2008/08/24

Horst Steinの思い出

もうすぐ今年のバイロイト音楽祭も幕を閉じるが、先月来中継放送が続いていて、音楽祭が開幕した7月25日の„Parsifal“から8月2日の
„Götterdämmerung“まで一通り今年の演目の初日の公演を楽しむことが出来た。昔はNHKのFMでチューニングを気にしながら夜中耳を凝らしたものだが、今はインターネット・ラジオになり、音もよく録音も容易くて随分と便利ではある。(バルトーク・ラジオなど320kbの配信で、CDを普通に取り込んだ時よりも音がいいくらいだ。)もちろん演奏や歌手の良し悪しはそれぞれだし、平準化したこの時代、そもそも昔に比べればということもあるにはあるが、中継放送恒例の開演5分前の3度吹かれるファンファーレが鳴って、劇場内のどよめきがざわざわと流れてくると、やはりわくわくするもので、これは変わらない。

そんな中、音楽祭開催間もない27日、かつてのバイロイトの常連、頼りになる名匠Horst Steinの訃報 が流れてきた。80歳ということだったが、ここ数年静養中ということ以外ほとんど消息を聞かず、実際は長いこと引退状態であったから、格別に驚きはしなかったのではあるけれども、ああ、とうとうかという感慨はあった。そして1度きりではあったが、直接聴いたBamberger Symphonikerとの来日公演を思い出したのである。

KochからRegerの渋い録音が何枚もリリースされ、Stein自身の70歳を記念したLiveのBrahms全集(Brahms: Die 4 Sinfonien)ども丁度出た頃で、Wandの次の「最後の巨匠」としてもてはやされる日も遠くないのではなどという声もちらほら聞かれた97年の秋のことである。この時はサントリー・ホールでのブラームス・チクルスを軸とした一連の公演だったのだが、当時私の住んでいた相模原にも足を伸ばしてやって来て、やはりブラームスの1番をやることになっていたのである。(他にはメンデルスゾーンの「静かな海と楽しい航海」とドボルザークのバイオリン協奏曲で、ソリストは諏訪内晶子であった。)相模大野のグリーン・ホールは伊勢丹に接してその隣にあり、音はデッドだが正に我が生活圏内のホールで、散歩がてら歩いても行けたので私と友人は喜んで出かけることにしたのである。(帰りの田園都市線の混雑を思うとサントリー・ホールはいつも気が重かった。)その頃既にSteinの体調があまり思わしくないことは風のうわさで耳にしてもいたが、CDも出ているし、やっても来るのだからと、その時は特に気にもしていなかった。

 さて、当日現れたSteinは意外なほどに小柄で(私はそれまで巨漢だとばかり思っていた)、例のおでここそ変わらないものの、病気のせいか以前TVで視ていた元気な頃より一回り以上も小さくなっていたことに驚かされた。元々動きが大きい方ではなかったが、意外にも弾力的で軽快だった指揮ぶりの方も、肩が丸まり体の前で肘の先だけを振る随分とこじんまりした、内省的・内向的なスタイルに変わってもいた。しかし演奏そのものは、オケともどもスケール感こそないが、その分滋味溢れる実にいい木綿や木質の手作りの味わいで、更にブラームスのフィナーレ終結部などでは本拠地での録音より一層盛り上がって地響きを立てるほどの凄まじい突進も見せてくれたのだが、演奏中否応なく気になったはStein自身の尋常ならざる顔色あった。初めに出て来た時から実にもう茹でだこのように真っ赤で、これはいったいどれほどの血圧なのであろうかと危ぶまれた。今にも卒中を起こすのではないかと見ていてひやひやしたのである

休憩中、友人と私は(あれは子供の頃いじめられたかも知れんなあーなどと軽口を利いた後)今日来て本当によかったなあとどちらともなく口に出した。あのSteinの様子を見るにつけ、これが最後か限りなく最後に近い来日であろうことは明らかだったからである。そして休憩後のブラームスは殊のほか感動的であった。冒頭の深く沈潜しながらも衝き上げて来る激情、低回し打ち沈みながらも静謐で清らかさが流れる2楽章、3楽章は昔のように素朴で弾力的な推進力があって、フィナーレはアルペンホルンの朗々とした挨拶から感動的な例の弦楽合奏を経て思いがけぬ爆演となった。

あれから早11年である。Steinの来日は翌年単身でN響を振りに来たのが最後となった。残念ながら彼のWagnerの実演には触れられなかったが、私の手元には86年のバイロイトのMeistersinger(CD-R)がある。冥福を祈る。

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