2009/09/19

仙台の”魔笛” : 我らの身の丈に合った音楽の栄光と悲惨


『のだめカンタービレ』の冒頭、鬱勃憤然と登場した千秋真一が抱えていた苛立ちと焦燥は

(クラシックをやるのに日本にいたってしょうがない)

当然と言えば当然過ぎるものであったろう。その作品や芸術家が一つの必然としてまさにそのただ中から生まれ出てた地で学び、その拠って立つ土壌や環境を精査し、そこに営々脈々と続く文化と(その形式でもあれば内容でもあるところの)言語の体系に飛び込んで、ついにそれを身をもって生きるというのでなければ、およそ「本物」には近づけないだろうからだ。彼のような才能がそれに感づかぬはずがない。

無論こんなことを思ったのも、先日仙台オペラ協会の"魔笛"を観たからである。楽しくも悲惨な我が町のオペラ公演を観て、未だに私の中には片付かぬ様々なものが入り乱れているかのようである。文化的背景をバッサリ切り落としたこの日本の、この実学の都市である仙台でありうべき西洋古典とは果たして如何なるものであるのか。そして、いつの日か私のような偏屈な一クラシック愛好家が心底感動し、感嘆しうる、見事に昇華された音楽芸術を、一体全体さて、この地で聴く機会が訪れ得るものなのか。思うほどに絶望的な気分に襲われるのである。

実のところ、クラシック音楽本来の精神と感覚は、この現代日本の環境においてあまりに異質なものではあるのだろう。彼我の風土は精神的にも感覚的にも大きく異なり、言ってみればその水も土も光も空気もまるで違うのだから、たとえ同じ種子から育てようと咲く花、生る実が大いに趣を異にするのは已むを得ざるところではある。ましてや、深みというものをおよそ欠いているとしか見えぬこの時代である。彼らが扱った問題を彼らが扱ったように真剣に扱うことなどまるで流行らないかのようである。

しかし、それにしても、である。

私は思い出さざるをえない、ThomanerchorとGewandhausのMatthäus-Passion


Bach Collegium Japanのマタイが

どうしようもなく異なっていたことを。いつもの友人と(2002年のことだが、わざわざ)さいたま芸術劇場まで聴きに行ったBCJは、その古楽オケも鈴木雅明の指揮も合唱も悪いはずもなかったのだが、演奏の背後にイエズス受難の物語が、そしてその痛切さが、親密にも深々と広がる度合いにおいて、およそ比較のしようもなかった。無論、これは仕方のないことではあったろう。高い技術で真剣に歌う合唱の面々の頭に想い浮かんでいるイメージは、残念ながら我々のそれと同様、後で頭に入れた知識としてのイエズスの姿であり、物心つく以前より慣れ親しんで、もはや自身の血肉と化した懐かしの姿ではないのだから。しかし、この「我々のそれと同様」というのが気に喰わぬのである。わざわざ聴くからには、はるかに突き抜けた、当然それ以上のものを聴きたいわけであるから。結局、幼年期の夢や思い出にまで結びつくような心の奥深くに根ざした様々なイメージや感情の多様な裏付けを欠いているために、懸命に習い覚えただけで奥行きや柔軟さを欠いた物語は、その懸命さばかりが目について決して活き活きと立ち上がることがなかった。加えて、そもそも母国語ならざる悲しさ、肝心のドイツ語の一語一語にまとわりつく重層的な意味のアウラを感じる術もない以上、さてそれ以上如何ともしがたいものではあっただろう。

だがしかし、たとえそうであるにしても、である。

言うまでもなく、何ものも突如としてポッと生まれ出て来るわけではなかろう。ドイツにBachが生まれたのも、日本に芭蕉が生まれたのも単なる偶然であろうはずもなく、内的にも外的にも然るべき条件が整ったればこその結果であったろう。ドイツに芭蕉が、逆に日本にBachが生まれる道理があろうか。たとえ彼らの精神と芸術の核心に普遍的なもののかけらが閃き、響いているにしても、本体の大部分はその時その地でしかあり得なかった特殊で具体的なもの、歴史的・地域的に特定された諸条件に基づいているものであろう。


ウェストファリアの平和の後を受けて数多くの領邦国家が分立したあのバロックの総合期に、あのテューリンゲンのBach一族に生まれず、ルター正統派の洗礼を受けず、ヴァイマル、ケーテンを経てライプツィヒに行かず、聖トマス教会のカントルを務めず、仕事に追われず、妻を愛さず、ビールを飲まず、ソーセージを食わず、ドイツ語を話さず、ドイツ語で考えぬBachなどあり得ようか。


江戸の世に伊賀に生まれず、職業的な俳諧師にならず、元禄の文化を体験せず、漂泊の旅をせず、湿潤な日本の風土の四季折々、その土地その土地の風俗風物に目を留めず、古人にも森羅万象にも思いを馳せず、深川に庵を結ばず、一株の芭蕉を植えず、米を食さず、日本語を話さず、日本語で考えぬ芭蕉も断じてあり得ぬだろう。


というわけで、作品と芸術家の探究には、その「精神的風土の探索」と同時に、作品がそこで生まれ、彼らがそこで実際に生きた具体的な「感覚的風土の経験と探索」が欠かせぬものだろう、ということになる。生まれてからこの方、我々は感覚的なものに取り囲まれている。目に映る風光、耳に響く母国語、舌に味わう食べ物、肌に感じる気候、その他諸々、感覚を通してなじんだものはもはや我らの一部であるのだから。人間はタブラ・ラサではないから、それらがそのまま全てでないのは勿論だが、その有形無形の影響から逃れられるものではあるまい。そして、なかんずく我らが「言語」の影響はその中でも決定的なものであるだろう。その音色、抑揚、リズム、テンポ、更にその語彙とグラマーの総合的な体系は我々自身と切っても切り離せない、もう一人の自分自身と言ってもいいほどである。


