸作業の拠点となるBrowserも昨年末からはChromeをデフォルトにしている。Skypeやメッセンジャー系のものはほとんど使っていないので今は関係ないが、将来的にはGoogle TalkやVoice、Waveなどといったサービスも積極的に利用するかもしれない。もしものことを考えればリスクを分散した方がいいのかもしれぬ。が、商売や仕事に使っているわけでもなし、考えてみればダメになって本当にどうにもならず困るほどのものも無いと言えば無いのだ。それにWebサービスなら実際のところYahoo!もWindows Liveも使えるようにはしてはいるのである。ただ使い勝手の点で結局のところGoogleばかりに集中してしまった。(Yahoo!の基本的なゴテゴテ感といい、Liveのいつまでも工事現場じみた完成度の低さといい、どちらも気に入るはずもないのだ。)無論、無くなれば同じことをしようとした場合に何事であれかなり不便になる。だから、あった方が断然いいし、それがスムーズに使えれば使えるほどいいというのも言うまでもない。現在のサービスの進化、今後展開されていくであろう新サービスを考えれば、よほど事態や条件の悪化がない限りやはり依存的な利用を続けていくことになるのだろう。
実際に使っていて相対的に一番納得がいくのがGoogleのサービスということなのだが、そればかりではない。そのドン・キホーテ的なミッションには矢張り心踊らされる。
Google's mission is to organize the world's information and make it universally accessible and useful.
それが悉く検索とその商売に関連付けられているとしても、またGoogleが我々の興味や関心,嗜好や消費傾向、インターネット上の行動などを悉く監視しているとしてもだ。古今東西、全世界のありとあらゆる情報を利用可能なものにするという一見眉唾のような話も、それらの知の集積に自由に触れ利用もしてみたいと考える者にとっては素朴にありがたいものだろう。いつの日か権利や稀少性や独占や保護などの障害に関係なく、好きな本や文章に触れ、読みたい論文や貴重な資料が何でも(無料で)利用できるようになって、それらについての只今この時の議論にも関わることができるようになるのであれば単純に嬉しいのだ。全世界の図書館(と場合によっては談話室)を自分の部屋に、或いは机に、その時居る場所に、更にはポケットに持った幸せを味わいたいのである。
だから、Googleに相性がいいのはPCなのかMacなのかということである。勿論OSではなくBrowserの問題であり、所謂クラウドの問題なのではあろうが、そのBrowserの走るOSとしてはどちらがいいのか。Android問題で悪化しているAppleとGoogleの関係、Appleの閉鎖的な文化が高じてiPhoneのGoogle VoiceアプリのようにGoogleサービスを締め出していくような方向に向かっていけば、Mac用Chromeなどがなくなるようなことにならないとも限るまい。携帯と違ってそのようなことはパソコンにはないのであろうか。また、Windowsの方が常に最新のGoogleサービスを使うことができるという形がこれからも続くのであろうか。Chrome OSとその先にはいったい何が待っているのか。これからの1,2年でいろいろな要素や状況が変わってくるのであろうが。

Nexus One
まだある。具体的な購入の話として先になりそうなのが実は携帯なのであるが、この選択も同時に迷わざるをえない。パソコンの選択はMobile端末としてのスマートフォンの選択にも関わってくる。NOKIAが撤退してしまったから、今のN95の後を何にするか思案している。N95を買った時はまだiPhoneはなく、Androidは影も形もなかった。しかし今は両方ある。今年中には出るであろう次期iPhoneに期待をかけるか、4月には早々に出るAndroid携帯にするか。iPhoneならそのままパソコンもMacにしてAppleで揃えてしまうという手もあるだろう。入ってしまえば快適に違いないAppleの生態系内で暮らすのである。確かにAppleは魅力的だ。音に聞くユーザーフレンドリーな使用感、洗練され磨き上げられたデザイン、物としての高い完成度は果たしてどのようなものであろうか。実に心惹かれるものがあるし、まだそれを知らぬということだけでも興味はつのる。だが同時に、やはり音に聞こえるその秘密主義と制限、不自由さについても同じくらい気になるのである。

Appleの世界は謂わばエデンの園のようなものらしい。そこは確かに楽園には違いないが、人間の自由はその狭い楽園内に制限されて人はそこから出ることを許されないかのようである。Appleの使用には信仰告白が必要なのであろうか。人はMacを前にして選択を迫られるかのようだ。蛇の誘惑に乗ることなく幸福なエデンの園にとどまるか、楽園を喪失しても人間としての自由を求めるか。もしかするとJobsは失楽園以前の人間の姿を求め、原罪を負った人間存在の救済を夢見ているのかもしれない。だがしかし、そこは我々人間のことである。即ち、楽園にとどまっていられるわけはないということだ。それが人間の選択というものであろう。

2010/01/30

いまだ熱き教育者 : Helmuth Rillingのロ短調ミサ1

Helmuth Rillingのロ短調ミサを聴きに川内萩ホールにやって来たところである。コンサートはオーケストラ・アンサンブル金沢の仙台公演という形になっていて、合唱は仙台と盛岡の二つの合唱団が合同で歌うことになっている。楽しみな公演の開場、開演を待つ時間というのもまた乙なものだ。

本日の公演を知ったのは昨年の秋のことだった。秋のオペラ協会公演の際にもらったチラシの中に、(まだ簡単な)今日の公演の案内も入っていて、1つは地元の2つの合唱団については全く知らなかったのだが、秘かに気にはしていたのである。Bachの声楽曲の大きなものが仙台でやられるというのも稀であろう。前売り自体は昨年の10月末には始まっていたのだったが、実際にRilling、萩ホールならば矢張り聴いてみようかという気になってチケットを手にいれたのは既に目出度く年も開けた1月8日の金曜日になってからのことであった。実はこれが結構ギリギリセーフだったようで、その日までは呑気に当日券でも大丈夫ではないかと少々高を括っていたのであったが、金曜日に仕事を終え何の気なしにプレイガイドに寄ってみるともう席を選ぶ余地がほとんどなくなっていたのであった。これには少々驚かされた。萩ホールが一杯になった話などここ1年ついぞ聞いたことがなかったのだ。Rillingゆえか、ロ短調ミサゆえか、地元の合唱団ゆえか、それは分からなかったが、慌てて買い求めることにしたわけである。もっともそこにあったわずかに残っていた席は1階は近すぎるか端すぎたし、2階も思わしくなく、結局、藤崎、ヤマハ(完売であった)、カワイと歩いて最後に三越のプレイガイドで27列のほぼ中央という席を見つけた次第である。2階の最上席というわけにはいかぬが、そのワンブロック後ろ(なだけ)であるから、そんなに悪くはないはずだ。