芸術家による作品の創造を一つの必然として捉えてみるには、彼らが見、聞き、感じ、考え、味わい、なじみ親しんだものを、彼らがまさにそうしたように追体験してみることから始めるのが望ましいだろう。そこから始めれば、問題意識を共有し、彼らがこだわったものにこだわり、目指したものを目指して、ついにその創造の現場に居合わせるがごとき理解が可能となるやもしれぬ。だが、すべて我々の経験なるものは、我々自身の経験には違いないにしても、否応なくその時代、その文化圏の、固有のフィルターを通したものであるほかはない。そして、その文化圏固有のコードは基本的にはその言語によって担われ保たれているのである。そうである以上、彼我の価値判断や認識、美的経験や情感生活の意味や質を背後から厳然と左右しているのは、つまるところ彼我それぞれの言語体系なのであろう。言語は文化的な諸々の価値のヒエラルキーを盛る器であり、我々はその器から飲むほかはない。我らの精神に不可欠の器官があるとすれば、言語こそがそれであろう。人はその言語の体系内でものを考え、感じざるを得ない。そのスタイルで思考し、そのテンポで考えを進め、その音色や響き、テンポやリズムの特性に自ずからなじんで、彼の精神と感覚はその制約を否応なく受ける。当然、作曲家といえども例外であるはずもない。

というわけで、思うに作品の理解には必要最低限その出発点として

  1. その作品が前提としている教養の伝統を理解し、
  2. その芸術家が生き、その作品が成立した地と時代の感覚的要件を知り、
  3. 且つ、そこで使用されている言語をかなりの程度心得ていなければならない

ということになるだろう。


例えば「古池や蛙飛びこむ水の音」という極限まで切り詰められた17音の日本語を聞いた時に、少なくても、芭蕉によって想定され、当時の人々にとっても最も一般的にイメージされていた蛙の跳び込んだ池の様子や音、その場のありさまやその全体としての禅的な心象が自然に想起されるようになっていなければ理解のスタート地点に立ったことにはなるまい。この句を聞かされたアメリカ人のいくたりかは、大きな池に次々に何匹もの蛙がバシャバシャとジャンプするにぎやかな光景をイメージしたそうだが、それでは始まるまい。比較文化論や異文化理解の材料としては興味深かろうし、自由な解釈というのも時に面白くないこともないが、それはまた別のことである。最終的な解釈や理解がどういう地点にたどり着くかはさておいても、出発地点は正統な地点から発するのでなければなるまい。


考えるに「本物」とは、自らの内に何ものかが生きていて、もはや自分自身と分かてぬ状態にまで達していることの謂いであろう。自身の内を探れば、その精神が現に活動し生きている。その思想や原理が、またその感覚やふるまいの様式が、更にその直観や感情のことごとくが否応もなく自分の内で生きているという自覚と自負。外やどこか他所にあるのではなく、自身の内にあるものを探ればそのままに究極の問の真正な答えが見つかるという状態こそ「本物」と言うべきであろう。そうなれば、もはやその人は単にその人個人であるにとどまらず、一個の代表者であり、一つの規範である。彼(彼女)がThomas Mannの"Doktor Faustus"の悪魔と契約を交わした作曲家Adrian Leverkühnのように、たとえどこにいようと「自分のいる所こそドイツであり、故郷のKaisersaschernだ」と言えるならば、彼(彼女)はもはや規範であり、すなわち「本物」であるだろう。

当然、「本物」は文化的な脈絡と離れては存在し得ない。まがうことなき規範や正統の精神は単に個人的な一代身上によって成り立つものではないからだ。それを勘違いしたところに在るのは風変わりで奇妙な「何か別のもの」だろう。

例えば、ランランのあの中国雑技団の軽業としてならば実に見事な、しかしまるっきり別の思考とセンスで奏せられているために本来の意味やスタイルからは絶望的にずれてしまった饒舌の滑稽と悲惨を見よ。(あれではただの人寄せパンダ、あるいはホリエモンではないか。いや、そうではない。彼は一流のシェフだ、ただし中華料理の。)

或いは、オペラだというのにおよそ言葉としてのニュアンスを欠き、本来の味や香り、重層的な複雑さを持っているはずのものが、単純で生真面目なただの気合いと集中力にすり替わってしまう我らが小澤の非劇場的な無味乾燥はどうだろう。(ブロークンな英語だけでイタリアオペラを振り、ドイツオペラを振るとはどういう了見なのか。自分が使えぬ言語のオペラは振らぬと言い切ったネッロ・サンティに笑われるだけではないか。)

或いはまた、かつてクレンペラーに悉く間違っていると言われた、あのケレン味あふれる才人マゼールはどうだ。しゃくれリズムで奏される欧州流の「てにをは」の無視、アメリカ流換骨奪胎の非常識と没趣味、ディズニー的な大衆化と世俗化。(振るものがことごとくパロディーと化してしまうのだから悲劇である。あの峻厳なクレンペラーには全てが書き割りや張りぼてに見えただろう。)

彼らが自身を振り返ってどう思っているかは知らぬが、いつまでたっても文化的な真実に一向に近づけないという点で、はたから見ていて或る種むごたらしい印象をもたらす例は残念ながら少なくない。(世界の小澤はいまだに自分の営みは日本人がどこまで西洋音楽を理解できるかの大いなる「実験」だと言っている。「生涯、実験」と言い切ってしまうのは彼らしいフランクな正直さで、それ自体は褒められてもいい美徳でもあるだろう。だが、結局、遂に最後まで分からないのだろうと確信させるに十分な正直さだ。彼がドイツ語の1つでもマスターしない限り、実験の成功は有りえないだろうし、多分それは永久に無理なのだ。日本人は日本人にしかできない西洋音楽を奏でるべきだし、それでいいのだという議論がある。結局そうならざるを得ないという実際の事情は別にして、それで当人は本当に満足できるものだろうか。)当然のことだが、個人レベルの才能や天才と文化的な真実は必ずしも一致するわけではない。

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そして(ようやく)今回の我が町のオペラである。縁あってオペラ協会から招待券をもらい、9月5日、土曜日の初日の公演に出かけたのだったが、「楽都」仙台の身の丈に合った(実に身の丈に合い過ぎた)オペラ公演を観て、私はしばしそれを表す然るべき言葉を見つけることができなかった。実のところ未だに言葉を失っているようなもので、もやもやとした自身の内からふさわしい言葉を掬い上げることができずにいる。というのも、そこにあった悲惨と喜びは、知りたいものを底の底まで知りたいと願いながら遥かにそれに遠い我が悲惨と喜びに通じているようで、密かに(そして大いに)身につまされているからである。市民のための教養行事としては価値があったに違いない。だが、芸術的にはおよそ評価のしようもない公演を聴きながら、残念ながら「本物」というものにいまだ手が届かぬ我と我が身を振り返らざるを得なかったのである。そして自分の手が果たして本物に届く日がいつの日か来るものであろうかと酷く頼りなく、心もとなく思われたのである。


公演は一面で言えば楽しかった。知った顔もあり、その点親しみを覚えたと言えば覚えたという面もある。以前の"魔笛"の公演では全部日本語で通したらしいのだが、今回はせりふは日本語だが、歌は原語上演であった。みなでドイツ語も勉強し、合宿も行い、ずいぶん早い時期から練習と準備が行われていたという話でもあった。オケはかなりルーチンだったにしても、オペラ好きが高じて出演するようになったアマチュアも含め出演者は懸命に演じ、歌い、その意味では感動的ですらあったろう。だがそれは、例えば学祭の出し物がそうであるようにそうだったのである。

Mozartを基準にして考えた途端、そこそこに楽しくもあった公演の様相は、残念ながら一変せざるを得ない。アーノンクールに私淑しているとのことだったので少しは期待した指揮者も、始まってみれば歌手たちのゆるいアンサンブルをまとめるために冒険ができるはずもなく、当たり前のただこじんまりした演奏である。そうなると、いまさら仙台フィルに様式感や音色の魅力や自発的なアンサンブルがないのはどうなるものでもないから、Mozartの劇場性が沸き立つはずも、古典の活力がメリハリよく活き活きと弾むはずもなく、テンポがあまり間延びしなかっただけまだましかというだけのものとなった。歌手陣は例によって弱く、夜の女王の上がきついのは仕方がないとしても、特に男性陣は厳しかった。タミーノはミュージカル調で歌のお兄さんといった感じであったし、肝心のドイツ語は完全にカタカナである。ドイツ物はほとんどやらない仙台オペラ協会であるから、カタカナ・ドイツ語になるのはやむをえないとは言え、肝心のザラストロのドイツ語が一言もドイツ語らしく聞こえないとなると聴いているのがつらい。歌手でまずまずだったのは第1の侍女と日本的なパミーナ、そして弁者ぐらいであったろうか。演出も異邦人たるタミーノを軸にするという設定と解釈が昇華するものではなかった。


これが「楽都」仙台の精一杯なのであろう。10月には所謂「せんくら」があり、食材宣伝と観光活性化のために「仙台・宮城デスティネーションキャンペーン」なるものも張られるわけだが、さてクラシック音楽の「地産地消」は如何。B級グルメと割り切って楽しむべきか。残念ながら、とてもそんな気にならぬのである。

2009/07/25

自転車通勤とGiant Seek R2 : タイヤの交換と交換用ホイールの検討


Giant Seek R2に乗り始めて4ヶ月余り、この間に3度(も)のパンクを経験したことは結果として悪いことではなかった。当然考えておくべきだったタイヤやホイールの性質について考えることになったというのが1つ、パンク修理やチューブ、タイヤの交換といった自転車に乗る人間が先ずは心得ておくべき基本技術習得の実地訓練になったというのがもう1つの理由である。3度のパンクは(遂に3度を経て)私のようなずぼらでわがままな者にも、否応なく必要な諸作業を強いたわけである。ホイールを外させ、チューブやタイヤやリムテープを交換させ、結果、我がSeek R2は今や両輪ともまるっきり新しいタイヤ(Continental Ultra GatorSkin 700*25c)を履いている。

実にそのおかげであろうか。それ以来、道具としてのSeek R2に対する愛着がぐんと増した気がしている。教本片手にホイールを外し、リムテープを換え、チューブを換え、タイヤを換えとあれこれしているうちに、わずかに残っていたスポーツバイクに対する遠慮のようなものは消えて、必要とあらば自らいじって調整する身近な道具となった気がするのだ。




さて、結果として自転車と私の関係を一歩進めてくれた、そのパンクではある。

自転車通勤者として、これは確かにそのまま放っておくわけにはいかぬものであった。2月半ばにSeek R2を買い求めて以来、2、3、4月と格別何事もなく過ごしたのであったが、5月の連休最終日にパンクを喫してからは、どういう具合かパンクづいて、6月は13日、27日と続けざまであった。幸いどちらも通勤時ではなく、特に予定もない休日だったからまだよかったのだが、普通に走って2ヶ月足らずで3度(フロント2、リア1)というのはいかにも多すぎた。平日でも休日でもパンクの不安を抱えて走行するのは愉快なものではないし、そもそもこれでは安んじて自転車通勤を続けるのが困難である。というわけで、これは是非とも原因を究明し、必要な対策を講じざるべからずと思われたわけであった。