開場まではまだ一時間半もの時間がある。萩ホールの駐車場はかなり不足しているということであったし、大学構内の道が混んだらいかにも厄介そうでもあった。チケットのこともあったから早めに来てみたわけである。スイスイとやって来て、まだいくらもとまっていない駐車場に早々と車をとめて、今は東北大川内北キャンパス内のまだ真新しい学食(キッチンテラス Couleur)の席に座って、なじかは知らねどカレーを食って、14:15分の開場時間を待っているのである。外はさほど強くもないが雨が降っている。食堂はこの1月に出来たばかりだそうだ。近くにコーヒーの飲めるところはないかと駐車場で誘導をしていた学生に尋ねて来たのだったが、土曜日のせいか聞いたカフェの方は残念ながら休みであった。そこで、そんなつもりもなかったのだが、結局、学生達に混じって定番のカレーを食っているのだ。コーヒーがカレーに化けたのである。何種類かあるカレーの中のレギュラーカレーで、大中小とあるうち中サイズ260円也で、さすがに安いものだ。昔ながらの家のカレーという感じでインド人には物足りないだろうが、意外と具もしっかりしていてライスが固めなのは好みである。定番カレーは矢張り人気なのか早くもなくなりかけていた。

さて、学生時代を思い出しながら、かつまたカレーを食いながらミサの典礼文を予習しているわけだが、いや、私のラテン語も随分怪しくなったものだ。昔から怪しかったといえば怪しかったのだが、大分にあやふやである。典礼文など学生時代にラテン語講読で読んだキケロやヨハネに比べれば全く単純なものではある。全く単純なものなのだが、対訳を見なければ分からぬところが多い。いや、これはいかん。これでは途中Credo辺りで歌っている歌詞が分からなくなりそうだ。演奏中に対訳をごそごそやるのも気に喰わないので、もう少し頭に入れておきたいところだ。カレーを食ったのは正解かどうか分からぬが、早く来たのはこうしてみれば正解であった。まだ予習時間はある。開場時間までには雨も止みそうであるし。では、後は演奏後としよう。



Credo




LateinischDeutsch

Credo in unum Deum,
patrem omnipotentem, factorem caeli et terrae,
visibilium omnium et invisibilium.
Et in unum Dominum Jesum Christum,
Filium Dei unigenitum.
Et ex Patre natum ante omnia saecula.
Deum de Deo, lumen de lumine,
Deum verum de Deo vero,
genitum, non factum,
consubstantialem Patri:
per quem omnia facta sunt.
Qui propter nos homines et propter nostram salutem
descendit de caelis.
Et incarnatus est
de Spiritu Sancto
ex Maria Virgine,
et homo factus est.
Crucifixus etiam pro nobis
sub Pontio Pilato;
passus et sepultus est,
et resurrexit tertia die, secundum Scripturas,
et ascendit in caelum,
sedet ad dexteram Patris.
Et iterum venturus est cum gloria
iudicare vivos et mortuos,
cuius regni non erit finis.
Et in Spiritum Sanctum, Dominum et vivificantem:
qui ex Patre Filioque procedit.
Qui cum Patre et Filio simul adoratur
et conglorificatur:
qui locutus est per Prophetas.
Et unam, sanctam, catholicam
et apostolicam Ecclesiam.
Confiteor unum baptisma
in remissionem peccatorum.
Et expecto resurrectionem mortuorum,
et vitam venturi saeculi. Amen.
(lateinische Fassung nach dem Messbuch der katholischen Kirche)


Wir glauben an den einen Gott,
den Vater, den Allmächtigen, der alles geschaffen hat, Himmel und Erde,
die sichtbare und die unsichtbare Welt.
Und an den einen Herrn Jesus Christus,
Gottes eingeborenen Sohn,
aus dem Vater geboren vor aller Zeit:
Gott von Gott, Licht vom Licht,
wahrer Gott vom wahren Gott,
gezeugt, nicht geschaffen,
eines Wesens mit dem Vater;
durch ihn ist alles geschaffen.
Für uns Menschen und zu unserem Heil
ist er vom Himmel gekommen,
hat Fleisch angenommen
durch den Heiligen Geist
von der Jungfrau Maria
und ist Mensch geworden.
Er wurde für uns gekreuzigt
unter Pontius Pilatus,
hat gelitten und ist begraben worden,
ist am dritten Tage auferstanden nach der Schrift
und aufgefahren in den Himmel.
Er sitzt zur Rechten des Vaters
und wird wiederkommen in Herrlichkeit,
zu richten die Lebenden und die Toten;
seiner Herrschaft wird kein Ende sein.
Wir glauben an den Heiligen Geist, der Herr ist und lebendig macht,
der aus dem Vater (und dem Sohn) hervorgeht,
der mit dem Vater und dem Sohn angebetet
und verherrlicht wird,
der gesprochen hat durch die Propheten,
und die eine, heilige, katholische*
und apostolische Kirche.
Wir bekennen die eine Taufe
zur Vergebung der Sünden.
Wir erwarten die Auferstehung der Toten
und das Leben in der kommenden Welt. Amen.
(deutsche Fassung nach dem Messbuch der katholischen Kirche)
* evangelische Textfassung im Glaubensbekenntnis von Nizäa-Konstantinopel: „und die eine, heilige, allgemeine und apostolische Kirche.“
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2009/11/07

Giant Seek R2 : 立冬、新ホイールで来る今年3度目の定義山


定義山まで後2km、実はホイールが新しくなっている。

新しいホイールの試走を兼ねて、またまた定義山にやって来たのである。慣らしということもあろうから、今回は55号の山越えルートを取らずにほぼ直通バスと同じ広い道を来てみた。前回来てから早3週間、立冬の紅葉や如何というわけでもあったが、見頃は過ぎてもまだ楽しむことは出来るようである。

舗装し直したばかりの定義に行く道、名残の紅葉。冴え冴えとした鮮やかには欠けるが、まだ大丈夫。


天気が良く、参道は賑わっている。


先ずは御参りを済ます。諸々問題がありそうな頭には念入りに線香の煙を浴びておく。


当然三角油揚げは食す。七味は多めにかける。豆乳も飲む。お土産も買う。

例によって、カフェを兼ねたケーキ屋"Patisserie-Soleil"の外の席に座ってこれを書いている。またも無花果のタルトのケーキセットを頼み、またもコーヒーをおかわりし、またも隣の清水館からはエンドレスに北島三郎が聞こえてくるのである。