原因と言えば、前々から気になることがないでもなかったのだ。(3度の内、初めのものは単なるリム打ちパンクであったが、後の2回はどちらも尖ったガラスや金属の微小片を知らぬ間に拾っていたことによる貫通パンクなのであった。)出来合いで着いていた台湾製のMaxxisのColumbiere (700×32)は本来ロード用のタイヤらしく、わずかに入っている斜めラインを除けばほぼスリックと言っていいものだったが、ゴムやコンパウンドの性質のせいか接地面が柔らかで、クロスバイク用に32mmと幅広なこともあってか路上の異物を非常に拾いやすかったのである。石や金属やガラスなどのかけらがどうもくっつきやすく、くっつきやすければ当然離れにくくもあって、タイヤ表面についた微小片の中にはそのまま落ちずに喰い込んでくるものもあった。表面に喰い込んでもそのままなら大したこともないような、ごくちっぽけな微小片なのだが、小さいながら(或いは小さいが故に)ものによってはタイヤが転がるうちに表面コンパウンドからタイヤ内部に棘のように潜り込むのではないかと気になっていたのである。最初は路面に当たってカツカツ音もするが、ゴムに呑み込まれてしまえば音は消える。乗っている方はタイヤの回転でうまい具合に飛んでいったのだろうぐらいに考えて、まあ大丈夫と高をくくって走り続ける。その間に小さな異物は気づかれぬままにタイヤ内部に埋まって身を潜め、ある程度以上大きな圧力が加われば、いつでもタイヤゴムを貫いてチューブを傷つけんと密かに機会をうかがっているのではあるまいかと疑われた。そうであればこれは一種の感応式爆弾と言ってよく、棘に圧力がかかりグッと押されてわずかでもタイヤの裏側まで通ってしまえば、もうそれで終わりだ。チューブはほんの一刺しで傷ついてしまう。

先月13日のリアタイヤのパンクは、スーパーの駐車場から歩道に出る、自転車用に設けられた階段2段分の勾配をゆっくりと下りた時であった。27日のフロントのパンクは、押しボタン式信号機のところで信号が替わるのを待っていて、さて替わったというので一段分高い歩道から横断歩道にゆっくりと下りた時である。共通しているのはそこそこの勾配をゆっくり下りたという点で、考えられる可能性は3つであった。下りきってタイヤにグイッと圧力がかかったところで、

  1. ちょうどそこにあった尖った何かを踏み抜いた。
  2. 直前にタイヤが拾い、そのままわずかに突き刺さっていたかけらが一気に押し込まれた。
  3. 既に以前からタイヤ内部に埋もれ潜んでいた微小片の尖端が圧力を受けて遂にチューブに達した。

さて、どれであったろうか。いずれにしてもその時まで私は不心得にも携帯ポンプはおろか、換えチューブも、パンク修理キットも持ってはいなかったのである。幸い現場は店こそ違え、両日とも自転車屋の近くで、不幸中の幸いそのまま店に担ぎ込んだのであったが、店では微小な尖った何かがチューブに穴を開けたらしいと確認されただけで、残念ながら穴を開けた異物の発見、特定には至らなかった。1ならば(運が悪いのか、不注意なのかはさておいて)まあ仕方のないことだが、2、3ならば路上ゴミを拾いやすいタイヤの性質によるところが大きく、3は特に危惧された。そうであればタイヤを換えぬ限り今後も同じようなパンクが繰り返し起きる可能性が高い。私も2度目の13日時点ではまだ余裕があったのだが、わずか2週間後の27日の3度目となると強い危機感と不安を覚えざるを得なかった。

というわけで、3度目のパンク修理の間、修理を頼んだ店に並ぶ自転車やパーツ類を眺めながら考えたのである。

タイヤはパンクするものではある。当然だ。しかし、しやすいとなれば別であろう。このタイヤはどうもパンクしやすい。この調子でパンクした日には大変だ。まだ1000キロと乗っていないが、もう交換するべきだろうか?

タイヤとは何か?自転車にとってのタイヤとは、我々にとってみれば靴のようなものであろう。ならば、一年中同じものを履き続けるのは、かえっておかしいとも言える。靴はその都度履き替えるもので、取り替えの利かない足の裏の皮ではない。天候や気候に応じて、また目的地や用途、路面状況や靴の状態に応じて、相応のものを選んで履くのが普通だ。当然その方が合理的だし、安全でもある。靴自体も長持ちする。ならばである。自転車でタイヤを、年がら年中同じままに履き続け、履き潰すまでそのままというのも随分おかしなことには違いない。車でさえ冬にはスタッドレスに履き替えるのだ。肉体の延長たる道具としては、よほど我々の足に近い自転車なのだから、普通に靴を履き替えるように、日常的にタイヤを履き替えてもいいわけではあろう。いや、履き替えるべきではないか。

ここまで考えは進んだが、まだ修理が済まないので、店内をぶらつきながら更に考えた。

我々の靴が自転車のタイヤならば、足は自転車のホイールであろう。脚はフロントフォークやフレームに当たろうか。人の自由度が靴の交換までであることを考えれば、足も脚も換えることのできる自転車の自由度はかなり高い。さて、そうすれば我々が靴を履き替えるのは、自転車の場合タイヤではなく、むしろホイールごと履き替える姿に近いように思えてきた。タイヤそのものの交換は出発前の作業としては些か手間がかかり過ぎる。ホイールごと換えるのであれば、自転車をひっくり返せばすぐに済むではないか。それぞれ性質の違うタイヤとホイールが2、3種類あればよいかな。パンクせずに急ぎたい通勤時、思い切って遠出をする休日、近所での買い物、舗装路以外の悪路走行、雨、雪、冬の凍結路、目的や状況に応じた適正な組み合わせで適正な走行が可能となるのに違いない。これは悪くはない考えだ。

ここまで考えても、まだ修理は終わらない。どうもてこずっているようだ。私の考えは遂に具体的な領域に入り込んだ。

数種類ずつと言っても、実際はメインとサブの2つがあればホイールは足りよう。(3組目は我が財布が許すまい。)さて、ではこれは具体的にどのように可能だろうか?我がSeek R2は700cのホイールを履いてはいるが、フレームのエンド幅がMTB仕様の135mmで通常の130mmではない。おまけにディスクブレーキだ。ということは即ち、

  • 選択肢の豊富な700cのロード用完組みホイールはことごとく使えない。
  • 反面、MTB用の26インチホイールならそのまま使うことができる。
  • 選択はディスクブレーキ対応ホイールに限られてくるが、Vブレーキやサイドプルブレーキのようにホイール交換の度にブレーキを調整する手間がないから、必要に応じて履き替えようという当初の目的にはかなっている。