今度は食べる前に1枚。その時々色々と盛り付けられるらしい。
前回と異なるのはタルトの無花果が今回は煮たものになっていること(生のほうが好みだがさすがに止むを得ない。生無花果の季節は過ぎたのである)、天気が良く人が多くて隣卓に客がいること、隣り奥の清水館からはサブちゃんの歌声のみならず(心なしかボリュームも高いが)、客寄せの声までが(こんにちはーっ、いらっしゃいませーっ)盛んに聞こえてくることである。今は、タクシーを待つばあさんが私のテーブルの椅子に一言の断りもなく座っている。疲れた脚を休めるのであろう。思いがけぬ相席となった。再び席の選択を誤った気もしないではないが、こんなに天気が好いのだから、やはり席は外であろう。もっとも店の人によると先日寒かった日にはもう雪が降ったのだそうだ。ここに自転車を漕いで来られるのも後わずかであろう。今日は暖かくても(直射は熱いくらいであるが)、やはり冬が来たのである。

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さて、肝心のホイールである。MavicのOpen ProとShimanoのDeore XT M756、Sapimのスポークで手組みを頼んだ新ホイールはなかなかに良いようだ。スプロケットも換えたので新しいギア比にまだ慣れぬが、漕ぎ出しには充実感があり、回転が実に滑らかである。剛性も十分なようであるし、なだらかな下りなどはスピードの乗りが格別である。ここまで上ってきて、帰り道がいよいよ楽しみとなった。


 先日1日に出来て来たばかりのホイールを履いてきた。タイヤはContinentalのGrand Prixである。


無論、帰りにはまたポポロでジェラートを舐めていくのである。

塩釜の藻塩を使っているという塩ソフトが美味い。ジェラートは食感がややガサつくが、味はまずまずである。


2009/11/03

何もない休日の片付かぬ愚考


"吾輩は猫である"の珍野苦沙弥先生のもとに作中、天道公平と号する人物から一風変わった一通の手紙が届いた。左右が白で真ん中だけが赤い凝った状袋に入った中身は支離滅裂で訳の分からぬものであったが、苦沙味先生は大いに感心し、書き手の非凡なる一大見識あるを信ずるのである。

若し我を以て天地を律すれば一口にして西江の水を吸いつくすべく、若し天地を以て我を律すれば我は即ち陌上の塵のみ。すべからく道へ、天地と我と什麼の交渉かある。 ......始めて海鼠を食ひ出せる人は其胆力に於て敬すべく、始めて河豚を喫せる漢は其勇気に於て重んずべし。海鼠を食へるものは親鸞の再来にして、河豚を喫せるものは日蓮の分身なり。苦沙弥先生の如きに至っては只干瓢の酢味噌を知るのみ。干瓢の酢味噌を食らつて天下の士たるものは、われ未だ之を見ず。
親友も汝を売るべし。父母も汝に私あるべし。愛人も汝を棄つべし。富貴は固より頼みがたかるべし。爵禄は一朝にして失ふべし。汝の頭中に秘蔵する学問には黴が生えるべし。汝何を恃まんとするか。天地の裡に何をたのまんとするか。神?
神は人間の苦しまぎれに捏造せる土偶のみ。人間のせつな糞の凝結せる臭骸のみ。恃むまじきを恃んで安しと云ふ。咄々、酔漢漫りに胡乱の言辞を弄して、蹣跚として墓に向ふ。油尽きて燈自ら滅す。業尽きて何物をか遺す。苦沙弥先生よろしく御茶でも上がれ。......
人を人と思はざれば畏るヽ所なし。人を人と思はざるものが、吾を吾と思はざる世を憤るは如何。権貴栄達の士は人を人と思はざるに於て得たるが如し。只他の吾を吾と思はぬ時に於て怫然として色を作す。任意に色を作し来れ。馬鹿野郎。......
吾の人を人と思ふとき、他の吾を吾と思はぬ時、不平家は発作的に天降る。此発作的活動を名づけて革命といふ。革命は不平家の所為にあらず。権貴栄達の士が好んで産する所なり。朝鮮に人参多し先生何が故に服せざる。
在巣鴨 天道公平 再拝


すっかり感服した苦沙弥先生は、よく尋ねてくる友人迷亭にその話をする。するとその手紙が実はかつての同窓、現在は瘋癲病院の住人、今や立派な狂人である立町老梅君からのものであったことが判明する。立町老梅君は数年前より自大狂を発し、以来収容された先から知り合いの誰彼構わずに同じような手紙を送りつけていたのである。苦沙弥先生はと言えば、狂者の言にさほどに感心したからには自分も立派な棒組かと自分の神経の加減を疑い、あれこれ考えた挙句、結局

「何が何だか分らなくなつた。」

と簡潔明瞭な何等の結論に達することなく、茫漠として行方の定まらぬままにその思考は停止するのである。

軽重、悲喜を問わず漱石の作品では「片付かぬ」ことが多い。

"道草"の健三は最後、金を無心に来る養父島田の件を証文を取ったから片付いたと安心する細君に向かって答えている。
「安心するかね」
「えゝ安心よ。すつかり片付いちやつたんですもの」
「まだ中々片付きやしないよ」
「何うして」
「片付いたのは上部丈ぢやないか。だから御前は形式張つた女だといふんだ」
細君の顔には不審と反抗の色が見えた。
「ぢや何うすれば本当に片付くんです」
「世の中に片付くなんてものは殆んどありやしない。一遍起つた事は何時迄も続くのさ。たゞ色々な形に変るから他にも自分にも解らなくなる丈の事さ」
健三の口調は吐き出す様に苦々しかつた。


この「片付かぬ感覚」とでも云うべき基調は、文明開化に沸く煌々と照らされた表の背後で、相変わらずランプの明かりも届かず薄暗いままの和室の書斎を思わせる。この仄暗さ、陰影、闇と影が付きまとう感覚は当時の知識人にとっても逃れがたいものだったのではないかと推測する。漱石時代の「現代日本」の光と影、明暗の裏の仄暗さや闇ばかりではない。文字通りガス灯とランプ、幾分かの電灯の時代、日が暮れれば家の中、路地裏、何処彼処と実際に闇と影が溢れていたに違いなく、夜が明けて日中明るいといっても障子越しの仄明るさなのである。何とも片付かない感覚と何とも仄暗い感覚を形作ったいくつかの要因のうちには、この物理的な暗さの影響も少なくなかろうと思われる。ならば当然この感覚も一人漱石に限られたことでもないと思い当たる。好むところから挙げれば、その門下である内田百閒にも、更に時代を下れば向田邦子にも、また系統は変わるが江戸川乱歩などにも共通して感じられるところだ。内田百閒の特に戦前までの作品を読むと子供時代に感じた恐ろしくも懐かしい、黒々とした闇の感覚に包まれる。そして、幸か不幸かその片付かぬ感覚に親和性を覚えるのが、煮え切らぬ男で定評のある私である。


煮え切らぬ男思へらく、

本でも音楽でも、または絵画でも映画でも、或いは食べ物や飲み物、さては考え方や振る舞いでも、何であれ自ずからして好む物は少なくないが、かといって多いというほどでもない。ただ時々、それらがもたらす感動と共感の源は一体那辺にあるものかと、ふと気にかかることがある。一体それの何が、全体我々の何を、果たしてどのように刺激して、そのものを好んだり嫌ったり、果ては愛したり憎んだりさせるに至るものなのであろうか。

或る友人の医師である祖父は精神科医になった孫に対して「おぅY之、そりゃ神経だよ」と言っていたそうだ。別な友人のクールな従兄弟は「そんなものは単なる習慣に過ぎない」と言っていたらしい。私の飲み仲間の一人は、飲みながら「定めだ」と言っていたが、別の一人は「何くだらないこと言ってんだ」と言っていた。確かに原因は脳かもしれなかったし、蓄積した経験の結果に過ぎないのかもしれなかった。運命であるかもしれなかったし、或いはもっと有意義なことを考えた方がそもそもいいのかもしれなかった。

学生時代、好きな物と嫌いな物を悉く列挙して吟味してみれば、その人間についても何らかのことが知れるのではないかと友人同士比べてみたことがあった。山か海か、都市か自然か、精神か肉体か、聖か俗か、夏か冬か、肉か野菜か、ビールか日本酒か、犬か猫か、音楽か絵画か、金髪か黒髪か、粒餡か漉し餡か...etc.etc. 大まかなものから細かなものまで、脈絡があるのかないのか、芋づる式に次々とあらゆるものが掘り出された。結果、確かに何らかのことは知れた。各人の好き嫌いには明確なこだわりもあれば、それなりの特徴や傾向もそこそこ見て取ることもできた。

が、それではそれで結局何が知れたかと言えば、実のところ大したことが知れたわけでもなかったのである。当人が既に知っていることや薄々気がついている程度のことが知れたきりで、ユングが言うところの心理学的類型なるもの(Psychologische Typen)が何ほどか確認されただけなのであった。そして、心理学的類型がいかほどか知れたところで、
つまり、
内向型(introvertiert)か
外向型(extravertiert)か、
①思考(Denken)
②感情(Fühlen)
③直観(Intuition)
④感覚(Empfindung)
の4つの基本機能の内のどれが優勢で、どれが劣等で、どれが補助的に働いているのか、その各人のタイプがおおよそ知れたところで、

それはたかだかそれであった。それでそのまま個性化(Individuation)のプロセスをたどり、有り得べき自己実現(Selbstverwirklichung)がスルスルと叶えられるわけでもなく、結局、単に血液型性格診断程度にしか役には立たなかったのである。「汝自身を知れ(gnothi seauton)」というデルポイの神託に掲げられていた問題は、相変わらず解ける気配もなかったのである。

つまるところ、その時「何が何だか分らなくなつた」ことは、悲しいかな、今も「何が何だか分らない」ままなのである。

文化の日であるが、苦沙弥先生よろしく懐手をするか昼寝をする他ない休日である。

2009/10/17

10月半ば、Giant Seek R2で行く2度目の定義山


定義まであと2km
揚げたての熱々に七味と醤油をかけ、店先の路上でかぶりつく定義名物三角油揚げの旨さが思い出され、まだ紅葉には早いのだが、片道2時間強をかけて再び定義山まで漕いで来たのである。家を出たのが10時、県道55号を使い一山越えて到着したのが12時15分である。


正面より山門を望む
天気の良い秋の土曜であるから参道の賑わいもなかなかであるが、しかし混みすぎているわけでもない。いい時にやって来たようだ。今は御参りを終え、一通りぶらついて、目的であった油揚げを食い(家への土産も買い)、些か痛くなった尻休めをかねて一休みしているところである。


"Patisserie-Soleil"
私は今、和一色の門前の店の中の洋一点、唯一のコジャレたケーキ店"Patisserie-Soleil"の外テーブルに落ち着いて(店の中と外に席が4つ程ある)、ちゃんと一皿として盛りつけられた無花果のタルトをコーヒーのセットで味わいながらこれを書いている。

ホイップクリームに苺ののった軽めのワッフルに自慢のパウンドケーキも添えられて、ソースもかけられている(いた)。主役の方も香ばしく固めに焼かれた土台に甘すぎないクリームと柔らかで甘酸っぱい無花果がのり、きちっとした手作りで予想以上に美味い。コーヒーは並だが、これでセット600円也はお得だ。コーヒーのおかわりは150円である。


写真を撮ったのは食べた後...
店内ではトトロのオーケストラ編曲が静かに流れている。少し奥の定義清水館からは(前回と同様)ひたすら北島三郎が聞こえている。宿の主人がファンなのであろう。サブちゃんの歌声がエンドレスに澄んだ秋の空に吸い込まれていく。席の選択を誤った気がしないでもないが、気持ちのいい秋の日は外であろう。


紅葉の中の五重塔

もう少し休んで3時になったら出発しよう。途中、大倉ダムを過ぎたところにあるポポロなる店でジェラートを舐めて帰るつもりだ。

2009/09/19

仙台の”魔笛” : 我らの身の丈に合った音楽の栄光と悲惨


『のだめカンタービレ』の冒頭、鬱勃憤然と登場した千秋真一が抱えていた苛立ちと焦燥は

(クラシックをやるのに日本にいたってしょうがない)