ということになる。
さて、700cと26インチ、どちらがよいか。スピードなら700、冬のことを考えれば26だが。朝のスピード・アップもいい。冬の通勤の安定も確保したい。エンド幅が135mmで径が700、しかもディスクブレーキ対応というのはさてどれほどあるものだろう。26インチも悪くはない。そもそも完組みがなければ手組みという手もあるぞ。う〜む。

結論が出ぬまま修理は終わったのだが、結局、パンク問題の解決と通勤時のスピード・アップを目論んでタイヤは交換することにしたのである。そのまま店ではタイヤレバーと携帯ポンプを購入し、家にもどってWiggleでタイヤを注文した。

Seek R2の出来合いのホイールはAlexrimsのAce-18で、リムの内側の溝幅は16.5mmである。その1.4~2.3倍までが適当なタイヤ幅だという計算に従えば、25~37cまでのタイヤの装着が可能であった。32を履いていて32というのも面白みがないので、色気を出してやや細身の25と28cの2種のタイヤ(ContinentalのUltra GatorSkinとGrand Prix 4-Season)と予備を含めて5本のチューブを求めた。 品物は程なくして無事にポーツマスから届き、100£余りの買い物に関税もかからなかった。




タイヤが届き、それではいざと休みの日に初めてタイヤ交換を敢行したのだが、初めてにしては意外にもすんなりうまくいって、そうして今日に至ったわけである。

交換したタイヤの効果は実に大きかった。細くした分、総じてギア1段分は優に軽くなったし、Maxxisで気になっていた路上の異物の噛み込みは見事になくなって、気がつけば、しばらく悩まされたパンクの不安からフッと解放されていたのである。その名の通りUltra GatorSkinの皮は丈夫で、接地面もサイドも十二分に強く、乗っていてもまずパンクする気がしない。この差は心理的にも大きくて、この安心感だけでも交換した甲斐はあったと思えるほどである。

※交換後、取り出した元のチューブをふと見ると、35~43c用のチューブであった。これではキツキツだったに違いない。(Giantよ、どうか適正サイズのチューブを入れてくれ。)


取り替えて使おうというホイールの件は目下、心楽しく検討中である。秋に気候がよくなった頃、新しいホイールでツーリングができるといいだろうか。

2009/06/20

自転車通勤とGiant Seek R2 : エアロバーを取り付ける

MTBを700c化したようなアグレッシブな街乗り車で、決して高速巡航を前提にしているわけではない我がGiant Seek R2ではあるが、それでも通勤時それなりの高速巡航性を求めたかった私は、ステムをひっくり返してハンドル位置を下げ、長めのバーエンドバーをハンドル中央寄りに取り付けることで、ひとまず期待通りの効果を上げることができた。順手で握らざるを得ないフラットバーハンドルでは難しい自然な前傾姿勢と腕の強力な引き付けが可能となったから、力のロスが大幅に減って巡航速度を上げることができたわけである。うまくおさまった猫のように背中を丸め、変に肘を開く必要もなく、両腕を適度に曲げて、縦にハンドルを握る姿勢のなんと無理なく快適で心地よいことよ。

これで話が終わってもいいのであるが、この心地よさに味をしめた(例によってあまり加減を知らぬ)私は、その体勢を更に推し進めてやろうと今度はエアロバー(BBBの安い物)を取り付けてみることにした。

トライアルでもトライアスロンでもなく、ただ通勤のためだけのエアロバーである。通勤特化型のエアロバーなど耳にしたこともなく、クロスバイクにエアロバーというのもスニーカーにスパイクを付けるかのようで多少の違和感も覚えぬではなかったが、それはそれ、スタイルより実、バランス感覚より好奇心をとることとした。一言で言えば、ただやってみたかったのである。

私が通う朝の通勤コースは、その行程のほぼ6割を5車線(上り3、下り2)の幹線道路が占めているのだが、その内上りの1車線が朝だけバス専用となる。だから、我々自転車組はその端を走ることができるのである。バス専用車線だけに一部のクソッタレな(失礼)不心得車両を除けばバスとスクーター類ばかりであるから、空気はよろしくないが(バスのディーゼルの排気ガスをもろに浴びぬように気をつけなければならない)、混み合うことの多い横の上り2車線を尻目に、我々はひたすらこぎ進めることができる。そしてそんな道を朝、我が不徳の致すところで時間に追われて走っているうちに、いつの間にかそこを目一杯走ることが眼目となったのである。無論、そうしなければならぬ理由は特段あるわけではない。勿論、前方に快適に疾走しているスポーツバイクを見つけたからといってシャカリキに追いかけねばならぬ理由もないわけだが、なぜかボールを転がされた犬、棒を投げられた犬のように猛然と追いかけてしまうのである。時に追いつき、時に追い越し、時に追いつけず、 時に突き離されと色々だが、いずれにしても私は朝から大汗をかき、中年おやじの新陳代謝は大いに亢進するのである。(これで空気さえよければ健康的な朝の運動とも言えるのだが。帰りは排ガスを避けるために道を変えるようにしている。)

通販で取り寄せたが、取り付けは簡単でアーレンキー1本で足りた。付けてみると見た目の印象は一変し、
以前が小牛なら、

今度は牡鹿、

鹿の角(Hirschgeweih)であり、

或いは夜間防空戦闘機(Uhu)であった。

上体はさすがにずいぶんと寝て、ハンドルにかぶさるようであったが、慣れてしまえば問題のない範囲ではあった。腰にぶち当たっていた空気が切り裂かれて空気抵抗は減り、ペダルを回す脚にもかなり力が入る。体を折って懸命にこぐものだから、呼吸はせわしくなり、心拍数も上がって、それだけの負担もあるわけだが、速いことは速くなった。(おまけに、これは全く当初の意図の外だったが、きつい登り坂が大いに上りやすくなった。)
心配されたのは体勢が体勢だけに尻の痛みや尿道付近の痺れの問題であったが、我が尻もサドルになじんだのか、これもエアロバーの姿勢に慣れる頃には特に違和感もなく平気になっていた。

見た目が大仰なのと重量増、ライト類の設置など問題がないわけではないが、前のバーエンドバー同様、このエアロバーも悪くはなかったようだ。高速巡航性ばかりではない。スピード以外でもエアロバーがありがたいと思ったこともあった。