当然と言えば当然過ぎるものであったろう。その作品や芸術家が一つの必然としてまさにそのただ中から生まれ出てた地で学び、その拠って立つ土壌や環境を精査し、そこに営々脈々と続く文化と(その形式でもあれば内容でもあるところの)言語の体系に飛び込んで、ついにそれを身をもって生きるというのでなければ、およそ「本物」には近づけないだろうからだ。彼のような才能がそれに感づかぬはずがない。

無論こんなことを思ったのも、先日仙台オペラ協会の"魔笛"を観たからである。楽しくも悲惨な我が町のオペラ公演を観て、未だに私の中には片付かぬ様々なものが入り乱れているかのようである。文化的背景をバッサリ切り落としたこの日本の、この実学の都市である仙台でありうべき西洋古典とは果たして如何なるものであるのか。そして、いつの日か私のような偏屈な一クラシック愛好家が心底感動し、感嘆しうる、見事に昇華された音楽芸術を、一体全体さて、この地で聴く機会が訪れ得るものなのか。思うほどに絶望的な気分に襲われるのである。

実のところ、クラシック音楽本来の精神と感覚は、この現代日本の環境においてあまりに異質なものではあるのだろう。彼我の風土は精神的にも感覚的にも大きく異なり、言ってみればその水も土も光も空気もまるで違うのだから、たとえ同じ種子から育てようと咲く花、生る実が大いに趣を異にするのは已むを得ざるところではある。ましてや、深みというものをおよそ欠いているとしか見えぬこの時代である。彼らが扱った問題を彼らが扱ったように真剣に扱うことなどまるで流行らないかのようである。

しかし、それにしても、である。

私は思い出さざるをえない、ThomanerchorとGewandhausのMatthäus-Passion


Bach Collegium Japanのマタイが

どうしようもなく異なっていたことを。いつもの友人と(2002年のことだが、わざわざ)さいたま芸術劇場まで聴きに行ったBCJは、その古楽オケも鈴木雅明の指揮も合唱も悪いはずもなかったのだが、演奏の背後にイエズス受難の物語が、そしてその痛切さが、親密にも深々と広がる度合いにおいて、およそ比較のしようもなかった。無論、これは仕方のないことではあったろう。高い技術で真剣に歌う合唱の面々の頭に想い浮かんでいるイメージは、残念ながら我々のそれと同様、後で頭に入れた知識としてのイエズスの姿であり、物心つく以前より慣れ親しんで、もはや自身の血肉と化した懐かしの姿ではないのだから。しかし、この「我々のそれと同様」というのが気に喰わぬのである。わざわざ聴くからには、はるかに突き抜けた、当然それ以上のものを聴きたいわけであるから。結局、幼年期の夢や思い出にまで結びつくような心の奥深くに根ざした様々なイメージや感情の多様な裏付けを欠いているために、懸命に習い覚えただけで奥行きや柔軟さを欠いた物語は、その懸命さばかりが目について決して活き活きと立ち上がることがなかった。加えて、そもそも母国語ならざる悲しさ、肝心のドイツ語の一語一語にまとわりつく重層的な意味のアウラを感じる術もない以上、さてそれ以上如何ともしがたいものではあっただろう。

だがしかし、たとえそうであるにしても、である。

言うまでもなく、何ものも突如としてポッと生まれ出て来るわけではなかろう。ドイツにBachが生まれたのも、日本に芭蕉が生まれたのも単なる偶然であろうはずもなく、内的にも外的にも然るべき条件が整ったればこその結果であったろう。ドイツに芭蕉が、逆に日本にBachが生まれる道理があろうか。たとえ彼らの精神と芸術の核心に普遍的なもののかけらが閃き、響いているにしても、本体の大部分はその時その地でしかあり得なかった特殊で具体的なもの、歴史的・地域的に特定された諸条件に基づいているものであろう。


ウェストファリアの平和の後を受けて数多くの領邦国家が分立したあのバロックの総合期に、あのテューリンゲンのBach一族に生まれず、ルター正統派の洗礼を受けず、ヴァイマル、ケーテンを経てライプツィヒに行かず、聖トマス教会のカントルを務めず、仕事に追われず、妻を愛さず、ビールを飲まず、ソーセージを食わず、ドイツ語を話さず、ドイツ語で考えぬBachなどあり得ようか。


江戸の世に伊賀に生まれず、職業的な俳諧師にならず、元禄の文化を体験せず、漂泊の旅をせず、湿潤な日本の風土の四季折々、その土地その土地の風俗風物に目を留めず、古人にも森羅万象にも思いを馳せず、深川に庵を結ばず、一株の芭蕉を植えず、米を食さず、日本語を話さず、日本語で考えぬ芭蕉も断じてあり得ぬだろう。


というわけで、作品と芸術家の探究には、その「精神的風土の探索」と同時に、作品がそこで生まれ、彼らがそこで実際に生きた具体的な「感覚的風土の経験と探索」が欠かせぬものだろう、ということになる。生まれてからこの方、我々は感覚的なものに取り囲まれている。目に映る風光、耳に響く母国語、舌に味わう食べ物、肌に感じる気候、その他諸々、感覚を通してなじんだものはもはや我らの一部であるのだから。人間はタブラ・ラサではないから、それらがそのまま全てでないのは勿論だが、その有形無形の影響から逃れられるものではあるまい。そして、なかんずく我らが「言語」の影響はその中でも決定的なものであるだろう。その音色、抑揚、リズム、テンポ、更にその語彙とグラマーの総合的な体系は我々自身と切っても切り離せない、もう一人の自分自身と言ってもいいほどである。


芸術家による作品の創造を一つの必然として捉えてみるには、彼らが見、聞き、感じ、考え、味わい、なじみ親しんだものを、彼らがまさにそうしたように追体験してみることから始めるのが望ましいだろう。そこから始めれば、問題意識を共有し、彼らがこだわったものにこだわり、目指したものを目指して、ついにその創造の現場に居合わせるがごとき理解が可能となるやもしれぬ。だが、すべて我々の経験なるものは、我々自身の経験には違いないにしても、否応なくその時代、その文化圏の、固有のフィルターを通したものであるほかはない。そして、その文化圏固有のコードは基本的にはその言語によって担われ保たれているのである。そうである以上、彼我の価値判断や認識、美的経験や情感生活の意味や質を背後から厳然と左右しているのは、つまるところ彼我それぞれの言語体系なのであろう。言語は文化的な諸々の価値のヒエラルキーを盛る器であり、我々はその器から飲むほかはない。我らの精神に不可欠の器官があるとすれば、言語こそがそれであろう。人はその言語の体系内でものを考え、感じざるを得ない。そのスタイルで思考し、そのテンポで考えを進め、その音色や響き、テンポやリズムの特性に自ずからなじんで、彼の精神と感覚はその制約を否応なく受ける。当然、作曲家といえども例外であるはずもない。