休日に張り切ってそれなりの距離を走りに出かけた時のことである。この日は初めから少々遠出のつもりでいたから、楽なはずの前傾の緩い普段の姿勢で走り続けていたのだが、そろそろ2時間になろうかという頃、ずっと順手で腕を突っ張っていたせいか、遂に肩や首の辺りが痛くなってきたのである。そうなるともう全体のバランスまで崩れて尻まで痛くなる始末。元気までなくなってきて、帰り路が心配になってきた。休憩に適した場所もなく、それらしい所までそのまましばらく走ろうかと、他にしようもないので仕方なくエアロバー体勢に姿勢を変えてみたのだが、これが思いがけず救いとなったわけである。初めは痛みをこらえエッチラオッチラこいでいただけだったのだが、そのうちスムーズに脚が回るようになってきて、いつの間にか肩の痛みも尻の痛みも消えていたのである。思いがけず調子を取り戻した私はそのままスピードを上げてこぎ続け、時に自動車と競いまでして、結局4時間に及ぶサイクリングを終えることができた。

まあ、これはエアロバー故というのではなくて、体の一部に負担が掛かり続けていた姿勢を改めたことによるのでもあろうが、それでも仮に普通にハンドルの両脇にバーエンドを立てていただけだったら、ああうまくは痛みが解消されることもなかったのではないだろうか。Seek R2には切らなければ標準で600mmのハンドルがついているのだが、この幅で両脇のバーエンドを握っても腕が広がりすぎてよろしくないのである(腕と胸が苦しくなる)。なんやかんやでハンドルを握る腕の幅は肩幅位が一番楽であるし、握る手は縦が楽である。エアロバーで上体や腕が最も望ましい状態に収まったというのではないのだが、それでも低くしたフラットバーを順手握りで腕を突っ張って上体を支え、首を肩にめり込ませているよりは何層倍もよかったのである。距離が短ければ何がどうでも左程のこともないが、ある程度以上の距離でハンドル周りの設定がまずいと苦痛は非常に大きくなると知れたのであった。普段、片道10km程度の通勤では、それが少々の違和感程度で看過されていたのだったが、長く乗った結果それでは済まなくなったのである。適切な姿勢が確保されているか、いないかで体への負担の多寡は驚くほど違ってくるものらしい。上体の適度な前傾を保証する、適度な幅、適度な高さ、適度な距離の縦握りでないと長距離は無理だと思われたわけであった。

私は適当に走りながら、適当に自転車をいじり、子供のようにあれこれと学んでいる。試行錯誤や無知故の愚かな行為から知れたことの多くは、分かっている者にはごくつまらない類の事柄なのだが、自分自身の身をもって知ること自体に些かなりの価値もあろうかと我が愚を慰めている次第だ。

さて、次は何を、どう変えてみようか。なかなか懲りぬのである。


s.自転車通勤とGiant Seek R2:初めてのパンクとバーエンドの取り付けなど (2009/5/23)

2009/05/23

自転車通勤とGiant Seek R2 : 初めてのパンクとバーエンドの取り付けなど


ゴールデンウィーク最終日の6日、朝の運動と思って自転車を漕ぎ出したのだが、途中何やらハンドルに違和感を覚えたのである。ふわふわした奇妙な感触に「あれっ」と思うと、即ちパンクであった。不心得な私はパンク修理キットも予備のチューブも携行しておらず、携帯ポンプの備えもなかった。ただ幸い我が愛車を求めた自転車店のすぐ近くである。開店までわずかに待てばいいかと店の前までいったのだが、あろうことか或いは当然かゴールデンウィーク中の休みであった。開くのは明くる日とある。次の日まで待つこともできないので、少し離れた別の店まで、パンクした前輪をかばいながら、慎重に押していくことにした。


さて、10時の開店まで、近くのパン屋のテラスに座って焼きたてを1つかじり、コーヒーを飲みながら待つこと約1時間である。


この間に何やら、先日来密かに気にかかっていた問題が頭の中で妙に疼きだした。

朝の通勤時、私は毎度、なぜだかその気になって目一杯こいでいるのだが、そんな高速巡航時、フラットバー・ハンドルだと自然な前傾姿勢を続けるのがどうにもしんどいのである。やってみるとすぐに分かるが、鉄棒のいわゆる順手状態で深く前傾すると、手首は反り、肘は捻れ、首は肩口に亀のようにめり込んで、手から頭にかけて上半身はかなり不自然な負担を強いられる。大袈裟に言えば腕立て伏せで半ば突っ込んだままの体勢になるわけで、この負担はただ肩や首などにコリと疲労をもたらすだけではない。上半身の負担が全身の適正なバランスをスポイルし、駆動部であるところの下半身の円滑な回転運動を妨げて、あるべきパワフルでスムーズなペダリングをも微妙に損なうのだ。

原因はと言えば、何のことはない。これひとえに「順手だから」で、これもやってみればすぐに分かるが、手の握りを ドロップ・ハンドルでのように縦にすればたちどころに解決してしまうのである。握るこぶしが縦で、その幅も広すぎず適当ならば、深い前傾姿勢をとっても、ごく自然に手首から肘、肩、首まで上半身が無理なく丸まって、変にのめることなくゴム鞠のように上手く身が収まるのだ。猫背に丸まりながらも逆に伸びやかな感じで全体にストレスがない。人体の骨格上、当然といえば当然なのだろうが、我が身のこととなればこの差は大きい。ぜひとも何とかしたいところである。高速巡航に適した前傾姿勢をとるために、これまではハンドル位置を下げることでどうにか調整してきたのであったが、もう少し直接的な対策が講じられるべきだと思われてきた。

抜本的な解決は、これも何のことはない、ハンドルをドロップ・ハンドルに変えてしまうことだが、しかしそれではクロス・バイクを選んだ意味が問われる。それなら初めからシクロクロス・バイクを買えばよかったのだ。実は、正直そんな気も起きないではなかったが、上半身を起こして楽に乗る分には、また街中で小回りも必要とされる分には、やや幅広なフラットバー・ハンドルのクロス・バイクこそ扱い易く適当なものであることも確かだ。それにそもそも我が愛車は既にそこに在るわけである。朝には加減を知らぬ私にしたところで、帰りには買い物で荷物も背負えば、背を伸ばしてのんびりも走るわけで、クロス・バイクならではの快適さを捨てぬままに、と同時に朝のギリギリの高速巡航性能を上げるために「縦握り」も実現したいわけであった。 自転車屋の開店を待つ間、私はチーズパンをかじりながら、どうしたらいいものかと思案した。



パンク自体はどうやらいわゆる「リム打ち」というやつであった。穴が開いていたのは1箇所であったが、隣にもかすかに痕跡が見つかった。空気圧には気をつけていたつもりだったが、それ故にかえって油断していたものであろう。とりあえず朝の通勤時でなかったことに改めて胸をなでおろしたものの、今後はやはりパンクの可能性というものを頭の隅に留めておく必要があるのだろう。だが、現実に時間の限られた朝の出勤途上で微小な穴を見つけて修理することは不可能であるから、修理キットではなく、交換用の予備チューブとポンプの携行ということになるのであろうか。しかし、道端でのチューブ交換というのも朝はやはり困難である。持っているだけで結局使えぬという確率の方が高そうである。はて、どうしたものか。"Memento mori."ならぬ"Memento punctum."というわけだが、この世に生きる人間の心得として死を想うことがなかなか難しいように、自転車通勤者として常にパンクを想うというのもこれは些か煩わしい。夜会のエナメル靴のようなロード・バイクならいざ知らず、普段履きのスニーカー、或いは練習用の運動靴のようなクロス・バイクであまりこの手のことを気にしたくはないのだ。
というわけで、今回は結局、通勤時のパンク問題の具体的な解決策については保留・棚上げとしてしまった。

だが、バーの握りの問題は解決しなければならない。パンク修理中、店内を歩きながら、長めのバーエンドをエンド側ではなく内側に付けるのはどうであろうかと考えた。エアロバーまでいくと少々なんだが、適当なバーエンドなら大袈裟になりすぎることもあるまいと。

というわけで下のようになった。BBBのバーエンドを内側に付け、それに伴いブレーキや変速レバーの位置の問題からグリップをSERFASの締め付け式のものに交換した。 色は店に青がなかったので、ワンポイントもよかろうと赤にした。

アカベコ号と命名した。

或いは時々「せんとくん」と呼んでいる。



我が愛車Giant Seek R2が意外な趣をかもすようになったのは想定外だったが、高速巡航時の性能アップという当初の目的は見事にかなえられた。目一杯こいでいる時の身体の負担は感覚的にはほぼ半減したと言ってよい。余分な負担が少ないものだから、いくらか乳酸もたまりにくいのか、高速巡航距離も増した。一方、走行後の疲労は減ったのである。これは正解であった。

アカベコ号改めRoter Ochsen(赤牛=若き血潮)号とする。


s.自転車通勤とGiant Seek R2のその後 (2009/04/28)
自転車通勤の新たな展開 (2009/02/21)

2009/05/18

人はパンのみにて生くるにあらず:半日断食健康法とにんじんジュース

健康オタクではないが、生活習慣病に留意すべきは現代に生きる中年男子の心得であろうから、不惑を越えてからは私も、少々心身の健康には気をつけるようにしている。若い頃は健康に頓着することなどなかったし、むしろ軽蔑するほどの気でいたのだったが、いざ中年となってみれば、たとえ身じまいの一つとしてだけでも気を配ってしかるべきかと考えを改めた。既に些か怪しい頭の方はさておくとして、身体上大いに影響を及ぼす「生活習慣」と言えば、まずは「運動」と「食生活」の二つであろう。というわけで、前者について言えば、休日の散歩だけでは不足だろうと始めた自転車通勤、並びにジョギング、ウォーキング通勤は5年目をむかえ、後者について言えば、全くひょんなことから「半日断食健康法」なるものを始めて3年目に突入し、最近ではついに手作り「にんじんジュース」を飲み始めた。

さて、健康の要件としては「運動」、「食生活」の両者とも車の両輪のごとく重要なものに違いないが、このところあれこれ振り返るに、まず先に指を屈すべきは「食生活」の方であろうかと思われてきた。「人間とは食うところの存在である。」"Der Mensch ist, was er ißt."(Feuerbach)という有名な言葉もあるし、そもそも毎日毎日、何年(何十年)にも及ぶという事実を考えただけでも事の重大さが知れようというものではないか。オーディオマニアでオーディオの電源に気を遣わぬ者はいないし、レースでマシンの燃料に気を遣わぬ者もいまい。食べ物は人間にとって、言ってみればオーディオの電源であり、マシンの燃料に相当するものだろう。あの灰色の脳細胞を養うエルキュール・ポアロも食べる物の影響について言っていなかったろうか。何をどれだけ食べるか、或いは食べないか、そしてそれをどのように食べるか、或いは食べないか、文字通り我らが血や肉となる、体に直接入れるものの質と量の問題は決して小さな問題ではあるまい。内実は「不惑」に遠い私だが、食生活の健康に及ぼす影響の重大さについては、今や惑うことなき確信となるに至った。(裏を返せば、つまり、少々の無理や無茶などものともしなかった青春の黄金の日々は過ぎ去ったということである。友と好きなものを好きに飲み食いして一向に平気だった我がアルカディアは遠く彼方に霞んで、残念ながらいまや、しかるべきメンテナンスを怠ればそれがそのまま我が肉体にはね返ってこざるを得ないのである。)