というわけで、思うに作品の理解には必要最低限その出発点として

  1. その作品が前提としている教養の伝統を理解し、
  2. その芸術家が生き、その作品が成立した地と時代の感覚的要件を知り、
  3. 且つ、そこで使用されている言語をかなりの程度心得ていなければならない

ということになるだろう。


例えば「古池や蛙飛びこむ水の音」という極限まで切り詰められた17音の日本語を聞いた時に、少なくても、芭蕉によって想定され、当時の人々にとっても最も一般的にイメージされていた蛙の跳び込んだ池の様子や音、その場のありさまやその全体としての禅的な心象が自然に想起されるようになっていなければ理解のスタート地点に立ったことにはなるまい。この句を聞かされたアメリカ人のいくたりかは、大きな池に次々に何匹もの蛙がバシャバシャとジャンプするにぎやかな光景をイメージしたそうだが、それでは始まるまい。比較文化論や異文化理解の材料としては興味深かろうし、自由な解釈というのも時に面白くないこともないが、それはまた別のことである。最終的な解釈や理解がどういう地点にたどり着くかはさておいても、出発地点は正統な地点から発するのでなければなるまい。


考えるに「本物」とは、自らの内に何ものかが生きていて、もはや自分自身と分かてぬ状態にまで達していることの謂いであろう。自身の内を探れば、その精神が現に活動し生きている。その思想や原理が、またその感覚やふるまいの様式が、更にその直観や感情のことごとくが否応もなく自分の内で生きているという自覚と自負。外やどこか他所にあるのではなく、自身の内にあるものを探ればそのままに究極の問の真正な答えが見つかるという状態こそ「本物」と言うべきであろう。そうなれば、もはやその人は単にその人個人であるにとどまらず、一個の代表者であり、一つの規範である。彼(彼女)がThomas Mannの"Doktor Faustus"の悪魔と契約を交わした作曲家Adrian Leverkühnのように、たとえどこにいようと「自分のいる所こそドイツであり、故郷のKaisersaschernだ」と言えるならば、彼(彼女)はもはや規範であり、すなわち「本物」であるだろう。

当然、「本物」は文化的な脈絡と離れては存在し得ない。まがうことなき規範や正統の精神は単に個人的な一代身上によって成り立つものではないからだ。それを勘違いしたところに在るのは風変わりで奇妙な「何か別のもの」だろう。

例えば、ランランのあの中国雑技団の軽業としてならば実に見事な、しかしまるっきり別の思考とセンスで奏せられているために本来の意味やスタイルからは絶望的にずれてしまった饒舌の滑稽と悲惨を見よ。(あれではただの人寄せパンダ、あるいはホリエモンではないか。いや、そうではない。彼は一流のシェフだ、ただし中華料理の。)

或いは、オペラだというのにおよそ言葉としてのニュアンスを欠き、本来の味や香り、重層的な複雑さを持っているはずのものが、単純で生真面目なただの気合いと集中力にすり替わってしまう我らが小澤の非劇場的な無味乾燥はどうだろう。(ブロークンな英語だけでイタリアオペラを振り、ドイツオペラを振るとはどういう了見なのか。自分が使えぬ言語のオペラは振らぬと言い切ったネッロ・サンティに笑われるだけではないか。)

或いはまた、かつてクレンペラーに悉く間違っていると言われた、あのケレン味あふれる才人マゼールはどうだ。しゃくれリズムで奏される欧州流の「てにをは」の無視、アメリカ流換骨奪胎の非常識と没趣味、ディズニー的な大衆化と世俗化。(振るものがことごとくパロディーと化してしまうのだから悲劇である。あの峻厳なクレンペラーには全てが書き割りや張りぼてに見えただろう。)

彼らが自身を振り返ってどう思っているかは知らぬが、いつまでたっても文化的な真実に一向に近づけないという点で、はたから見ていて或る種むごたらしい印象をもたらす例は残念ながら少なくない。(世界の小澤はいまだに自分の営みは日本人がどこまで西洋音楽を理解できるかの大いなる「実験」だと言っている。「生涯、実験」と言い切ってしまうのは彼らしいフランクな正直さで、それ自体は褒められてもいい美徳でもあるだろう。だが、結局、遂に最後まで分からないのだろうと確信させるに十分な正直さだ。彼がドイツ語の1つでもマスターしない限り、実験の成功は有りえないだろうし、多分それは永久に無理なのだ。日本人は日本人にしかできない西洋音楽を奏でるべきだし、それでいいのだという議論がある。結局そうならざるを得ないという実際の事情は別にして、それで当人は本当に満足できるものだろうか。)当然のことだが、個人レベルの才能や天才と文化的な真実は必ずしも一致するわけではない。

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そして(ようやく)今回の我が町のオペラである。縁あってオペラ協会から招待券をもらい、9月5日、土曜日の初日の公演に出かけたのだったが、「楽都」仙台の身の丈に合った(実に身の丈に合い過ぎた)オペラ公演を観て、私はしばしそれを表す然るべき言葉を見つけることができなかった。実のところ未だに言葉を失っているようなもので、もやもやとした自身の内からふさわしい言葉を掬い上げることができずにいる。というのも、そこにあった悲惨と喜びは、知りたいものを底の底まで知りたいと願いながら遥かにそれに遠い我が悲惨と喜びに通じているようで、密かに(そして大いに)身につまされているからである。市民のための教養行事としては価値があったに違いない。だが、芸術的にはおよそ評価のしようもない公演を聴きながら、残念ながら「本物」というものにいまだ手が届かぬ我と我が身を振り返らざるを得なかったのである。そして自分の手が果たして本物に届く日がいつの日か来るものであろうかと酷く頼りなく、心もとなく思われたのである。


公演は一面で言えば楽しかった。知った顔もあり、その点親しみを覚えたと言えば覚えたという面もある。以前の"魔笛"の公演では全部日本語で通したらしいのだが、今回はせりふは日本語だが、歌は原語上演であった。みなでドイツ語も勉強し、合宿も行い、ずいぶん早い時期から練習と準備が行われていたという話でもあった。オケはかなりルーチンだったにしても、オペラ好きが高じて出演するようになったアマチュアも含め出演者は懸命に演じ、歌い、その意味では感動的ですらあったろう。だがそれは、例えば学祭の出し物がそうであるようにそうだったのである。

Mozartを基準にして考えた途端、そこそこに楽しくもあった公演の様相は、残念ながら一変せざるを得ない。アーノンクールに私淑しているとのことだったので少しは期待した指揮者も、始まってみれば歌手たちのゆるいアンサンブルをまとめるために冒険ができるはずもなく、当たり前のただこじんまりした演奏である。そうなると、いまさら仙台フィルに様式感や音色の魅力や自発的なアンサンブルがないのはどうなるものでもないから、Mozartの劇場性が沸き立つはずも、古典の活力がメリハリよく活き活きと弾むはずもなく、テンポがあまり間延びしなかっただけまだましかというだけのものとなった。歌手陣は例によって弱く、夜の女王の上がきついのは仕方がないとしても、特に男性陣は厳しかった。タミーノはミュージカル調で歌のお兄さんといった感じであったし、肝心のドイツ語は完全にカタカナである。ドイツ物はほとんどやらない仙台オペラ協会であるから、カタカナ・ドイツ語になるのはやむをえないとは言え、肝心のザラストロのドイツ語が一言もドイツ語らしく聞こえないとなると聴いているのがつらい。歌手でまずまずだったのは第1の侍女と日本的なパミーナ、そして弁者ぐらいであったろうか。演出も異邦人たるタミーノを軸にするという設定と解釈が昇華するものではなかった。


これが「楽都」仙台の精一杯なのであろう。10月には所謂「せんくら」があり、食材宣伝と観光活性化のために「仙台・宮城デスティネーションキャンペーン」なるものも張られるわけだが、さてクラシック音楽の「地産地消」は如何。B級グルメと割り切って楽しむべきか。残念ながら、とてもそんな気にならぬのである。

2009/07/25

自転車通勤とGiant Seek R2 : タイヤの交換と交換用ホイールの検討


Giant Seek R2に乗り始めて4ヶ月余り、この間に3度(も)のパンクを経験したことは結果として悪いことではなかった。当然考えておくべきだったタイヤやホイールの性質について考えることになったというのが1つ、パンク修理やチューブ、タイヤの交換といった自転車に乗る人間が先ずは心得ておくべき基本技術習得の実地訓練になったというのがもう1つの理由である。3度のパンクは(遂に3度を経て)私のようなずぼらでわがままな者にも、否応なく必要な諸作業を強いたわけである。ホイールを外させ、チューブやタイヤやリムテープを交換させ、結果、我がSeek R2は今や両輪ともまるっきり新しいタイヤ(Continental Ultra GatorSkin 700*25c)を履いている。

実にそのおかげであろうか。それ以来、道具としてのSeek R2に対する愛着がぐんと増した気がしている。教本片手にホイールを外し、リムテープを換え、チューブを換え、タイヤを換えとあれこれしているうちに、わずかに残っていたスポーツバイクに対する遠慮のようなものは消えて、必要とあらば自らいじって調整する身近な道具となった気がするのだ。




さて、結果として自転車と私の関係を一歩進めてくれた、そのパンクではある。

自転車通勤者として、これは確かにそのまま放っておくわけにはいかぬものであった。2月半ばにSeek R2を買い求めて以来、2、3、4月と格別何事もなく過ごしたのであったが、5月の連休最終日にパンクを喫してからは、どういう具合かパンクづいて、6月は13日、27日と続けざまであった。幸いどちらも通勤時ではなく、特に予定もない休日だったからまだよかったのだが、普通に走って2ヶ月足らずで3度(フロント2、リア1)というのはいかにも多すぎた。平日でも休日でもパンクの不安を抱えて走行するのは愉快なものではないし、そもそもこれでは安んじて自転車通勤を続けるのが困難である。というわけで、これは是非とも原因を究明し、必要な対策を講じざるべからずと思われたわけであった。


原因と言えば、前々から気になることがないでもなかったのだ。(3度の内、初めのものは単なるリム打ちパンクであったが、後の2回はどちらも尖ったガラスや金属の微小片を知らぬ間に拾っていたことによる貫通パンクなのであった。)出来合いで着いていた台湾製のMaxxisのColumbiere (700×32)は本来ロード用のタイヤらしく、わずかに入っている斜めラインを除けばほぼスリックと言っていいものだったが、ゴムやコンパウンドの性質のせいか接地面が柔らかで、クロスバイク用に32mmと幅広なこともあってか路上の異物を非常に拾いやすかったのである。石や金属やガラスなどのかけらがどうもくっつきやすく、くっつきやすければ当然離れにくくもあって、タイヤ表面についた微小片の中にはそのまま落ちずに喰い込んでくるものもあった。表面に喰い込んでもそのままなら大したこともないような、ごくちっぽけな微小片なのだが、小さいながら(或いは小さいが故に)ものによってはタイヤが転がるうちに表面コンパウンドからタイヤ内部に棘のように潜り込むのではないかと気になっていたのである。最初は路面に当たってカツカツ音もするが、ゴムに呑み込まれてしまえば音は消える。乗っている方はタイヤの回転でうまい具合に飛んでいったのだろうぐらいに考えて、まあ大丈夫と高をくくって走り続ける。その間に小さな異物は気づかれぬままにタイヤ内部に埋まって身を潜め、ある程度以上大きな圧力が加われば、いつでもタイヤゴムを貫いてチューブを傷つけんと密かに機会をうかがっているのではあるまいかと疑われた。そうであればこれは一種の感応式爆弾と言ってよく、棘に圧力がかかりグッと押されてわずかでもタイヤの裏側まで通ってしまえば、もうそれで終わりだ。チューブはほんの一刺しで傷ついてしまう。

先月13日のリアタイヤのパンクは、スーパーの駐車場から歩道に出る、自転車用に設けられた階段2段分の勾配をゆっくりと下りた時であった。27日のフロントのパンクは、押しボタン式信号機のところで信号が替わるのを待っていて、さて替わったというので一段分高い歩道から横断歩道にゆっくりと下りた時である。共通しているのはそこそこの勾配をゆっくり下りたという点で、考えられる可能性は3つであった。下りきってタイヤにグイッと圧力がかかったところで、

  1. ちょうどそこにあった尖った何かを踏み抜いた。
  2. 直前にタイヤが拾い、そのままわずかに突き刺さっていたかけらが一気に押し込まれた。
  3. 既に以前からタイヤ内部に埋もれ潜んでいた微小片の尖端が圧力を受けて遂にチューブに達した。