ならばというわけで「半日断食健康法」なのであるが、これは夕食を食べたら消化から排泄までのワンサイクルに必要な18時間の間はものを食べず、それによって胃腸の休息と老廃物、宿便の十分な排泄を図り、血液の清浄化、腸内細菌叢の健全化を進めて体全体の健康を実現していく健康法なのである。2年半ほど前、当時何気なく目にしたまぐまぐの案内メールの中に 「一日二食健康法」なるものを紹介しているメールマガジンがあって、それがちらと目に付いたのがことの始めなのだが、当初はたまに耳にする朝食抜きダイエットの類かと思われた程度だった。だが、その発行者のサイトを見、さらにもう少し調べ てみると、この一日二食健康法の元は、(今は亡き)甲田光雄なる大阪の医師が提唱している「断食療法」、「生菜食健康法」、「少食健康法」であり、本来は難病根治のための根本的にはかなり過激な食事療法なのであった。

「療法」であるから、朝食を抜いて後は普通に間食を戒め、バランスよく食べて腹7・8分目を心がければよいといった常識的なものでは全くなく(それもあるにはあるが、それは実にほんの序の口に過ぎず)、最終的には食べる二食も完全なる玄米"生"菜食を要求する。つまり、食べる玄米は当然生のまま、動物性のものは口にせず、わずかな豆腐の他は青汁状にした生の野菜類ばかりを毎日食べて、総カロリーも1日約900~1200キロカロリー程度に抑えるという普通の糖尿病食など寄せ付けぬラジカルなものであった。(もっとも私は知らなかったが、これはこれで知る人は知っている結構有名でもあれば実績もなかなかに優れた食事療法であったらしく、書店に行けばその著書は何冊も並び、賛同者、信奉者も少なからぬもののようであった。)普通に考えればかなり厳しいその内容であるが、本来はただの健康法やダイエット術ではなく、難病克服の治療法として考案工夫されたものであってみれば、その由来からして当然といえば当然なのかもしれなかった。

健康のためとは言え、特に病気があるわけでも、体調が悪いわけでもなかったので、無論、そこまで厳しくやるつもりはなかったのだが、物好きにも「まずは」と買い求めた何冊かに示された複数の体験記等を見て私としても改めて「おっ」と思わないではなかった。難病克服者以外に、健康法やダイエットの延長線上でそれを実践して、驚異的な体力向上と頭脳明晰を獲得した者が少なくないようなのである。世に健康法や美容法などこの手の話には眉唾の類も数知れぬわけだが、それでもこれはこれで十分に興味深いことではあった。この健康法は他の多くのものとは違って、言ってみれば、永い人類の歴史の中で栄養の過剰と過剰な消費に陥っている現代という時代にプロテストする謂わば「マイナスの健康法」である。それだけでも価値があるが、生菜食、少食、断食を通して、疲れを知らず、意識は研ぎ澄まされ、睡眠も短時間で足りて、免疫力が向上して病気をも知らず、ついには超感覚的な能力すらも芽生えて、なんと霞を食って生きる仙人なみになるのである(らしい)。トンデモ話と片付けてもいいのだが、試そうと思えば何が要るわけでもなく、気持ち一つですぐにでも試してみることが出来るというのがよかった。物は試しで、まずは少々の真似事から始めてもいいのではなかろうかと思ったのである。常識的な現代医学や栄養学から見れば不合理な数々の結果が、同じく不合理な私の心の琴線に触れたというわけである。

ついでに言っておけば、その頃は我が腹回りがやや怪しくなっており、早急に何かした方がいいという気配であったということもある。もともと生野菜は好きだし、それに半日断食が要求する18時間といっても、夕食を夕方6時に食べたならば、後はただ翌日の朝食を抜いて、お昼になってから復食というおおよその勘定であったから、これも実際上さほど困難なものとも思われなかった。今は昔の高校時代、弊衣破帽の旧制高校生ではないがKantに憧れて朝食を早朝の紅茶とビスケット数枚にして以来、いわゆる朝食らしい朝食からは長らく遠ざかっていて、学生時代この方ほとんどコーヒーとライ麦パンをかじるだけの朝食にしていたから、この朝食抜きの生菜食を中心にした半日断食というものには全く抵抗を覚えなかったのであった。

というわけで、以来、できる範囲で半日断食に1日断食を交え、気が向けば1週間のにんじんジュース断食を行ったり、山あり谷あり、紆余曲折、脱線を経ながらも時に熱心、時にゆるく玄米"半生"菜食、プチ断食健康法を試みてみたりしているのである。今日まで約2年半が経過したのだが、当初考えたとおり朝食抜きの半日断食自体は特に苦にならなかった。週1回を目安にしている1日断食も同様である。1週間のジュース断食はまだややへばるが、生玄米粉の味やミキサーで作る青汁、ジューサーで作るにんじんジュースはなかなか乙なものである。

ただ勿論、パン好き・アイス好き、物好きの身として「完全玄米生菜食」、「完全少食」とはいかず、

しばしばパンを喰らい、
しばしばアイスを舐め、

ナチュナル・ハイジーンの果物食だの、

石原結實のにんじんジュース健康法だのも折衷して、

西式健康法ゆずりの温冷浴だの背腹運動、金魚運動や毛管運動といったへんてこ運動もしていないので、
純正甲田流健康法とは全然言えないのだが、ほぼ肉食からは脱して半日断食自体は習慣化した。仙人には遠いが、おおむね体調は快調で、健康診断の数値は優等生なみに改善したのである。

BMI21を適当とする(通常は22)甲田光雄式の計算でいくと(身長〔m〕×身長×21)私の適正体重は60kgを少し越した程度になる。そうなると学生時代よりも少ないのだが、こんな感じならば物は試しをそれまで続けてもいい気もしている。60kgではやや痩せすぎの感無きにしも非ずだが、それはそれで悪くないかもしれない。サイクリング、ジョギングがますます楽しめ、その上疲れを知らず、なおかつ頭脳明晰ということであれば、なんのなんの私もまだまだということになるわけである。仮令そううまくいかずとも、少なくとも(私同様、物好きが多い)旧友たちへの話の種になることは確かだ。


「人はパンのみにて生くるにあらず」"Der Mensch lebt nicht vom Brot allein, (sondern von einem jeglichen Wort, das durch den Mund Gottes geht.)"というのは真実だが、食べるパンとその食べ方によっても生は大いに異なってくるようである。