さて、どれであったろうか。いずれにしてもその時まで私は不心得にも携帯ポンプはおろか、換えチューブも、パンク修理キットも持ってはいなかったのである。幸い現場は店こそ違え、両日とも自転車屋の近くで、不幸中の幸いそのまま店に担ぎ込んだのであったが、店では微小な尖った何かがチューブに穴を開けたらしいと確認されただけで、残念ながら穴を開けた異物の発見、特定には至らなかった。1ならば(運が悪いのか、不注意なのかはさておいて)まあ仕方のないことだが、2、3ならば路上ゴミを拾いやすいタイヤの性質によるところが大きく、3は特に危惧された。そうであればタイヤを換えぬ限り今後も同じようなパンクが繰り返し起きる可能性が高い。私も2度目の13日時点ではまだ余裕があったのだが、わずか2週間後の27日の3度目となると強い危機感と不安を覚えざるを得なかった。

というわけで、3度目のパンク修理の間、修理を頼んだ店に並ぶ自転車やパーツ類を眺めながら考えたのである。

タイヤはパンクするものではある。当然だ。しかし、しやすいとなれば別であろう。このタイヤはどうもパンクしやすい。この調子でパンクした日には大変だ。まだ1000キロと乗っていないが、もう交換するべきだろうか?

タイヤとは何か?自転車にとってのタイヤとは、我々にとってみれば靴のようなものであろう。ならば、一年中同じものを履き続けるのは、かえっておかしいとも言える。靴はその都度履き替えるもので、取り替えの利かない足の裏の皮ではない。天候や気候に応じて、また目的地や用途、路面状況や靴の状態に応じて、相応のものを選んで履くのが普通だ。当然その方が合理的だし、安全でもある。靴自体も長持ちする。ならばである。自転車でタイヤを、年がら年中同じままに履き続け、履き潰すまでそのままというのも随分おかしなことには違いない。車でさえ冬にはスタッドレスに履き替えるのだ。肉体の延長たる道具としては、よほど我々の足に近い自転車なのだから、普通に靴を履き替えるように、日常的にタイヤを履き替えてもいいわけではあろう。いや、履き替えるべきではないか。

ここまで考えは進んだが、まだ修理が済まないので、店内をぶらつきながら更に考えた。

我々の靴が自転車のタイヤならば、足は自転車のホイールであろう。脚はフロントフォークやフレームに当たろうか。人の自由度が靴の交換までであることを考えれば、足も脚も換えることのできる自転車の自由度はかなり高い。さて、そうすれば我々が靴を履き替えるのは、自転車の場合タイヤではなく、むしろホイールごと履き替える姿に近いように思えてきた。タイヤそのものの交換は出発前の作業としては些か手間がかかり過ぎる。ホイールごと換えるのであれば、自転車をひっくり返せばすぐに済むではないか。それぞれ性質の違うタイヤとホイールが2、3種類あればよいかな。パンクせずに急ぎたい通勤時、思い切って遠出をする休日、近所での買い物、舗装路以外の悪路走行、雨、雪、冬の凍結路、目的や状況に応じた適正な組み合わせで適正な走行が可能となるのに違いない。これは悪くはない考えだ。

ここまで考えても、まだ修理は終わらない。どうもてこずっているようだ。私の考えは遂に具体的な領域に入り込んだ。

数種類ずつと言っても、実際はメインとサブの2つがあればホイールは足りよう。(3組目は我が財布が許すまい。)さて、ではこれは具体的にどのように可能だろうか?我がSeek R2は700cのホイールを履いてはいるが、フレームのエンド幅がMTB仕様の135mmで通常の130mmではない。おまけにディスクブレーキだ。ということは即ち、

  • 選択肢の豊富な700cのロード用完組みホイールはことごとく使えない。
  • 反面、MTB用の26インチホイールならそのまま使うことができる。
  • 選択はディスクブレーキ対応ホイールに限られてくるが、Vブレーキやサイドプルブレーキのようにホイール交換の度にブレーキを調整する手間がないから、必要に応じて履き替えようという当初の目的にはかなっている。

ということになる。
さて、700cと26インチ、どちらがよいか。スピードなら700、冬のことを考えれば26だが。朝のスピード・アップもいい。冬の通勤の安定も確保したい。エンド幅が135mmで径が700、しかもディスクブレーキ対応というのはさてどれほどあるものだろう。26インチも悪くはない。そもそも完組みがなければ手組みという手もあるぞ。う〜む。

結論が出ぬまま修理は終わったのだが、結局、パンク問題の解決と通勤時のスピード・アップを目論んでタイヤは交換することにしたのである。そのまま店ではタイヤレバーと携帯ポンプを購入し、家にもどってWiggleでタイヤを注文した。

Seek R2の出来合いのホイールはAlexrimsのAce-18で、リムの内側の溝幅は16.5mmである。その1.4~2.3倍までが適当なタイヤ幅だという計算に従えば、25~37cまでのタイヤの装着が可能であった。32を履いていて32というのも面白みがないので、色気を出してやや細身の25と28cの2種のタイヤ(ContinentalのUltra GatorSkinとGrand Prix 4-Season)と予備を含めて5本のチューブを求めた。 品物は程なくして無事にポーツマスから届き、100£余りの買い物に関税もかからなかった。




タイヤが届き、それではいざと休みの日に初めてタイヤ交換を敢行したのだが、初めてにしては意外にもすんなりうまくいって、そうして今日に至ったわけである。

交換したタイヤの効果は実に大きかった。細くした分、総じてギア1段分は優に軽くなったし、Maxxisで気になっていた路上の異物の噛み込みは見事になくなって、気がつけば、しばらく悩まされたパンクの不安からフッと解放されていたのである。その名の通りUltra GatorSkinの皮は丈夫で、接地面もサイドも十二分に強く、乗っていてもまずパンクする気がしない。この差は心理的にも大きくて、この安心感だけでも交換した甲斐はあったと思えるほどである。

※交換後、取り出した元のチューブをふと見ると、35~43c用のチューブであった。これではキツキツだったに違いない。(Giantよ、どうか適正サイズのチューブを入れてくれ。)


取り替えて使おうというホイールの件は目下、心楽しく検討中である。秋に気候がよくなった頃、新しいホイールでツーリングができるといいだろうか。